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『ホモ・デウス』歴史を通じて人類を発展させてきた方程式を考える

サピエンス全史』でハラリ氏は、人類の歴史を振り返り、認知革命、農業革命、科学革命が、が人類を発展させてきたことを教えてくれました。第二弾の本書では、認知、農業、科学という新しい力を活用するために欠かせなかった「虚構」という要素を深堀していきます。宗教ともイデオロギーとも物語とも言いますが、人類の発展にどのような役割を果たし、これからどうなっていくのかを、考えさせてくれます。

第1部で、著者は人類の歴史を踏まえて不吉な予測を立てます。人類は「飢餓、疫病、戦争」との戦いに勝利を収めつつあると言います。一方で新たな挑戦を欲する可能性が高いと。それが「不死、幸福、神性」です。

再生医療を駆使して寿命を伸ばす。60歳の人間が20代の外見や身体能力を維持する。サイボーグ化による身体アップグレードや、遺伝子操作によるデザイナーベビーが当たり前となる。それらの技術にアクセス可能な一部が超人、ホモ・デウスとなり、ホモ・サピエンスと分断される世界。

これらが技術的に可能となることは間違いなく、やらない理由もないと著者は言う一方で、この予測の意義をこのように語ります。

この予測は、予言というよりも現在の選択肢を考察する方便という色合いが濃い。この考察によって私たちの選択が変わり、その結果、予測が外れたなら、考察した甲斐があったというものだ。予測を立てても、それで何一つ変えられないとしたら、どんな意義があるというのか。

第2部では、認知革命、農業革命、科学革命の三段階を踏んで発展してきた人類が、「人間至上主義」という教義を信奉するようになる流れを追います。

人類とその他の動物に共通する大切な点は、自らの生存と次世代を残すための繁殖の確立を高めるために、自然選択を通じて、迅速な判断を可能にする「アルゴリズム」を研ぎ澄ませてきたことです。

メスのクジャクがオスのクジャクを見て「魅力的!」と思うとき、コンビニの棚に並ぶチョコレートのパッケージを見たときと似たようなことが起きています。オスの体に反射した光が、メスの目の網膜に当たると、膨大な歳月をかけて進化が磨きをかけたこの上なく強力なアルゴリズムが作動します。それはほんの数ミリ秒のうちに、オスの外見上のわずかな手掛かりを繁殖の確立に変換し、結論に達します。人生でもとりわけ重要な選択も含め、私たちが下す決定の99パーセントは、情欲と嫌悪感など、情動というアルゴリズムに基づいているのです。

このアルゴリズムは動物が数億年に及ぶ自然選択を通じて共有する遺伝子に基づいているので、人類が滅ぶまで一定だと考えられます。一方で人類はアルゴリズムとは別に、生存と繁殖の確率を高める為の新しい力を、認知革命、農業革命、科学革命を通じて劇的に強化してきました。

約7万年前、人類は脳の突然変異によって、抽象概念を共有できるようになる認知革命に遭遇。祖先の霊や貴重な貝殻などの物語を共有して、ときには数千ものサピエンスが効果的に協力できるようになりました。

次いで約1万2千年前、農業革命のはじまりによって、単位面積あたりで養える人口が圧倒的に増加します。収穫物の貯蔵、定住化を通じて財産がうまれ、それを管理する書記体系、財産を交換する貨幣という相互信用のツールの発明により、何万、何十万人という単位での非常に大規模な協働も可能になりました。

そして5百年前に始まった科学革命。政治と経済が科学の研究を支援し、科学が力、資源の獲得に寄与、再投資される成長サイクルが、帝国主義、資本主義の中で発展していきます。国家は何千万人という単位で、国民を産業化、戦争に駆り出すことが出来るようになります。

