花も実もある楽しい読書

人生とテニスに役立つ本

『ライフスパン』寿命じゃなくて健康寿命だから伸ばすことに意義がある!

デービッド・A・シンクレア氏はタイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれたハーバード医学大学院教授。

文章もすごくわかりやすく面白いのですが、小気味良いのは、健康な状態なしに「寿命」だけを引き延ばすのは罪、同じくらい「健康寿命」を長くすることこそ道義的な責務だ、と明言していること。

科学の力による実現をリードするとともに、そのために必要な社会のあり方まで提言しています。

先に答えを言っておくと、現時点で健康寿命を延ばす医学的アドバイスは「食事のカロリーを減らせ」「小さいことにくよくよするな」「運動せよ」とのこと。

至極当然とはいえ本書を読めば大いに納得。終章には著者が個人的に健康寿命を延ばすための習慣も記載があります。

しかし本書の醍醐味はメインの三部。

素人にもわかりやすい例を使いながら「老化」の原因を理解させる第一章。

最新の研究をたっぷり紹介する第二章。

寿命延長が必ず引き起こす社会変化にどう対処すべきかの処方箋を示す第三章。

科学読本として面白く、社会を良くしようという心意気が気持ちいい名作です。

第一部 私たちは何を知っているのか

過去に判明した遺伝子のメカニズムから、なぜ老化が起きるのか、「老化とは何なのか」を巧みな比喩で説明します。

素人が急に「エピゲノム」とか言われても何のこっちゃ、となりますから。遺伝子はデジタル記号であることを、オーディオマニアがレコードを好む理由など、とっつきやすい例を使いながら興味を引く語り口が秀逸です。

老化は「疾患」、しかもあらゆる病気の根源であり、疾患であるからには治療できるはずだ!という本書のテーマに至ります。

第二部 私たちは何を学びつつあるのか

「長寿遺伝子」を今すぐ起動させて老化を治療するための、現在進行形の研究成果のオンパレード。

豊富すぎて少しお腹いっぱいに?でも、近い将来をベンジャミン・バトンの映画に例えたり、著者の研究成果を超えて、長寿実現のための科学技術を幅広く紹介してくれたり、引き続き面白いです。

第三部 私たちはどこへ行くのか

人類の多くがさらなる長寿を実現したら、何が起きるのか。それは幸福な未来なのか。幸福なものにするために我々はどうするべきなのか。

単に科学的成果を世に送り出すだけでなく、引き起こす社会的影響に対しても、責任ある態度をとろうと考え、活動する著者は素晴らしいと思いました。その危機感は『ホモ・デウス』と通ずるものがありますし、その解決策は『ライフ・シフト』とシンクロしていました。

 

著者はあくまで「健康寿命」にこだわっているので、建設的で夢があります。本書を読んでインスパイアされながら、楽しく健康寿命を延ばしましょう。

以下は長いですが私が感銘を受けた箇所の紹介になります。

第一部 私たちは何を知っているのか(過去)

生体内には2種類の情報があり、それぞれまったく異なる方式で符号化されている。1つめはデジタルな情報だ。この場合は二進法のように0か1かの二択ではなく、4つのうち1つの四択だ。具体的には、DNAを構成する基本単位の塩基部分にあたる、アデニン、グアニン、シトシン、チミンのいずれかである(A、G、C、T)。DNAはデジタル方式なので、情報の保存やコピーを確実に行なうことができる。途方もない正確さで情報を繰り返し複製できる点においては、コンピュータメモリやDVD上のデジタル情報と基本的に変わらない。

体内にはもう1種類の情報が存在する。こちらはアナログ情報だ。生体のアナログ情報について私たちが耳にすることは少ない。このアナログ情報が注目されるようになったのは、遺伝学者が植物を繁殖させていたときに、DNAの遺伝情報によらない奇妙な変化に気づいたからである。今日、このアナログ情報は「エピゲノム」と総称される。これは、親から子へと受け継がれる特徴のうち、DNAの文字配列そのものが関わっていないものを指す。私たちの体内の細胞1個1個にはすべて同じ遺伝情報がしまわれているのに、それぞれの細胞は何百種類もの異なる役割へと分化する。いずれの場合も、そのプロセス全体を調整しているのがエピゲノムだ

