花も実もある楽しい読書

人生とテニスに役立つ本

『父が娘に語る経済の話』を読んで、市場社会と環境が共存する未来への道筋を、ChatGPTに聞いた。

元ギリシャ財務大臣の本書は経済の大きな流れをわかりやすく解説してくれます。壮大なテーマは、地球と共に繁栄する市場社会の創造。自分で噛み砕いて調べた内容をGPT-4先生に添削してもらい、よりよく理解できました。内容に興味を持ったら、ぜひ本書とChatGPTを試してみてください。

なぜ「格差」があるのか?

答えは「余剰」があるから。かつて狩猟採集時代には、食料の余剰がなく、人々はギリギリのところで互いに助け合いながら生活していた。しかし、約1万2000年前に農業が誕生し、人類の歴史は大きく変わった。

余剰の穀物が保管できるようになると、社会構造が変わり始めた。余剰を管理する官僚組織や、余剰を守る軍隊が生まれた。例えば、古代エジプトのピラミッドは、宗教や権力の象徴として建てられ、余剰の労働力が投入された。また、余剰が生んだ余裕は、文学や音楽、科学技術といった新しい分野を発展させ、ルネサンス期の芸術や産業革命の技術革新が生まれた。

南北格差は、農業がユーラシア大陸で伝わりやすかったために生まれた。ユーラシア大陸では農耕に適した気候帯が多く、技術の伝達が容易だった。例えば、鉄器や馬の飼育技術は、ユーラシア大陸を東西に広がり、文明の発展を促進した。しかし、アフリカ、アメリカ、オーストラリア大陸では、そのような環境がなく、余剰を活用した市場社会が発展しなかった。

市場社会が発展すると、余剰の信用や資産を持つ人は新しい価値を生み出すことができる。これにより、資本主義経済が成長し、世界全体で余剰が増えていく。最貧困層の生活は確実に改善されているが、それ以上に余剰は増えているため、格差は拡大し続けている。

この格差を、当たり前と思ってはいけない。

市場社会はどう確立された?

答えは大航海時代を境に、世界中で物々交換が活発化したからだ。

価値には「交換価値」と「経験価値」がある。交換価値はお金で買えるもの、経験価値はお金で買えないものだ。それでは、どのようにして現代のような市場社会が生まれたのか?

中世ヨーロッパでは、封建制度のもとで土地と労働力が固定されていた。しかし、大航海時代の到来で、様々な国々が海を越えて交流を持つようになり、香辛料や絹織物などの異国の商品が引っ張りだこになった。このころから、交換価値が注目されるようになったのだ。

封建領主たちは、貿易で富を築く商人たちに刺激を受け、自らも商人になろうと考えた。彼らは、村人に農作物を生産させるよりも、羊毛を売るほうが利益が上がると気づいた。そこで、領主たちは「囲い込み」を行い、村人を追い出して羊を放つようになった。

モノを生産するには、土地、労働者、生産手段の3つが必要となる。囲い込みによって、それまで封建領主のもとに非効率なまま固定化されていた土地や労働力が市場で自由にやり取りされるようになり、労働力が都市部の工場に流れ込んだ。そして、機械の導入により産業革命が起こり、生産力が急激に拡大した。

こうして、固定化されていた労働力と土地が市場で自由に取引される市場社会が誕生した。産業革命によって生まれた余剰は、格差の拡大をもたらした。

市場社会は借金で発展した?

市場社会は借金が燃え立たせた希望の火によって発展したといわれます。封建社会では、将来がよくなるという期待が持てなかったため、将来のために投資する借金は一般的ではありませんでした。

封建領主は、収入を増やす方法として戦争による奪取、もしくは領民からの収奪を主に考えていました。一方、領民は豊作か不作かでその年の生活が左右され、借金は不作の年を生き延びるための手段に過ぎませんでした。宗教は、現世の苦しみが来世で報われるという慰めを提供していました。

しかし、大航海時代以降、市場社会が進展し、土地や労働力が流動化しました。領主たちは、領民を土地から追い出して、より利益を追求するために牧羊ビジネスを始めるようになります。これは起業家としての借金が増えるきっかけとなりました。

宗教改革も同時期に起こり、プロテスタントが現世での努力と成功を重視する考え方を広めました。これにより、借金をして新しい生産手段に投資し、競争に勝ち、将来の利益を増やすことが思想面でも正当化されていったのです。

お金はどこから生まれる?