これらの3つの革命を経て生まれた新しい力は、そのままだと我々が持つ情動のアルゴリズムときれいにはまらない部分、つまり情欲をそそらない、むしろ嫌悪感を生んでしまう問題点もあったはずです。人類の歴史は、革命的な力を生み出すのと並行して、新しい力と我々が持つアルゴリズムの相性を合わせるための、虚構、ストーリーを生み出してきた歴史でもあったのです。

認知革命を通じて抽象概念を共有できるようになった人類は、万物に精霊がやどると考える、最古の宗教を生み出しました。このアニミズムにおいては、人、動物、自然、そして精霊は、それぞれが独立し、相互に依存しあう、横並びの位置づけでした。狩猟採集民族に定住、高度な分業はあり得ず、それぞれの人が自然や動物の動きなど、幅広い知識を身につける必要がありました。アニミズムは、集団内でストーリーを共有し、知識を効果的に伝達するのに役立ったと思われます。

農業革命を迎えた人類は有神論、「神」を生み出します。大規模な共同生活を営むようになった人類は、神の名のもとに人々を、人のもとに動物や自然を支配し、効率良く生産を拡大しました。それまで対等だった動物、人を使役することに、当初は嫌悪感を持つ人々もいたでしょう。神の教えのもと、神、王、人、動物、という縦の序列で人々をまとめ、政治、経済を発展させるツールとして、有神論のキリスト教やイスラム教が生まれました。

科学が発展してくると、人類は、この世は神の手によってではなく、物理法則で動いていることに気づきます。物理法則を理解した人類は、「神は死んだ」と言い、科学の大きな力を手にします。科学は力を与えますが、生きる意味は示しません。そこで人間は、答えを人間の心の中に見出すようになります。これが「人間至上主義」です。

宗教とは単に「神の存在を信じること」ではなく、社会秩序を維持して大規模な協力体制を組織するための共同主観的なものであるとすると、科学に裏打ちされた人間至上主義も「宗教」といえます。国民の人権を尊重するということは、「崇高」な思想であるとともに、政治的権利を認められた人々は、動機付けや自発性が高まり、それは戦場と工場の両方で役に立つ、とされたのです。

ここまでで、歴史を通じて人類を発展させてきた3つの要素が出そろいます。個人的に、このような式でまとめられるのではないかと思います。

  • アルゴリズム x 革命が生んだ力 x 人々を結ぶ虚構=人類繁栄の最大化

アルゴリズムとは、人類を含む動物が生存、繁殖の確立を高めるために持つ情動。

革命が生んだ力とは、認知、農業、科学という、人類の競争力を高める武器。

人々を結ぶ虚構とは、宗教など人々の協力を最大化させる共同主観的なもの。

問題は、「繁栄の最大化」が必ずしも「幸福の最大化」を意味しないことです。

ファラオ統治下のエジプトはピラミッドやダムを建設するほどの国力を持ちましたが、農奴は、狩猟採集民よりも厳しい暮らしを強いられました。産業革命後のイギリスは太陽の沈まぬ帝国を打ち立てましたが、マンチェスターの工員は、農奴よりも肉体的、精神的にきつい生活だったでしょう。

虚構は必要不可欠。広く受け入れられている物語がなければ、複雑な人間社会は一つとして機能しえません。ただ、物語は要素にすぎず、物語を目標や基準にすべきではありません。21世紀には、これまでのどんな時代にも見られなかったほど強力な虚構が生まれると著者は予測します。バイオテクノロジーとコンピューターアルゴリズムの助けを借りて。

科学革命後に生まれた人間至上主義も、自由主義、共産主義、ファシズムと分派しました。進化論的な人間至上主義の極端なバージョンであるファシズムは崩壊。共産主義のいいところを取り入れて生き延びた自由主義の最新バージョンである資本主義が、もっとも効率よく人々を協働させ、世界を席巻しました。資本主義が共産主義を打ち負かしたのは、倫理的に優れていたからではなく、テクノロジーが加速度的に変化する時代に、分散型データ処理が集中型データ処理よりもうまくいくから。共産党の中央委員会は、二十世紀後半の急速に変化を遂げる世界に対処できなかったのです。

