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試行錯誤の軌跡:人類の歴史を探る(6)3千年前ー鉄器の普及と社会の振れ幅の拡大

古代グローバル文明とも言える青銅器文明崩壊後、人類が迎えた新たな岐路は鉄器の普及だった。このイノベーションは、社会の振れ幅をさらに大きくしていく。

2千5百年前ー鉄器の普及

トマ・ピケティは『21世紀の資本』で、超長期での経済成長の速度感を示している。紀元0年から1700年までの経済成長率は0.1%以下、人口増加率から0.06%、一人あたり生産性の成長から0.02%だ。毎年の成長など感じようもないが、1700年続けば2.3億の人口が5.9億まで増える。近代以前の社会の成長速度はこのようなものだった。もっと遡れば、人類が定住を拡大しはじめてから紀元0年までの1万年、想定人口増加率はさらに低く0.04%程度とされる。

時代を下れば下るほど成長率は低くて当然とも思えるが、実はこの間に「高度成長期」があった。それは紀元前1千年紀で、紀元後の1700年間をも上回る年率0.07%で人口が増加したと考えられている。これはどのような時代だったのだろうか。

およそ紀元前600年から紀元前200年、のちに枢軸時代と呼ばれる時代。中国では諸子百家が活躍し、インドでは仏教やジャイナ教が成立、イランではゾロアスターが独自の世界観を説き、パレスティナではイザヤなどの預言者があらわれ、ギリシャでは三大哲学者のソクラテス・プラトン・アリストテレスらが輩出された。 ユーラシア大陸の各地で、後世の源流となり、現代まで影響を与え続ける哲学や宗教が一斉に誕生した。 

人類社会に、内面世界で試行錯誤をする余裕を与えたもの。もしくは内面的な試行錯誤を強いたもの。それは鉄器の普及がもたらした4つの変化であった。

現在のトルコに位置したヒッタイトは、紀元前1400年頃から鉄の大規模生産を始めたと言われている。炉とふいごで高温を生み出して鉄鉱石から鉄を抽出、精錬し、武器を製造して帝国の維持拡大に活かした。ヒッタイトは鉄器の製造技術を隠したが、帝国末期には地中海地域へ広がる。インド亜大陸にはヒッタイトよりわずかに遅れて導入された。中央アジアの陸路やペルシャ湾を通る海路から伝わったと考えられる。古代インドの冶金技術は独自に大きな発展を遂げ、有名なデリー鉄柱など、高品質な鉄が大量に生産された。中国には、おそらく中央アジアのステップを通じて、紀元前8世紀頃にもたらされたと考えられている。

鉄器の普及は、社会の生産性を高める3つの変化を連鎖的に発生させていった。余剰生産力の拡大経済活動の発展文字体系と記録媒体の浸透だ。また、同時に1つの破壊的な変化、軍事衝突の増大も呼び込んだ。順番に見ていこう。

1つ目は余剰生産力の拡大だ。鉄製の道具は青銅器や石器よりもはるかに丈夫で鋭く、土の掘り返しや作物の収穫が効率的に行えるようになった。農業地域に多い重い粘土質の土も耕しやすくなり、荒地の根や岩も取り除けるようになって耕作地が増えた。鉄の鋤は深く土を掘り返せるため、土がよく空気を含み単位収穫量も増えた。

農業生産性が向上すると、農村では労働力で余るようになる。その結果、より良い生活条件を求めて多くの人々が都市へ移動した。都市では非農業部門の職が増え、商業、サービス業、工業など多様な経済活動が展開されるようになった。

次に進んだ2つ目の変化が経済活動の発展だ。青銅器時代の都市国家は、小規模ながらも王や支配者が主権を持ち、国家が主産業である農業生産を直接コントロールし、宮廷や寺院が経済活動を担った。都市の中心には大規模な神殿があり、宗教儀式が重要な社会統合の手段であった。

一方、鉄器時代の都市では商人階級や職人階級など新しい社会階層が生まれ、経済活動において重要な役割を果たし始める。都市は交易のハブとして発展し、域内および国際貿易が活発に行われ、多様な文化や宗教の中心地となって異文化間の交流を促した。

青銅器時代にも地中海世界の各文明間で活発な交易が行われたが、王宮などの限られたエリート層が主体となり、青銅や原料の銅と錫、神殿建設のための高価な石材、王家のための陶器など、政治や外交にともなう物品が中心だった。鉄器時代には交易の主体がフェニキア商人などに移り、交易品も染料、木材、ガラスや金属製品、オリーブオイルやワインから奴隷まで、市民が必要とするあらゆる商品が取り扱われるようになる。

経済活動の発展にともない貨幣システムも発明された。貨幣の導入以前は物々交換が基本で、自分が必要とする物を持っている人を見つけ、さらにその人が自分の持ち物を必要としているという「二重の偶然の一致」が必要だった。このプロセスは非常に効率が悪い。青銅器時代の交易を宮廷がリードしていた理由のひとつは間違いなかこれだろう。貨幣導入前のマッチングはただでさえ難しいのに、規模が大きくなると複雑さを極める。外交儀礼的な役割も大きく、厳密に価値を揃える必要のない宮廷間交易だからこそ成立したとも言える。
貨幣の導入で、この複雑なマッチングプロセスが不要となり、迅速かつ大規模な取引が可能になった。

