各地に領域国家を成立させ、それぞれに必要な社会のあり方を選択し始めた人類は、古代グローバル文明を形成し、そして崩壊させた。これもまた、次代への試行錯誤の過程だ。
紀元前3千年紀の青銅器時代に、エジプト、ヒッタイト、ミケーネ、アッシリア、バビロニアなどの古代国家は地中海世界にグローバル文明ともいえる国際交易体制を形成した。それぞれの王国、帝国は地域の覇権を巡って争い、陰謀をめぐらしつつ、同盟や縁戚関係を結び、食料や貴金属、青銅の原材料から技術者、芸術家などの人材までを送り合う大規模な交易を行なっていた。『B.C. 1177』では、これらの古代国家がほぼ同時に崩壊の危機に直面した謎に取り組み、古代世界における複雑な相互作用と、文明がどのようにして危機に陥るのかを検証している。
この危機の時代は「前1200年のカタストロフ」と呼ばれ、その原因は昔から歴史の謎とされてきた。考古学的に裏付けのある主たる客観的事実はこうだ。
- 数多くの独自の文明が、前15世紀から13世紀にかけてエーゲ海、東地中海地域で繁栄した。ペロポネソス半島のミュケナイ、クレタ島のミノア、小アジアのヒッタイト、南メソポタミアのバビロニア、北メソポタミアのアッシリア、レヴァントのカナン、そしてキプロスとエジプト。それぞれは独立しつつ、国際交易ルートを通じて絶えず相互に影響しあっていた。
- 前1177年頃に、エーゲ海、東地中海、近東、エジプトで、多くの都市が破壊され、当時の人々が慣れ親しんだ後期青銅器時代の文明と生活は終わりを告げた。
- いまだ反論の余地のない証拠はなく、誰、または何が、この大惨事を引き起こして後期青銅器文明の終焉させたのかは分かっていない。
「前1200年のカタストロフ」の原因としては以下の危機が挙げられてきた。
- 地震:この時期に地震があったのは明らかだが、社会は立ち直れるものである。
- 気候変動:エーゲ海でも東地中海でも文献に飢饉の記述があり、科学的にも干魃や気候の変化は確認されているが、社会はこれらの問題からはそのつど立ち直ってきている。
- 内乱:ギリシアその他で内乱があったことを思わせる状況証拠が見つかっているが、これほど広範囲かつ長期にわたって内乱が発生、継続するとは考えにくい。
- 民族の移動:エーゲ海地域、小アジア西部、キプロス、その他の各地域から、侵入者もしくは新参者が押し寄せた考古学的証拠が、レヴァント地方で見つかっている。ただし、破壊され放棄された都市もあれば、破壊された後にまた人が住み着いている都市もあり、と思えば全く破壊を受けていない都市もある。
- 国際交易の遮断:地中海の交易ルートは、完全に遮断をされないまでも、一時期明らかに損害を受けているが、各文明それぞれにどの程度打撃を与えたかは全くわからない。ミュケナイのように、外国からの輸入品に過度に依存していた文明もあることはたしかだが。
いずれも、後期青銅器時代末の崩壊を促進した可能性はあるが、単独でこれほどの災厄を引き起こしそうにない。1、2の結果、海の民が4を起こして崩壊、と線形に進んだかのように述べる論文や学術書も多いが、現実の事態は線形には進行せず、もっとごちゃごちゃしていた。単一の原動力や引き金があったわけではなく、様々なストレス要因が人々を駆り立て、変化していく状況に対応しようとそれぞれに試行錯誤したのだろう。
この理解に目を向けさせるのが、複雑性理論だ。この理論は、相互に作用する多くの行為者が参加するシステムの問題を考えるのに向いている。後期青銅器時代に栄えていた様々な文明、ミュケナイ、ミノア、ヒッタイト、エジプト、カナン、キュプロスは、領域国家という社会政治システムだ。
同時に存在する交易ネットワークも複雑なシステムで、それらが相互に作用することで不安定化を増幅する。現在のグローバル社会同様、この古代のグローバル社会も、かつて例のない規模で、かつてない距離を超えて直接的にやり取りをしていた。世界のこちら側の政治が不安定化すると、何千キロも離れた地域の経済に甚大な影響を及ぼした。
先に挙げた様々な危機、すなわち地震、飢饉、気候変動、内乱、外敵の侵入、交易ルートの断絶は、まさにこの地中海世界のシステムを圧迫したストレス要因であったろう。
後期青銅器時代の末は、全域にわたる黙示録的な終末が突発的に発生したというより、混沌とした、しかし緩やかな崩壊の時代だったと考えられる。しかも、このように巨大で複雑なシステムが不安定化すると、往々にしてその崩壊後に小さく分裂する。これはまさしく、青銅器時代の文明が終わったあと鉄器時代に起こったことである。
強大な青銅器時代の王国や帝国は、その後に続く前鉄器時代に、徐々に都市国家に置き換わっていった。国際交易の主役も、巨大な王宮からフェニキアの商人に代わり、彼らの試行錯誤が航海技術と交易網を発展させ、のちの地中海世界の経済基盤を形成した。複雑な楔形文字も役目を終え、各文字が特定の音を表して覚えやすいフェニキア文字が普及し、文書記録や交易事務が効率化された。青銅よりも豊富に存在し、より強固な道具を製造できる鉄器が広まり、後の文明発展に寄与した。青銅器時代の崩壊後のギリシャでは多くの都市が放棄され人口が激減したが、この時期の試行錯誤が後のポリス文化の基礎を築いた。
このように人類は、その文明の崩壊の過程においても、変化していく状況に対応すべく試行錯誤を重ね、大きなうねりは線形ではなく緩やかに下りながらも、次なる上昇につながっていった。
次なる人類の岐路は「(6)3千年前ー鉄器の普及と社会の振れ幅の拡大」だ。
「(4)5千年前ー領域国家の成立。それぞれの社会に必要なあり方の選択」はこちら。