原初の地球にあった温かい池で遺伝データを長期保存するには、デジタル情報システムが最も都合がよかった。だが同時に、環境条件を記録してそれに対応するために情報を蓄える必要もあり、それに一番適しているのはアナログ形式だった。デジタル情報とは違って、取り得る値の選択肢が決まっているわけではない。だから、ほぼ無制限に様々な値を格納することができる。おかげで、一度も遭遇したことのない環境条件に対してもうまく反応できるわけだ。

取り得る値に制限がないからこそ、大勢のオーディオマニアが今なおアナログの豊かな音を好む。その反面、アナログシステムは大きな欠点も抱えもっている。私たちがアナログからデジタルに移行したのも、その欠点があるからだ。何かというと、デジタルと違って、アナログ情報は時間とともに劣化するのである。磁場や重力、宇宙線や酸素が、寄ってたかって足を引っ張る。もっと厄介なのは、コピーする際に情報が失われることだ。

この情報喪失の問題を解決すべく、今のデジタルとワイヤレスの世界に私たちを押しやったのが、MIT出身でベル研究所の電気技師だったクロード・シャノンの論文だ。情報の保持と復元に関するシャノンの発見は、老化にも当てはまるように思える。

私たちは古いDVDプレイヤーのようなものだ。遺伝子変異のせいで老化が起きるのだとしたら、それに対処するのは一筋縄ではいかない。バックアップしていない情報が失われるのと同じで、もう元に戻すことはできないからである。DVDの縁が欠けてしまえば、その再生も中身の復元ももはや不可能だ。消えたものは永遠に消えたままである。 しかし、DVDの表面にひっかき傷がついただけなら、普通は情報を回復できる。それと同様のプロセスを用いれば、若返りも可能だというのが私の考えだ。

私が主な研究対象にしている長寿遺伝子であるサーチュインは、私たちの健康や体力、そして生存そのものを司るように進化してきた。また、進化の過程で、「NAD(ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)」という分子を用いて仕事をするようにもなった。加齢とともにNADが失われ、そのせいでサーチュインの働きが衰えることが、老齢に特有の病気を発症する大きな理由の1つと考えられている。

サーチュイン酵素は、ストレスにさらされたときに生殖ではなく修復を選ぶことで、私たちの体に「じっとしている」よう命じる。また、老化に伴う主だった疾患(糖尿病、心臓病、アルツハイマー病、骨粗鬆症、さらにはがんまでも)から私たちを守っている。マウスを使った研究からは、サーチュイン酵素を活性化することでDNAの修復が進み、記憶力が向上し、運動持久力が高まり、何を食べてもマウスが太りにくくなるという結果が得られている。とんでもない与太話をしているのではない。今挙げたすべては、同じ分野の科学者たちの査読を経たうえで『ネイチャー』『セル』『サイエンス』といった一流科学誌に掲載された研究結果だ。そのうえ、こうした効果すべての根底にあるのはかなり単純なプログラムである。したがって、サーチュインはほかの多くの長寿遺伝子と比べて、人為的に働きかけやすい。どうやらサーチュインは、生命という壮大なピタゴラ装置のなかで最初のほうに倒れるドミノであるらしい。

情報をコピーすると一部が破損するように、細胞が日々分裂するたびにDNAの一部が破損していく。そうするとゲノム(遺伝情報)が不安定になり、サーチュインは修理をしに持ち場を離れる。するとエピゲノムが変化し、そのあいだは細胞のアイデンティティと生殖機能が失われる。いわばデジタルなDVDの表面に、アナログな傷がついたのだ。エピゲノムの変化が老化の原因である。

ピアノがゲノム、鍵盤が遺伝子だとするなら、それを弾きこなすピアニストがエピゲノムだ。DNAの巻きつきを緩めたり強めたりし、化学物質の標識を遺伝子に付けたり外したりしながら、エピゲノムは私たちのゲノムを使って生命の音楽を奏でている。一卵性双生児の研究からは、長寿に対する遺伝子の影響が10~25%であることがわかっている。どう考えても、驚くほど低い数字というほかない。DNAが私たちの運命を決めているわけではないのだ。

