花も実もある楽しい読書

人生とテニスに役立つ本

為末大さんの『熟達論』に基づき、週末テニスプレーヤーが熟達を図る

為末大さんは「死ぬまでに現代版の『五輪の書』を書いてみたい」と本書の執筆を始めたそうだ。自分も40年続けてきたスポーツで伸び悩みを突破して「熟達」を図るべく、五段階の教えを自分のテニス落としめるよう、試行錯誤の軌跡を継続的に更新していきたいと思う。

 

第一段階  不規則さを身につける

遊びとは何か

熟達に至る道の第一歩は「遊び」だと言う。そもそも週末プレーヤーにとってテニスは「遊び」。遊びとは一定のルール内で工夫を凝らして成果を出すことを楽しむものだとすると、そもそも気の合う仲間で集まって楽しめる練習を成立させる工夫も遊びだ。第二段階の「型」が見えてくると、練習相手のスキルに関わらず「型」を磨く機会として楽しめるようにもなる。緊張して固くなってしまう公式試合の序盤も、まずは「型」通りに始め、さらには第三段階の「観」を心がけ、自分と相手の持ち味を比較してどう工夫するか、と遊ぶ余裕も出てくる。自分なりの「遊」は、熟達の始まりであるとともに、螺旋的に、時々立ち戻ってくるべきステップだ。

心の中の「子供」を守り切る

好奇心を引き出し、行動させるためには「何らかのフィードバックが得られる」という事実を体験させるのが一番だ。義務だと感じさせず、けれどもまったくの自由でもなく、あくまで自分の意思で進んでいると思わせるインセンティブを仕掛ける。主体性を保つということは、心の中の子供を守り切るということである。心を大事に扱い、生き生きとさせておくことが主体性を活性化させ、やってみようと思う挑戦心を引き起こし、変化やレスポンスを起こし、学びを生む。心はまさに遊びの感覚の中心にある。

第二段階  無意識にできるようになる

型とは何か

土台となる最も基本的なもの。目指すのは何も考えなくてもそれができる状態。走る行為における型とは「片足で立つこと」だそうだ。トップスプリンターは1秒間に5回転弱足を回転させ、腕も足も目まぐるしく大きく動かす。そのすべての推進力は、片足が着地している約0.1秒間に生み出されている。為末さんは25年間競技をやっていた最後の瞬間まで、どうしてもっとうまく片足で立てないんだと悔しい思いをしたそうだ。

テニスにおける土台は何か。リターン、ストローク、ボレー、スマッシュ。自分の力だけで打つサーブ以外は、全て相手の返球に対する準備である「スプリットステップ」から始まる。相手が球を叩く前に軽くジャンプし、空中で相手の打球方向を見極め、着地でコートからの反力を生かして軸足を決めにいき、体重をかけながら球を叩く。

テニスは、前後左右に動かねばならず、相手や環境やメンタル次第で不確実性があり、相手の打球に瞬間的に反応して、一人でショットの選択を判断する必要がある。これらに対応して実力を発揮する準備が必要になる。この土台がスプリットステップであり、そこからの軸足セット、踏み込み、体重移動だろう。

為末大さんは、現役時代に何度もスランプになったが、毎回戻る原点が片足で立つことだったという。まず片足で立ち、反対の足を上げる。あげている足を下すと同時に着いていた足を上げる。その場で、足踏みをすることをただ繰り返す。シンプルな動きだが、いつも、このトレーニングで片足で立つ感覚を取り戻していたそうだ。

私も公式戦の前には多少のアップをするものの、よく緊張して凡ミスを繰り返してしまう。毎ポイントを「安定した状態」から始めるために、試合前も試合中も、「再現性のある準備」を行うべきだろう。まずスプリットステップという「型」を体に染み込ませる。試合では、必ずポイントごとにリスタートするスポーツである性質を活かし、ポイント間で「型」を確認するためにルーチン化して再現性を高める。さらにはポイントの度に意識のリセットを行うことで判断と反応の質を高めることができるはずだ。

型は遊びを発展させる

スプリットステップなど意識せず、ただひたすらにストロークやボレーを続けるとどうなるか。ある程度はうまくなっても限界が来る。スプリットステップで準備することなくボールに向かっていっても、多くの場合、正しい打点に入ることができない。スプリットステップなしにネットダッシュすれば、突き進む方向以外にボールが来ても方向転換できない。スプリットステップを入れて、打球の方向を見定め、また動く。正しい体の準備が出来て初めて、落ち着いてボールの行方を見て、軸足をセットし、踏み込みからの体重移動でボールをどこに向けて運ぶかを調整する余裕ができる。つまり基本となる型を手に入れることで、上の階層で遊べるようになるのだ。