お金は未来からもやってくるし、社会を循環して増えていく。そして時々消える。市場社会の発展に伴い、起業家たちは元手がなくても借金をして生産を増やし、利益を上げることが可能になった。彼らは未来に交換価値の大きなチャンスを見出して前借りする。銀行は、このような起業家のニーズに応えてお金を貸し出す役割を果たしている。

20世紀になると、借金のニーズが爆発的に増えるのにともない、リスクの担い手も増えた。ローンの証券化、すなわち金を貸す権利を細かく分散することで、銀行のリスクが減り、様々なニーズに応えることができるようになってお金の流動性が高まった。

流動性の高まりは、市場に多くの売り手と買い手が参加しやすくなることを意味する。これにより、欲しい人がすぐに見つかって無駄が減る。葡萄の売り手は買い手が見つからずに腐らせてしまう心配が減るし、葡萄の買い手は売り手が見つからなくてワイン販売の儲けを逃す心配が減るのだ。

しかし、銀行が未来からお金を持ってくることには落とし穴がある。どんどん未来から交換価値を前借りすれば、時空の歪みは大きくなり、いつか経済危機が起きる。

経済危機が起こると、銀行や労働者が困窮するが、助けるのは国家だ。

国家は銀行にお金を貸して破綻を防ぎ、労働者の雇用を維持すべく財政出動を行う。そのお金はどこから出てくるのか?それも借金だ。国家は国債を発行して金融機関に買ってもらう。足りない分は、やはり未来から借金する必要があるのだ。

商品と、労働力や借金は何が違う?

商品は現在の交換価値があるのに対し、労働力や借金は未来に発生する交換価値を持つ点だ。労働力や借金は先行投資であり、将来を信じられるかに左右される。

景気が悪くなると、労働力や借金は調達されにくくなる。市場社会では通常、需要が減ると価格が下がって需要が戻るものだが、景気悪化時に賃金や金利を下げても需要が戻る保証はない。

例えば、賃金が下がると自動車の購入者が減ると考えると、起業家は求人を見送るだろう。日銀が金利を下げるということは景気の先行きが暗いに違いないと、設備投資のための借金を控える起業家もいるだろう。

こうした悲観的な予想が現実のものとなり、景気はますます悪化する。このように予言は自己成就する性質があり、人間の心理が経済の動きに影響を与えることがわかる。

機械は人を幸せにするか?

機械化が人々の幸福につながるかどうかは、その恩恵がどの程度民主的に分かち合われるかにかかっている。

産業革命以降、機械の登場によって人々は労働の苦役から解放されることを期待するとともに、機械に使われる世界が現れることを恐れてもきた。「魔法使いの弟子」から「マトリックス」など多くの物語に表れている。

機械化は労働者の解放だけでなく、新たな問題も生み出した。例えば、コスト削減や競争の激化によって利益が上がらず、機械に取って代わられた人々の消費が減り、需要が低下する。これにより企業が倒産し、労働者が生活できなくなるといった悪循環が生じる。そうしてリセットが起きる。生き残った起業家は競争相手が減って少し利益が出やすくなり、機械より労働力の方が少し安くなって雇用が増える。

カール・マルクスは機械が人間に服従を強いることを指摘するとともに、市場経済には安全装置が組み込まれており、人間が完全に生産から排除されることはないとも述べた。

機械化は膨大な余剰を生み出すが、その利益は機械の持ち主に集中する。そのため格差が広がり、富が一部の人々に集中している現状がある。この問題を解決するためには、機械の所有を民主化し、機械が生み出す利益をすべての人で共有することが必要だ。こうすることで、需要と売上と価格の悪循環が止まり、機械の恩恵が全ての人に行き渡るだろう。

通貨とは何か?

