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試行錯誤の軌跡:人類の歴史を探る(2)1万2千年前ー定住の拡大。社会的な試行錯誤の進展。

認知能力が発展して言語を身につけ、仮説検証という独自の行動を始めた人類が迎えた次の岐路は、定住の拡大であった。

1万2千年前ー定住の拡大。

最終氷期が終わりを迎えて完新世という気候が温暖な時代に突入し、より容易となった狩猟採集とともに初期の農業が始まった。

人類は「農業革命」、すなわち栽培による食料獲得を発明したことで、定住が広がり、集団はより大きく、社会は複雑になりヒエラルキーが生まれ、現在の人間社会の礎が誕生したと同時に、土地と労働に縛られることとなった、というのが人類史の常識とされていた。

しかし、人類学と考古学を丁寧に検証した『万物の黎明』の著者たちは、 人類の歴史はそのように線形に発展してきたのではない、という新しい科学的真理を提示する。

実験考古学によると、約1万年前に野生穀物の栽培が始まってから、人間が意図的に選別し続けていたなら、長くても数百年で顕著な特徴を持つ栽培種が出現するはずだった。しかし実際には三千年もの時間を要している。これだけの時間がかかったのは、人類は革命的に農耕に移行しようとはあえてせず、それと付き合いつつも、他の食料獲得手段や社会構造と組み合わせ、実験的に戯れながら試行錯誤を重ねていったからだ。

初期の耕作者は、木を切って畑を耕し水を運ぶかわりに、湖や泉のほとりに毎年大水が運んでくる沖積土を、場所を移しながら利用した。氾濫農耕は楽だし、定住の動機付けにもなりにくい。メソポタミアでシュメール人が最初に定住を始めたのは、沼沢の多い最南部の湿地帯であった。豊富な魚があてにできる漁業、豊かな水を活かした交通輸送と交易などが目的だったのだ。

食料獲得手段としては数ある中のひとつにすぎなかった農耕は、実は食料としての小麦だけでなく、新素材としての藁も生み出す。主に女性が中心となり、藁の繊維を活用した織物、かご細工、藁を土に混ぜた建築資材などの工芸が発展していく。

この時期、いわゆる「具体の科学」が発展した。氾濫農耕では、沼地に耐久性のある居住地を築く必要があり、粘土の特性を熟知する必要がある。粘土は藁と混ぜ合わされて建築資材にもなり、小像などの幾何学的な「トークン」となって芸術や記憶媒体としても試されただろう。

定住の拡大は、単に食糧獲得手段の移行であったというよりも、園芸から建築、数学から熱力学、宗教から男女の役割の再構築まで、あらゆるものを網羅した社会構造の変革であった。この革新は、女性の仕事と知識が創造の中核を占め、大きな暴力もないのんびりとした過程、遊び心にとんだ方法で行われた。

肥沃な三日月地帯の低地ではこのように革新が進展したが、これらの社会は単独で発展したわけではない。肥沃な三日月地帯の高地にも集団が定住していた。かれらもまた、自らに適した栽培や牧畜を営んだが、それ以外の点では低地の隣人たちとは明らかに異なっていた。ギョクベリ・テペをはじめとする巨石建造物の建設は最たるものである。その文化は、壮大な石像モニュメントなど、女性の関心事をほとんど排除した男性的活力によって象徴されている。

定住する2つの文化は近接し、物資の交換を行い、互いの存在を強く意識していたはずだ。彼らは食料獲得手段や道具の利活用など、経済面では知識を共有しただろうが、文化面では意識的に差別化を進めたと考えられる。芸術や儀式を磨くにあたり、高地人が捕食的な男性の能力を際立たせることを選んだのに対し、低地人は女性のシンボルを中心に発展させたのである。

人類は農業革命があったから定住を始め、不平等な社会となるのが不可避の運命であったのではない。定住をきっかけに、遊戯や儀礼、具体の科学が進展した。農業を含む様々な社会のあり方を、長い時間をかけて試行錯誤し、ひとつの選択肢として、農業という経済活動やヒエラルキーのある社会を選んだのだ。

 

次なる人類の岐路は「(3)5千年前ー情報の記録。数千年の試行錯誤で完成した唯一の文字体系」だ。

(1)7万年前ー認知能力の発展。仮説検証する人類の始まり」はこちら。