花も実もある楽しい読書

人生とテニスに役立つ本

『言語の本質』を読んでホモ・サピエンスの認知革命の原因を理解する

これはすごい本だ。世界的ベストセラーが置き去りにした疑問に答えをくれる。

『サピエンス全史』でユヴァル・ノア・ハラリ氏が提唱した認知革命。革命的に脳の突然変異が起きたかは別として、約7万年前から4万年前に、ホモ・サピエンスに認知的な革新が起きて、他の種を圧倒して進化してきたことは、多くの学者が認めるところらしい。

この認知的革新おかげで、虚構、すなわち抽象的な考えを、言葉にして共有しあうことができるようになった。そして虚構を神話や法律などにまで磨きあげ、それを信じあうことで、ホモ・サピエンスは大規模に協働できるようになった。

「なぜそれが起こったのかは、私たちの知るかぎりは全くの偶然だった。重要なのは原因よりも結果を理解することだ」と『サピエンス全史』ではさらっと流される。

虚構を言葉にして、信じあう。なぜ我々だけがそれをできるようになったのか。ハラリ氏がスキップした問いに、今井むつみ、秋田喜美両氏が本書を通じて納得のいく仮説を提示してくれた。

対称性推論をするバイアスがあるか否か。これが、ホモ・サピエンスと動物、我々とネアンデルタール人の違いを生み出したようだ。

対称性推論とは、「AならばB」とすると「BならばA」という双方向性があると考える推論。言語という記号体系を赤ちゃんが構築していく第一歩は、「すべての対象には名前がある」、そして「名前とは”ことば”と”そのもの”の双方向性から成り立っている」という2つの洞察に基づく。

「くつ」という名前を覚えた赤ちゃんは、「くつを取って」と言われたら「くつ」を取る。我々にとっては当たり前のこの双方向性が、実は動物にとっては当たり前ではない。積み木に割り振られた記号を覚えさせられたチンパンジーは、積み木を見て正しい記号を選ぶことができる。しかしそれでも、記号を見て、対象となる積み木を選ぶことはできない。人間の赤ちゃんはみんなできるが、チンパンジーの場合は、特殊な個体のみができる場合がある、ということらしい。

7万年前に、ホモ・サピエンスは環境変動などにより5千人ぐらいまで個体数を減らしたようだが、この時に生き残った集団に、対称性推論をしがちなバイアスがあったのかもしれない。

対称性推論は、いつも論理的に正しいわけではない。「AならばB」は、必ずしも「BならばA」ではない。ペンギンならば鳥だが、鳥ならばペンギンではない。だからチンパンジーが、この積み木はこの記号、と学習しても、この記号がこの積み木、と選べないのは論理的に正しい。人間のあたりまえが過剰な一般化なのだ。

全ての対象には名前がある、名前とは”ことば”と”そのもの”の双方向の関係から成り立っている、という洞察は、必ず正しいとは限らない仮説である。しかしこの過剰一般化、対称性推論をしようとするバイアスによって、ホモ・サピエンスはあらゆるものにことばを割り振り、言語という巨大なシステムを構築した。言語と仮説にもとづく推論を駆使することが、目では観察できない抽象的な類似性、関係性を発見し、知識創造を続けていくというループの端緒になるのだと筆者たちは考えている。

 

『サピエンス全史』にこんなエピソードがある。サバンナモンキーはさまざまな鳴き声を使って、「気をつけろ!ワシだ!」とか「気をつけろ!ライオンだ!」といった警告を発することができるらしく、鳴き声の録音を聞かせると、上空や地上を警戒する。きっとサバンナモンキーは、「キーッ」という鳴き声で「敵が地上から近づいてきたぞ」と伝えられるのだろう。けれど「ライオンを遠くで見かけたから近づいて来るかもしれないぞ」といった推論が可能か、推論に基づく対策を立てられるかといえば、まず無理だ。ハラリ氏がいう「虚構」を信じる能力の土台は「仮説」を考えやすいバイアスであり、それこそがホモサピエンスを後押ししたのだ。

それが人類の進歩だとすると、日々の暮らしや仕事でも、アイデアを言葉にしてシェアし、仮説をぶつけ合ってより効果的、効率的なソリューションを、協働して作っていきたいと思う。