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試行錯誤の軌跡:人類の歴史を探る(3)6千年前ー情報の記録。数千年の試行錯誤で完成した唯一の文字体系

温暖化した地球上で定住を拡大し、社会的な試行錯誤の幅を広げた人類が迎えた次の岐路は、情報の記録を可能する、文字体系を確立したことだ。

5千年前ー情報の記録

人類は数万年前から、動物の骨に刻み目をつけたり、洞窟に絵文字を描いたりして、ものごとを記憶する補助としてきた。定住の拡大にともない交易や農業などの経済活動が盛んになると、人々はどうにかして原料、生産品、働く人、戦う人、畑の広さ、収入と支出などを管理しなければならなくなった。それまで使っていた記憶術ではもはや不十分で、何か全く異なる新しい方法が必要になった。おそらくそれが世界最古の図形的象徴をもたらし、長い期間をかけて完全な文字として確立していったと考えられる。

スティーブン・ロジャー・フィッシャーの著書、『文字の歴史』によれば、完全な文字は、次の3つの基準を満たす。

  1. 意思の伝達を目的とする。
  2. 紙などの表面に書かれた、書記のために作られた記号の集合体である。
  3. 音声、話しことばを系統だてて整理し、それに対応する記号を使う。

文字の起源をたどると、研究者が何のためのものかと首をひねっていた粘土製品に行きつく。直径2cm 前後の幾何学型の粘土の小片と、それが入った直径10 cm ぐらいで中空の粘土の球である。小片は英語で「しるし」の意味を持つ「トークン」、球はラテン語で「球」を意味する「ブラ」と呼ばれ、最古のトークンは紀元前8千年紀に作られたようだ。

中東では、おそらく何千年もの間、小さな粘土製トークンを、伝票のような勘定道具として使い、物資の数を記録していたのだろう。粘土は、中東では豊富に手に入り、加工も修正もしやすい。保管も極めて簡単で、ただ日に当てて乾かすか、焼けばいい。特に重要なのは、集まった情報を表す図形が簡単に刻めることだ。紀元前4千年紀になると、この小さな粘土の勘定道具の使い方に変化が現れた。粘土製の球、ブラでトークンを包むようになり、ついで、ブラの外側に記号が刻まれ、ブラを割らなくとも、中にどの商品のトークンがいくつあるかが、わかるようになったのだ。

ブラへの印の付け方はルール化されていった。例えば、1つのブラの中のあるトークンはヒツジ1頭を表し、そのブラの外側に描かれた模様は、中にあるトークンの形を表す。外側の平面図形による象徴は、内側の立体的なトークンという象徴の代わりになり始めた。同時にシュメール人たちは、異なった形の数え石で数を表す方法をも編み出した。数え石はブラの外側に押し付けられて模様となり、今やブラの外側から、中に何のトークンが何個入っているかを「読む」ことができた。

このトークンシステムと完全な文字の間をつなぐものが、粘土板だ。ユーフラテス川下流のウルクから発掘された 最古の粘土板は紀元前3300年に遡る。初期の粘土板には、少なくとも1500の異なった絵文字と象徴があり、それぞれが1個の具体的な対象を表していた。やがて表現力を増すために、ひとつの絵文字で異なったものごとを表す方法が考え出された。Cook が「料理人」と「調理する」、Drink が「飲料」と「飲む」、名詞と動詞の両方を意味するようなものだ。さらに、「目」と「水」、2つの絵文字をくっつけて「泣く」を表した。

より多くのことを伝えたい、曖昧さをなくしたい、などの人々の願いを実現するために、さらに新しい方法が生み出された。ひとつの象徴の「音」をその「意味」から切り離し、あらゆる音を網羅する記号の体系を創造することだ。日本語でも、服の襟が重なる様子を象徴する「衣」という漢字から 「え」という音を表すひらがなが生まれ、もとの意味と切り離されて使われている。このように文字体系で話しことばの音のほぼ全てを表現することが追求されていった。

シュメール人は「判じ絵の原理」によってそれを可能にした。判じ絵とは絵で表すなぞなぞで、この原理は、同音異義語を利用し、話し言葉の中の1音節を1つの絵で表すというものだ。英語で例えるなら、単語「眼(アイ)」が「私(アイ)」を、「道具の「ノコギリ(ソー)」は過去形の動詞「見た(ソー)」となり、普通名詞「くちばし(ビル)」は人名の「ビル」となった。こうなれば、眼とノコギリとくちばしの絵を使って「私はビルを見た」という文を「書く」ことができる。

シュメール文字体系の表音文字化は千年以上かけて少しずつ進み、その考え方は、西はナイル川、東はインダス川にまで普及していく。それぞれの地域で使われる文字自体は、表したい話しことばの音の違いや、利便性の徹底もしくは曖昧性の排除など、文字に求める期待に応えながら、違う形に発展していく。

多くの学者はまだ、文字は世界各地に個別の起源を持つもの、と信じたがっている。しかし、多くの証拠から、完全な文字という発想は人類史上一度しか現れなかった、と考えざるを得ない。メソポタミアのシュメール人は、ひととおりの標準化された絵文字と象徴から、その後の人類にとって最も用途の広い道具になるものを編み出した。おそらく他の文字体系はすべて、この唯一無二の原型の派生物であろう。

東アジア最古の表記システムである中国文字は「どこからともなく」紀元前二千年期の後半に、ほぼ完全に発達した形で中国北部に現れた。この発達段階の欠落は、外部から体系の借用があったことを示唆している。中国最古の碑文はメソポタミア文字との類似点が多く、紀元前2千年紀中頃に基本原則の借用が起こったのだろう。ただし、判じ絵方式で中国語のみ表すことができる中国文字そのものは、独自のものに違いない。

もうひとつ、独立した文字の発明と多くの学者が言及するのが、メソアメリカの文字だ。紀元前7百年頃のメソアメリカ文字の文章は象形文字が2つか3つ並んだ簡単なものだが、紀元前6百年前のサポテカ人の石碑から、突然音声配列に対応する体系が現れはじめる。この体系には、紀元前一千年紀の中国文字と多くの共通点がある。

世界中のあらゆる文字の背後にある体系は、一つの原型から派生した可能性が非常に高い。文字体系とは、それほどまでに途方もない試行錯誤が必要なもので、社会的ニーズを満たすべく人類がコツコツと磨いてきた作品なのだと考えると、感動的ですらある。こうして生まれた新しい記録媒体を使い、人類はまた、経済活動と国家運営という、新たな試行錯誤を進めていく。

 

次なる人類の岐路は「(4)4千年前ー領域国家の成立。それぞれの社会に必要なあり方の選択」だ。

(2)1万2千年前ー定住の拡大。社会的な試行錯誤の進展」はこちら。