通貨とは、市場社会において価値を交換するための仲介手段であり、3つの条件を満たすものである。

  1. 決済手段であること。持ち運びが簡単で、分割可能で、交換しやすいこと。
  2. 価値が保存できること。腐らない、長持ちするものであること。
  3. 価値の尺度であること。将来にわたり、みなが魅力的だと信じられるもの。

昔は金貨や、ナチスドイツの収容所ではタバコが通貨の役割を果たしていた。19世紀に生まれた金本位制では、各国の中央銀行が同額の金を保有し、いつでも交換できることを保証したため、紙幣が世界的に信頼され、流通した。

通貨の価値は、その将来価値への信頼度で決まる。先々その通貨の交換価値が下がる、つまり物価が上がりインフレが起きるとみんなが思えば、来年の100万円は今年の100万円より価値が下がるため、お金を借りる金利は上がる。通貨を保証する国家自体の先行きが怪しいとなれば、通貨への信用は崩壊し、ハイパーインフレが起きる。

通貨や国が信頼を確保できていれば、通貨の流通量をコントロールすることで景気や金利に影響を与えることができる。通貨の供給を増やしてデフレや景気後退を退治したり、過剰な経済成長やバブルを鎮めるために通貨の供給を絞ったりする。これが中央銀行によってマネーサプライを管理するということである。

中央銀行によるマネーサプライ管理は社会維持に必要だが、リーマンショックを引き起こした金融機関への中央銀行による支援は大きな不信も呼び、権力者の管理を必要としない仮想通貨、ビットコインの誕生を促した。

ビットコインには国家による価値の保証がないため、際限なく発行されると価値が大きく下がってしまうので、発行枚数にあらかじめ上限が組み込まれている。2023年にはほぼ上限に達する予定で、それ以上は供給量を増やせない。このためビットコインは通貨ではあってもマネーサプライの管理には使えないのである。

通貨は市場社会で価値の交換を促し、景気の行き過ぎや後退を防ぐ役割がある以上、政治とは切り離せない。我々にできることは、金融政策の決定過程をできるだけ民主的に管理することだ。中央銀行や政府は、透明性のある政策決定プロセスを通じて、市民の信頼を獲得し、経済の安定と発展に寄与することが求められる。

市場社会は地球を破壊するのか?

その可能性はある。なぜなら、市場社会が目指すのは調和ではなく成長であり、資源の過剰消費や環境破壊が引き起こされるからだ。

自然には豊かな経験価値があり、美しい自然の中を散歩して心が癒される経験を持つ人は多いだろう。しかし、市場社会における交換価値は、自然破壊による経験価値の損失を考慮していない。例えば、森林伐採がもたらす短期的な利益には明確な交換価値があるが、長期的な気候変動や生態系の損失は、交換価値化されていない。

市場社会のイデオロギー、利益追求が人の自然な欲求だとすると、競争は止まらず、自然資源が取り尽くされるか、破壊が後戻りできないところまで進む恐れがある。その一例として、20世紀のアラル海の渇水問題が挙げられる。農業発展のために水が大量に引き抜かれ、かつての豊かな漁業資源や生態系は失われた。

では、どうするか。市場社会を信奉する人は言うだろう、「環境も全て商品化すればいい。賢い所有者に管理させれば、環境から得られる利益を最大化するために適切に管理するだろう」と。しかし、労働力や借金と同様に、商品化された環境の交換価値は将来にある。今日森が伐採されても、明日地球が温暖化するわけではない。市場は人の予想に左右されて歪み、いつかは破綻する。

環境を守るためには、民主化が必要だ。民主主義には欠陥もあるが、チャーチルが言ったように、「これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態より、ベターなのである」。

具体的な提案としては、環境保護のための法制度を整備し、環境価値を市場価値と結びつけることが考えられる。これにより、企業や個人は自然環境を守ることで利益を得られるようになり、破壊の代わりに保全が促進されるだろう。

さらに、教育を通じて環境意識を向上させ、市場社会が持続可能であるための新たな価値観を構築することが重要だ。個人の行動や消費の選択が環境にどのような影響を与えるかを理解し、地球に優しい生活を心がけることが求められる。

封建社会の後を受けた市場社会には良い面と悪い面があるが、社会全体がユートピアになることはないだろう。しかし、危機が来れば学ぶのが人間であり、不満を抱えるソクラテスのように、常に進歩を求め、心の成長を目指すべきだ。

最後に、一つの側面だけでなく、内と外、両方から状況を見ることが重要である。多様な視点を持ち、環境問題に対する理解を深め、持続可能な未来を築くための行動を取ることが求められるのだ。