物々交換では物の移動が必要となるが、貨幣は持ち運びが容易で国際的な市場にも参入しやすく、経済活動がグローバルに発展する土壌が整った。貨幣は異なる商品やサービス間の価値を比較可能にするため、生産者や消費者は合理的な経済判断を下せるようになり、市場経済の効率が向上した。

このように経済活動が多様化すると、会計や記録の重要性が増す。ここに3つ目の変化が現れる。かつては宮廷書記などに限られていた文字の利用が商人などに広まり、文字体系と記録媒体の浸透が進んだのだ。

ギリシャ人は、青銅器文明崩壊後に地中海貿易を支配していたフェニキア商人と密接に交流し、彼らのアルファベット文字の方が会計業務には便利であるため、取り入れたと考えられている。

ギリシャ人は歴史上初めて、子音と母音を系統的に表した民族である。それ以前に考案されたどの文字体系よりも話し言葉を忠実に再現でき、言語の音声を「文字で転写すること」を成し遂げた。わずかな調整を行うだけで、地球上のどんな言語も伝えられるようになったのだ。紀元前5世紀には、書物はパピルスの巻き物になっていて、20メートル以上の長さのものもあった。

東アジア最古の表記システムである中国文字は、おそらくメソポタミアの文字体系の借用が起こったと考えられるが、文字自体は明らかに独自のものである。中国文字は音素と意味をあわせ持つのが特徴で、その表記システムは周の時代には完成し、字体は秦の時代に標準化が行われた。文字は竹や絹、木片などに、筆と墨を用いて書かれた。

文字が広く使われるようになると、知識を口頭で伝えるだけでなく、書面に記録して保存できるようになった。過去の知識が時間や地域を超えて多くの人々に参照され、新しい理論を組み立てる基盤となった。哲学や科学の複雑な概念や理論は、文字による記録と正確な伝達があってはじめて体系的な発展が可能となったと言える。古代ギリシャでは、哲学者たちが著作を通じて理論を展開し、他の学者からの批判やコメントを受けることで、思想が深まっていった。

平易な文字体系が浸透すると、教育の機会も拡大され、多くの人々が読み書きを学ぶことができるようになった。哲学や科学を学ぶ層が広がり、その発展を担う人材が充実すると同時に、書物の普及によって一般の人々も古典的な文献や新しい学説に触れることができ、知識の民主化が進んだ。

こうして、鉄器の普及は、余剰生産力の拡大、経済活動の発展、文字体系と記録媒体の浸透という、生産的な変化を人類社会にもたらした。人類がその内面世界で試行錯誤を重ね、哲学や科学を発展させる基礎をもたらしたのである。

しかしながら、またしても人類の歴史は線形には進まず、試行錯誤に陥る。鉄器の普及という歴史的なイノベーションにも技術進歩の二面性はついて回った。軍事衝突の増大という破壊的変化も引き起こしたのだ。

鉄器の普及で破壊的に進化した軍事技術は、古代の社会構造、政治的なパワーバランス、戦争の性質を大きく変えた。鉄製の武器はそれ以前の青銅製の武器よりもはるかに硬く、耐久性があり、剣や槍はより鋭い切れ味を持ち、破壊力を増した。鉄資源は青銅に比べて入手しやすかったため、より多くの兵士が殺傷力の高い武器を使用するようになった。防具も同様に改良され、より強固なヘルメットや鎧が普及した。効果的な武器と防具は集団での密集隊形戦術を発展させ、戦闘の規模と激しさが増した。鉄製の兵器が戦争をより「効率的」にしたことは、戦闘のあり方を変え、大規模な侵略戦争を増加させ、多くの人々が命を奪い、戦争が社会の不安定要因となる時期も増えたのである。

鉄器を駆使した軍事力はいくつかの文明で帝国を形成し拡大する基盤となった。アッシリア帝国は鉄製武器を用いた軍事力を背景に中東地域を征服し、文化の抑圧や搾取を引き起こした。軍事的な成功が権力の源泉となる社会では、戦士階級や軍事指導者が社会上層部に君臨することが増え、戦争による略奪や植民地からの資源の流入は、一部の層に富を集中させ、経済的な不平等を助長した。

この鉄器が人々にもたらした不安と不幸、社会に拡大した不条理もまた、人々に内面世界での試行錯誤を強いたのであった。余剰生産力の拡大、経済活動の発展、文字体系と記録媒体の浸透は、人類に内面世界で試行錯誤を重ねる余裕と深める術を。そして軍事衝突の増大は、内面世界を強いる状況を、それぞれもたらした。鉄器の普及は紀元前一千年紀の人類社会の成長性を大きく高め、そして新たな人類の岐路となったのであった。

 

次なる人類の岐路は「(7)2千年前ー包括的政治制度の萌芽と巨大帝国の成立

」だ。

(5)4千年前ー古代グローバル文明の形成と崩壊。次代への試行錯誤」はこちら。