模倣とは観察と再現

具体的に型をどのように手に入れるか。何度も観察をしてそれを頭の中で再生してみる。それを繰り返していくうちに段々と特徴がわかるので、今度はそこに意識を向けるようにする。YouTubeで動画を見て今さら気づく。サーブ&ボレーのスプリットステップは、止まって「打つ」ためではない。止まって「見る」ためだ。だとすれば、スプリットステップのタイミングは、打つために止まるよりも、だいぶ早いはずだ。見たら、もう一度ネットに詰めてボレーする。

次に観察して通りに再現する必要がある。どうやって再現するのか。模倣している相手を観察しながら、動きが同じになるように、意識するところを変える。スプリットステップ、軸足セット、踏み込み。この3段階の動きが身につきにくいなら、そのリズムを自分なりの方法で定着させる。◯、◯、◯。インカレダブルスで優勝した臨時コーチが、自分の名前を唱えながらステップを踏むとリズムを定着させやすいと教えてくれた。◯は、動きを引き起こすスイッチである。最終的に目指すのは無意識にできることだ。

第三段階  部分、関係、構造がわかる

「見る」とは「分ける」こと

「型」を手に入れると、最も基本的な行為が無意識にできるようになり、別のことに注意を向けられるようになる。深く観察し、一つ一つを部分に分けて、互いの関係がわかるようになる。

ファーストボレーのスプリットステップの型が手に入ると、他の技術の改善点も見えて来る。ファーストボレーのスプリットステップをしっかり入れて、次の準備が自然と出来るようになれば、相手のリターンのコースを落ち着いて見定められるようになる。その上で、スプリットステップ後に軸足を決めて一歩踏み込めれば、サイドに振られてもボールを追いやすくなるし、ファーストボレーをしっかりと押せるようになる。

このような細分化を起こすには、結局のところ量が必要となる。量が蓄積されるとパターンを形成し、そのパターンを理解するのだ。理解は蓄積された量に比例して徐々に起こるのではなく、突然起きる。正しい「型」を見つけて、意識して行った量が閾値を越えた時、質が変化する。自分も大会で初めてベスト8の壁を破れて実感した。スプリットステップという「型」を意識し始めたことで、見ること、分けることができて一気にレベルアップ出来たのだ。

「うまくいく」とは、構造が機能しているということ

誰かの技能を見て、それを生かせるかどうかは構造のこの理解の有無にかかっている。私がトップ選手の真似をしてもうまくいかなかったのは、表面に見えている特徴しか分かっていなかったからだ。

リターンを打つ際、錦織やマレーは大きく左足を出して構え、そこから一歩飛び込んでスプリットステップを踏む。後ろから前への動きを生かしてボールを押すためだ。一方でジョコビッチはシンプルなスプリットステップで小さく踏み込む。

私がリターンを打つ際にまず機能させるべき構造は、まず、どんなサーブがどちら側に来るか見極めるためにベストなタイミング、すなわちサーバーがラケットにボールを当てるミリ秒前に、スプリットステップで着地して動き出す準備をすること。そう考えると、錦織型でもジョコビッチ型でもいいので、タイミングよくスプリットステップを入れることこそが大切だ。そしてしっかりと軸足を決め、ボールを引きつけて正しい打点で、踏み込んで打つこと。

構造がわからなければ表面に見えている結果だけを追いかける羽目になり、本質を掴めない。為末さんのいう通りだった。

俯瞰の技術

対象を観察する時、「俯瞰」と「集中」の二つの視点を使い分けることで精度が上がるという。人間は集中すると、対象はよく見えるが、むしろそれ以外の変化には気づきにくくなる。テニスではボールをガットで捉える瞬間は一点に集中する。時速150kmを超える球を正確に叩こうとするときに、球ではなく、自分が打つ方向などを見ている場合ではない。一方、それ以外のときは相手の位置や自分の状況を俯瞰で見る。特に大事な瞬間は、相手がどこに打つかを判断するとき。ここでも「型」が役に立ち、スプリットステップを踏むことを、俯瞰で見る「スイッチ」として使うのだ。

スポーツでは上級者になるほど、視点が動かなくなるという。慣れてくると押さえておくべき数点を行き来するようになり、最終的に焦点がなくなり、ぼんやり眺めるようになる。テニスで押さえておくべき数点とは、相手のグリップやスタンスなどだ。特にダブルスの前衛では、この俯瞰的な観察を行なって、ポーチのチャンスを狙ったり、ストレートアタックに対処したい。

第四段階  中心をつかみ自在になる

自然体とは、自在になること

中心を確立できると、人は自在になることができる。自分が取るべき位置が安定するので、自然に、無理をせず、力みがない状態を取れるからだ。立ちながら脱力するためには、立位の姿勢を保つ部分に力を入れておく必要がある。全ての力を抜けば全身が崩れてしまうから、最低限維持する力は必要だ。「リラックスする」「脱力する」ということの本当の意味は「必要な部分のみに力を入れ、それ以外の力を抜く」ことである。要するに自然体とは徹底した合理化ということだ。

