花も実もある楽しい読書

人生とテニスに役立つ本

『蜜蜂と遠雷』人と音楽の素晴らしさに感動する小説

 浜松ピアノ国際コンクールをモチーフに描かれた、三人のピアノの天才と、彼らを取り巻く音楽を愛する人たちの物語。コンクール出場者である四人の葛藤や成長は、彼らの互いを想う優しさも相まって感動させてくれます。そして楽器に縁遠い私のような読者もワクワクさせる、ピアノ曲そのものを文字化した文章。恩田陸さんの表現力は驚きです。

 日常的にクラシックを聴く習慣はありませんが、登場する各曲をBGMとして聴きながら読み返すのも、イメージが膨らんで楽しいです。音楽配信でトリビュートアルバムも数多く取り上げられています。

 以下は主役達四人をよく現す箇所のご紹介です。

 この世界から音楽を取り出せるほどに音楽に愛されながら、自分の音楽を信じ切れていない、今は脆くも無限の可能性を秘めた天才、栄伝亜夜 。

やっぱり聞こえる。雨の馬たち。それは、子供の頃から何度も聴いてきたリズムで、かつて亜夜が「雨の馬が走ってる」と言っても大人たちはきょとんとするばかりだった。今ならちゃんと口で説明できる。家の裏にある物置小屋は、トタン屋根になっている。普通の雨では、何も聞こえない。しかし、一時間に数十ミリというような大雨の時には、不思議な音楽が聴こえるのだ。恐らくは、雨の勢いが強くて、母屋の屋根からトタン屋根の上に雨水が飛んでくるのだろう。そうすると、トタン屋根の上で、雨は独特のリズムを刻む。ギャロップのリズムだ。子供の頃、「貴婦人の乗馬」という、ギャロップのリズムを取り入れた曲を弾いたことがあるけれど、ちょうどトタン屋根の上の雨はあのリズムを奏でていた。最近、YouTubeで、バンドの練習中にたまたま練習していたビルで鳴り始めてしまった火災警報器がいつまでも止まらないので、そのサイレンに合わせて即興で演奏した映像が評判になっていたっけ。亜夜は低く溜息をついた。世界はこんなにも音楽で溢れているのに。色彩のない、雨に歪む風景をぼんやり眺めていると、そんな醒めた感想が込み上げてくる。わざわざあたしが音楽を付け加える必要があるのだろうか。

 サラリーマンとして生活の糧を得ながら、自分の音楽探しに真摯に向き合おうと努力する、高島明石。

このコンクール出場が、彼の音楽家としてのキャリアの最後になることは明らかだったし、それ以降は音楽好きなアマチュアとして残りの音楽人生を生きていくことになるのだろう。でも、明人が大人になった時のために、パパは「本当に」音楽家を目指していたのだという証拠を残しておきたい。それが決め手だった。満智子や雅美、両親にもそう説明した。いや、本当は、違う。明石の中のもう一人の自分が、呟く。それは口実だ。そいつは、そう指摘する。おまえは怒りを持っているはずだ。疑問を持っているはずだ。つねづね、おかしいと思っていたはずだ。「俺が俺が」と言わないおまえ、デリカシーがあって優しいおまえ、そんなおまえが心の奥底に押し殺していた怒りと疑問。それをこのコンクールで吐き出したいと思っているのではなかったか?そうだ、と明石は答える。俺はいつも不思議に思っていた──孤高の音楽家だけが正しいのか?音楽のみに生きる者だけが尊敬に値するのか?と。生活者の音楽は、音楽だけを生業とする者より劣るのだろうか、と。

 美しく強靭な肉体、曲に対する謙虚さと深遠な理解力、周囲の感情を掴む人としての器、万能の天才、マサル・カルロス・レヴィ・アナトール。

走っている彼を見た人は、十中八九何かのスポーツ選手だと思うだろう。長身から繰り出される堂々たるストライド、盛り上がった肩と腕の筋肉。実際、彼はハイジャンプの選手だったし、ジュリアード音楽院に進んだ今も音楽家はアスリートであると思っている。行く先々で出会うピアノはまさに天候次第のトラックであり、ステージは競技場であり、ホールはスタジアムなのだ。ネットワークで繫がれ、すべてが机上のパソコンと電脳空間内で処理できる身体性の希薄な現代だからこそ、ますます生身の音楽家は強靭な身体性を求められると思う。指の長さと手の大きさに始まり、肩や手首の柔らかさ、息の長さ、呼吸の深さ、瞬発力のある筋肉、注意深く鍛えたインナーマッスルによる持久力。どれもが美しいピアニシモとフォルテシモに、曲に対する謙虚かつ深遠な理解と、余裕を持って曲を弾きこなす包容力に繫がっている。そして、彼はそのすべてを兼ね備えていた。

 普段は子供にしか見えない屈託のなさ、ピアノの前では、誰よりも優れた耳、天衣無縫のテクニック、圧倒的スケールを見せる天才、風間塵。

子供だな。ナサニエルは、まさに「自然児」としか言いようのない飾り気のない少年の様子に、一瞬毒気を抜かれた。観客の期待に押し潰されなければいいのだが。そう心配したのは一瞬のことで、お辞儀から顔を上げピアノに目を向けた少年の顔を見て、ギョッとした。なんだ、この顔は。この目の色は。出てきた時と全然違う。イヴィル・アイ(邪眼)という言葉が浮かんだのを慌てて打ち消す。だが、周囲など目に入らぬ様子でピアノに引き寄せられていく(ように感じた)少年の顔には、出てきた時のあどけなさは微塵もない。少年はぺたんと椅子に座ると、椅子を調整するのももどかしい様子ですぐに弾き始めた。えっ。ナサニエル以外の審査員も、似たように感じてぴくっとするのが分かった。たぶん、下で聴いている観客もそうだろう。会場全体が、何が起きているのか分からず戸惑っているのだ。なんだ、この音は。どうやって出しているんだ?まるで、雨のしずくがおのれの重みに耐えかねて一粒一粒垂れているような──特別な調律?そういえば、さっき調律師は後ろにあるピアノを動かしていた。あれが何か関係しているのだろうか。が、ナサニエルは内心首を振っていた。 調律だけでこんなに音が変わるはずがない。この子の前のコンテスタントも同じピアノを弾いていた。どうしてこんな、天から音が降ってくるような印象を受けるんだ? 遠くから近くからも、まるで勝手にピアノが鳴っているかのように、主旋律が次々と浮き上がってきて、本当に、複数の奏者が弾いているのをステレオサウンドで聴いているように思えてくる。そう、音が尋常でなく立体的なのだ。なぜこんなことができるのだ?ナサニエルは、自分が激しいショックを受けていることに気付いて、そのことにもショックを受けた。」

【第156回 直木賞受賞作】蜜蜂と遠雷

【第156回 直木賞受賞作】蜜蜂と遠雷

  • 作者:恩田 陸
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2016/09/23
  • メディア: 単行本