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トマ・ピケティによる現代の古典『21世紀の資本』

「本書は経済学の本であるのと同じくらい歴史研究でもある」とトマ・ピケティ自身が書いている通りで、経済学だけでなく、歴史や社会に関心がある人、長い本が読める人はみんな読んだ方がいい名作だ。文章は非常に平易で、有名な "r > g" に加えて2つほど数式が出てくるが、現代と両大戦前の社会との対比を、19世紀当時の人気小説を使って繰り返し説明するなど、できるだけ親しみやすく書かれている。

もともと、人類史における経済成長の定理を知りたいと思って読み始めたが、メインメッセージは、既存の資本主義が生む格差を是正し持続的な社会を作るには、累進資本課税がベストな解決策ではないか、という提言であった。膨大な資料にもとづく精緻な論理を展開するにとどまらず、社会をより良くすべく明確な意見を打ち出す心意気。文章の端々に表れる謙虚さと優しさ含め、なんとも好感度の高い著者である。

高名な "r > g" とは、人類の歴史上、return = 資本収益率は、常に growth = 経済成長率より高い、ということ。

資本とは土地、株、債権や現金などで、そこから生まれる収益、すなわち地代や家賃、配当や利子。資本収益率は歴史的事実として4-5%ある。経済主体である人間は、今日1万円余分に消費するために明日の1万5百円の消費をあきらめる「時間選好」という性質を持つ。資本収益率は人の性急さと未来に対する態度を反映しているので、この水準からあまり変わりようがないそうだ。

一方、経済成長率は、人口成長率と人口あたりの労働生産性で決まる。紀元0年から1700年までの成長率を推定すると、年率わずか0.1%程度。現代の感覚からすると驚くほど低いが、これより高いとすれば、2000年前にはほとんど人間がいなかったことになる。実は歴史を通じて、経済成長は世代の間ではなかなか感じられないレベルだったようだ。これが1700-2012年だと1.6%、1913-2012だと3.0%程度にまで上がったのであるが、人口成長率は確実に下がっている。長期に渡って生産性が1.5%を超えた国も存在しないようだ。結果として、21世紀の経済成長率見込みは1.5%程度の見込みらしい。

資本が生み出す資本所得は4-5%で成長し、経済活動が生み出す労働所得は1.5%で成長するとなると、資本を持つ者と持たない者の格差は、どうしても広がらざるを得ない。

労働所得内でも、資本所得ほどではないにしろ格差はあるが、それを減らす最良の方法は見えており、ある程度実践もされている。教育への投資だ。所得を通じた購買力は、富裕国の歴史上も、現在の新興国においても向上している。もしも賃金の購買力が1世紀で5倍に増えたなら、つまり1時間の賃金で購入できるパンが5倍に増えたなら、それは技術的進歩に加え、労働力の技能向上により1人当たりの生産性が5倍になったためだ。長い目で見ると、教育と技術が賃金水準のきわめて重要な決定要因なのだ。

教育によって身につく知識と技能は拡散し、ゆくゆくは収斂していく。イギリスやアメリカは産業革命や両大戦を通じて世界の経済成長をリードしたが、やがて大陸ヨーロッパや日本に追いつかれた。現在の新興国の成長も、やがては人口増加率の低下と相まって収斂していく。資本主義の神の見えざる手は、労働による格差を収斂させる力を持っていると言えるかもしれない。でも一方で、不等式 r > g が表す通り、資本主義には格差拡大の強力な力もある。これは民主主義社会や、それが目指す社会正義の価値観を脅かしかねない。

20世紀に、富裕国は両世界大戦による財政崩壊に対応する必要性から、そして戦後復興期の経済成長による増収を活かし、累進所得税を導入した。これによって富裕国の税収は国民所得の10%あまりから40%前後まで急増し、政府は中心的な「君主」機能(治安、司法、軍事、外交等)にとどまらず、教育や保険医療を担えるようになった。そして史上初めて、社会における経済格差が大きく縮小した。

21世紀に入った現在、富の格差は再び歴史的な最高記録に迫り、すでにそれを塗り替えたかもしれない。新しいグローバル経済は、莫大な希望(たとえば貧困撲滅)をもたらすと同時に、莫大な格差という不安要因をもたらした。資本主義がもっと平和で永続的な形に変換される21世紀は想像できるだろうか。それともひたすら次の危機や次の大戦(今度は本当の世界大戦になる)を待つしかないのだろうか?

21世紀の課題対応にもっとも適した道具が、累進資本課税だ。まずは各国が、国境を超えて資本を正確に把握する。そして格差是正の実効性と効率を高めるために適切な累進性を持たせた税制に合意し、資本課税を行うことだ。

グローバル化により、富裕国の資本家は、より賃金の安い国に資本投下をシフトすることで高い資本所得を得ることができた。一方で富裕国の最低技能労働者たちは職や競争力を失うことになった。グローバル化が富裕国の最低技能労働者たちに特に重い負担をもたらすことを考えれば、より累進的な税制が正当化されると言える。

世界的な資本税は、経済の開放性を維持しつつ、世界経済を有効な形で規制し、その便益を各国同士や各国の中で公正に分配できるという長所がある。

むずかしいのはこの解決策、つまり累進資本税が、高度な国際協力と地域的な政治統合を必要とすることだ。ヨーロッパのような小国であれば、資本は簡単に国境を越えて移転させることが可能なので、ある程度広域で適用される共通ルールが必要となる。そして公正かつ民主的な施策の合意と運用のためには、会計財務的な透明性と情報共有が欠かせない。

難しさはあるが夢物語ではない。技術的には、既に米国でもドイツでもフランスでも銀行データは自動的に税務当局と共有されている。EUという域内でも協調には常に困難がつきまとうが、国家なき共通通貨という、とんでもなく困難な協調に20カ国が参加している。インフレのように高度な政治的合意を必要としない方法で、銀行口座に眠る預金の価値を下げ、富の再配分を図るという考え方もあるが、最も裕福な人は資本を不動産や株などの実物資産に移動させればいいだけで、実際には格差を拡大する可能性が高い。

経済と金融の透明性は、確かに課税目的でも重要だが、はるかに一般的な理由からも重要だ。そうした透明性は民主的なバランスや参加に不可欠なのだ。この点で、重要なのは個人の所得へと目に関する透明性ではない。集合的な行動のために最も重要なのは、民間企業、政府機関の口座の詳細を公開することだ。

本当の会計財務的な透明性と情報共有をなくして、経済的民主主義などありえない。逆に、企業の意思決定に介入する本当の権利なしには、透明性は役に立たない。情報は民主主義制度を支援するものでなければならない。累進資本税の導入にはたしかにリスクはあるが、資本主義のコントロールを取り戻したいのであれば、全てを民主主義にかけるしかない。