テニスで言えば、スプリットステップ後のパワーポジションがそれだ。傾きがない状態だから、多くの方向に瞬時に直接本来の力が出せる。前衛でポーチに出る場合、相手のテイクバックにあわせてポーチに出られる場所まで詰めることは大切だ。ただし、相手がヒットする直前にはスプリットステップを入れ終えて、完全にニュートラルに待つ。そうすることで、クロスに甘い球が来ればポーチに出れるし、正面やストレートパスにも対応できる。

滞りがないと、動きは美しい

「心(シン)」を掴めると、力の出し方も変わっていく。中心から末端に力を流せるようになり、より自然な形で大きな力を生み出せる。中心が掴めていない状態は、どこかに偏りがあり、その姿勢を保つために力が使われている。サーブの練習で腕ばかりが疲れるのは、中心が掴めていないために、末端である腕が補正しているからだ。しっかり曲げた右足から力をもらって、ショルバー・オーダー・ショルダーの動きで右肩が左肩を追い越していき、左足でブレずに着地する。この全身運動でサーブが打てていれば、心が掴めているということだ。

ストロークを打つ際に軸足と踏み込み足を使わなければならないのは、それが中心だからだ。まずそこで大きな力を生み出し、その後腕に力が伝わっていく。中心である足の力が発揮できなければ、腕で何をやってもスピードとパワー、安定性は生み出せない。ボールを手だけで打ちにいかずに心で捉える、ラケット面で長く捉えて全身で押せるよう、しっかりと引きつけてボールの「芯」を食うことが大事だ。

もちろん中心が重要だからといって、中心の力を末端に連動させられなければ意味がない。だからこそ「遊」で、思い切り動くという経験をしておく必要がある。思い切り動けば自然と連動が促されるからだ。改めて、連動の流れを意識して各ショット素振りをすることは意味がある。本来は素早い動きで行うものをゆったりとした動作に変化させることで、見せかけでごまかしてしまわないようにできる。中心をしっかり掴んでいれば緩急も自在になる。

リズムが連動を生む

型を手に入れ構造がわかるようになると、徐々に漠然としたまとまりではなく、ここを押さえればうまくいくという点を見つけられるようになる。「心」を捉えると、自分のリズムを内側に持てるようになる。だから良いリズムが何かがわかり、「流れが良くない」「タイミングがおかしい」という感覚で、リズムのずれを素早く検知することができる。例えば「ダダダ」「グイッ」などのオノマトペ言葉には、リズムが組み込まれている。運動における上級者はこのオノマトペを頭の中で意識するだけで、動きを変化させることができる。うまくいかない時も意識的に変えて良いリズムに引き戻していく。

リズムを合わせることで速球への対応がしやすくなるし、相手のリズムがスローな時にも使える。相手のリズムでのラリーを続けずに、自分の型から型へつなぐリズムを頭の中で意識する。スプリットステップから、打球へ詰めに行ってリターン。サービスライン内側に入ってスプリットステップし、打球方向を見極めてさらにネットダッシュしてボレーアタック、スプリットステップから自然体で待ち構え、最後はチャンスボールを仕留めるのだ。

「諦めること」で個性を活かせる

この場合「諦める」とは自分を卑下することでも、何かを断念することでもない。等身大の自分の特徴を受け入れることだ。もし勝ちたいのなら、自分の特徴が活かせる場所を選ぶことは絶対条件。私には縦横無尽にコートを駆け回る体力も、リズミカルにストロークでハードヒットをするセンスもない。しかし背が高く、ネット際でボールを押し込める。熟達者が「他にないその人らしさ」を持つのは、個性をあるがままにとらえ、その中心を掴んでいるからだ。型を手に入れ、破り、オリジナルに昇華させているのだ。

第五段階 空 我を忘れる

意識する自分からの解放

市民テニストーナメントの四回戦で負けた後、酔ったペアから「どうしてそんなに力が出せないんだ」と叱咤激励されたことがある。練習試合では自分が勝てると思って出せている力が、相手が強いかもと思い込みがちの公式試合では出せていなかった。私たちは常に何らかの「思い込み」の中で思考している。人間は「当たり前」や「常識」などによって構成されている思い込みには無自覚だから、制限の中で思考しているという感覚は浮かばず、全く自由だと感じている。

スポーツの世界では有名な話で、1954年までの10年間、マイルレースの世界記録は4分の壁を目前に足踏みをしていたが、1人の選手がついに4分切りを果たすと、その後の3年間で15人が4分を切った。2017年までの19年間、100m走の日本記録は10.00秒のままだったが、1人がついに壁を破ると3人が続いた。「思い込み」が書き換えられると、可能性の範囲が大きく広がるのだ。

2年かかったが同じトーナメントで四回戦までをしっかり勝ち抜き、思い込みは書き換えられたはずだ。ここからさらに次のステージへ向けて自分を解放できるか。次なるチャレンジ、新たな探求だ。