現段階で、自由主義にとって代われる新たな宗教は存在しません。けれども、この自由主義の理想が人類を駆り立て、不死と至福と神性に手を出させようとしています。不可侵の神聖なものだとされていた人間の自由意志、情動も、実は計算したり、デザインしたり、その裏をかいたりするテクノロジーも生まれつつあります。人間の経験こそに価値があるとされていたのに、経験もまた、デザイン可能な製品として販売されるようになったとき、どのような虚構が成立するのか。

第3部で提示されるのが、データ至上主義です。

データ至上主義は、人間の経験をデータのパターンと同等と見なすことによって、私たちの権威や意味の主要な源泉を切り崩し、18世紀以来見られなかったような、途方もない規模の宗教革命の到来を告げる。ロックやヒュームやヴォルテールの時代に、人間至上主義者は「神は人間の想像力の産物だ」と主張した。今度はデータ至上主義が人間至上主義者に向かって同じようなことを言う。「そうです。神は人間の想像力の産物ですが、人間の想像力そのものは、生化学的なアルゴリズムの産物にすぎません」。18世紀には、人間至上主義が世界観を神中心から人間中心に変えることで、神を主役から外した。21世紀には、データ至上主義が世界観を人間中心からデータ中心に変えることで、人間を主役から外すかもしれない。

ホモ・サピエンスの情動というアルゴリズムは、これまではパーフェクトではなくともベストでした。しかし新しい知能、AIが誕生し、多くの分野で人間のアルゴリズムよりはるかに上手にこなすようになります。多くのことを、AIのアルゴリズムに任せておけばよいとなれば、資産を持たない無産者階級ならぬ、存在の必要性を持たない無用者階級を生み出す、ということもありえるやもしれません。

認知革命、農業革命、科学革命の時代を通じて、マンパワー、大衆の力は重要でした。人間の兵士と労働者がアルゴリズムに道を譲り無用となれば、アルゴリズムを操る一部のエリート層が、超人として、自分たちをアップグレードすることに専心する方が賢明だ、と結論づける可能性も出てきます。

このようにして自由主義がが崩壊したとき、そこに生じる空白を埋め、私たちの子孫を導いていくのはどんな新しい宗教、虚構になるのか。著者はそれを「データ至上主義」だと説明します。

あらゆるものをつなぎ、データが切れ目なく流れ、物事を最適化する社会。人間も多くのアルゴリズムとして細分化され、動物も、モノもつながれてデータとなり、データに基づいて「正しく」判断し、「正しく」行動する。

  • アルゴリズム x 革命が生んだ力 x 人々を結びつける虚構=人類繁栄の最大化

最初の要素であるアルゴリズムが、初めて人類のものからデータに基づくアルゴリズム優先となり、データテクノロジーのフル活用を、是とする虚構のもとで、人類繁栄が最大化される。そうなるともはや、人間は主体なのかわからなくなってきますね。

ただ、我々が人間だけを優先するのではなく、人間も含めた地球環境全体の繁栄を目指すとき、何らかの軌道修正が加えられたデータ至上主義は、ベストな方程式でありえるのかもしれません。

著者も回答は持ち合わせていません。しかし、大切な人たちのためによりよい地球のあり方を想像するために、下記の3つの問いを投げかけて締めくくられます。

  1. 生き物は本当にアルゴリズムにすぎないのか?そして、生命は本当にデータ処理にすぎないのか?
  2. 知能と意識のどちらのほうが価値があるのか?
  3. 意識は持たないものの高度な知能を備えたアルゴリズムが、私たちが自分自身を知るよりもよく私たちのことを知るようになったとき、社会や政治や日常生活はどうなるのか?

個人、親、社会の一員として少しでもよい人生を送るために、壮大な問いですが折にふれて考えていきたいと思います。

ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来