花も実もある楽しい読書

人生とテニスに役立つ本

『B.C. 1177 古代グローバル文明の崩壊』紀元前1177年 地中海文明の転換点

紀元前3千年紀の青銅器時代に、エジプト、ヒッタイト、ミケーネ、アッシリア、バビロニアなどの古代国家は地中海世界にグローバル文明ともいえる国際交易体制を築いた。それぞれの王国、帝国は地域の覇権を巡って争い、陰謀をめぐらしつつ、同盟や縁戚関係を結び、食料や原材料や貴金

地中海世界における文明崩壊の原因として、以下の危機が挙げられてきた。

  1. 地震:この時期に地震があったのは明らかだが、社会は立ち直れるものだ。
  2. 気候変動:エーゲ海でも東地中海でも文献に飢饉の記述があり、また科学的に干魃や気候の変化があったことが分かっているが、社会はこれらの問題からはそのつど立ち直ってきている。
  3. 内乱:ギリシアその他で内乱があったことを思わせる状況証拠が見つかっているが、社会はふつうは乗り越えるもので、これほど広範囲かつ長期にわたって内乱が起こるというのは考えにくい。
  4. 民族の移動:エーゲ海地域、小アジア西部、キュプロス、その他の各地域から、侵入者もしくは新参者が押し寄せた考古学的証拠が、レヴァント地方で見つかっている。ただし、破壊され放棄された都市もあれば、破壊された後にまた人が住み着いている都市もあり、と思えば全く破壊を受けていない都市もある。
  5. 国際交易の遮断:地中海の交易ルートは、完全に遮断をされないまでも、一時期明らかに損害を受けている。しかし、それが各文明それぞれにどの程度打撃を与えたか全くわからない。ミュケナイのように、外国からの輸入品に過度に依存していた文明もあることはたしかだが。

この理解に目を向けさせるのが、複雑性理論だ。この理論は、相互に作用する多くの行為者が参加するシステムの問題へのアプローチに向いている。ここで言えば、後期青銅器時代に栄えていた様々な文明、ミュケナイ、ミノア、ヒッタイト、エジプト、カナン、キュプロスなどがシステムにあたる。複雑な社会政治システムは、その内的なダイナミズムによってさらに複雑さを増し、システムは崩壊の危険が大きくなる。

同時に存在する交易ネットワークも複雑なシステムで、なおかつ相互に作用することで不安定化を増幅する。現在のグローバル社会同様、この古代のグローバル社会も、かつて例のない規模で、かつてない距離を超え、直接的にやり取りをしていた。世界のこちら側の政治が不安定化すると、何千キロも離れた地域の経済に甚大な影響を及ぼした。

先に挙げた様々な危機、すなわち地震、飢饉、気候変動、内乱、外敵の侵入、交易ルートの断絶は、まさにこの地中海世界のシステムを圧迫したストレス要因であったろう。

後期青銅器時代の末は、全域にわたる黙示録的な終末を想像するよりも、混沌とした、しかし緩やかな崩壊の時代だったと考えるほうが適当かもしれない。しかも、このような不安定化の結果として起こるのは、複雑なシステムが崩壊後にいくつもの小さな実体に分解するということだ。これはまさしく、青銅器時代の文明が終わったあと鉄器時代に起こったことである。

強大な青銅器時代の王国や帝国は、その後に続く前鉄器時代のあいだに、徐々に小規模な都市国家に置き換わって行った。国際交易の主役も、各国の巨大な王宮からフェニキアの商人たちに移り変わり、彼らが試行錯誤を重ねて航海技術と交易網を発展させ、のちの地中海世界の経済的基盤を形成した。複雑な楔形文字も終わりを迎え、各文字が特定の音を表し覚えやすいフェニキア文字が普及し、文書記録や交易コミュニケーションが効率化された。青銅よりも豊富に存在し、より強固な道具を製造できる鉄器が広まり、後の文明発展に大きく寄与した。青銅器時代の崩壊後のギリシャでは多くの都市が放棄され人口が激減したが、この時期の試行錯誤が後のポリス文化の基礎を築いた。

このように人類は、その文明の崩壊の過程においても、変化していく状況に対応しようとそれぞれに試行錯誤を重ね、大きなうねりは線形ではなく緩やかに下りながらも、次なる上昇につなげて行くのだろう。