あなたがクラシックのコンサートを聴きに行ったとしよう。ピアノの巨匠が現われ、艶やかに磨き上げられたスタインウェイの前に座る。協奏曲が始まった。音楽は息を呑むほどに美しい。ところが、しばらくして、ピアニストが一か所で音を間違える。最初はほとんど気づかれなかった。ほかの部分があまりに完璧なのでミスは目立たず、懸念するほどのことではない。だが再び弾き間違いが起きる。ミスの間隔は短くなっていく。忘れないでほしいのだが、ピアノ自体には何も問題はない。ピアニストにしても、ほぼ作曲家が決めた通りに弾いている。ただ、いくらか余分な音を足しているだけだ。初めのうちは「気になる」程度だったのが、しまいには台無しになってしまう。

エピゲノム的な雑音も同じような混乱状態を生む。雑音が生じるのは、DNAの損傷などのように細胞が大きく傷つけられたときが主だ。「老化の情報理論」によれば、これこそが老化の原因である。そのせいで白髪が生え、皮膚にしわが寄り、関節が痛み始める。しかも、老化の典型的特徴の1つ1つがなぜ起きるのかもこの理論で説明できる。幹細胞の消耗から細胞の老化まで、ミトコンドリアの機能不全からテロメアの急速な短縮まで、全部についてだ。

普遍的な生死のモデル、老化の情報理論を大まかに表わすと次のようになる。

  1. 若さ
  2. DNAの損傷
  3. ゲノムの不安定化
  4. DNAの巻きつきと遺伝子調節(つまりエピゲノム)の混乱
  5. 細胞のアイデンティティの喪失
  6. 細胞の老化
  7. 病気

DNAが損傷すること自体は問題ではない。生殖に手が回らなくなるとしても、サーチュインが出動して修繕に回る。適度な毒が短期間で終わるなら、それは「ホルミンシス」として生物の生存にプラスに働く。ただし出動頻度が増えすぎると、酷使されたサーチュインが、元いた遺伝子の持ち場に帰れなくなる場合がでてくる。結果として遺伝子が混乱し、細胞はアイデンティティを失う。これが老化だ。

カロリーを制限した餌をマウスに与えると、NAD(サーチュインが機能するうえで必要な物質)の再利用を促す遺伝子が活性化する。それが寿命の増加につながっている。

現状よりはるかに長く、はるかに健康に生きるために、今すぐできることはいくつもある。老化を遅らせ、食い止め、場合によっては部分的に若返りを図ることだってゆめではない。

だが、それは正しいことなのか?

がんや心筋梗塞、脳卒中など、これまで我々はあらゆる疾患の治療法を改善してきた。しかしながら、年を取るとともに、回復力は低下し、個別の疾患を治療しても、またすぐに別の病気にかかり、伸びた寿命を必ずしも健康にすごせていない。

そして個別の疾患の治療法の開発とその治療に莫大なコストとリソースを費やしているが、それはまさに決壊した川の堤防を個別に応急処置をするようなもの。老化を疾患と捉え、力をあわせて解決策を打ち立てれば、水源に1個のダムを築くことができる。問題が起きたときにだけ介入するのでも、ただ進行を遅らせるだけでもなく、老化に伴う様々な症状を一気に消し去れば、健康寿命を延ばすことができる。

老化は、治療できる病気なのだ。

第二部 私たちは何を学びつつあるのか(現在)

健康長寿のために誰もが取り組めるアドバイス

  • まず、「食事の量や回数を減らせ」である。長く健康を保ち、寿命を最大限に延ばしたいなら、それが今すぐ実行できて、しかも確実な方法だ。
  • 私たちが動物性タンパク質の代わりにもっと植物性タンパク質を摂れば、全死因死亡率が著しく下がることが複数の研究によって示されている。
  • よく運動をする(1日最低30分のジョギングを週に5日行なうのに相当)人は、座りがちな生活をする人よりもテロメアが長く、その長さは、10歳近く若い人と同等だった。週に約6~8キロ走るだけでも、心臓発作で命を落とすリスクが45%減り、全死因死亡率が30%下がる。健康を増進する遺伝子を一番多く活性化したのは「高強度インターバルトレーニング(HIIT)」だった。これを行なうと、心拍数や呼吸数が著しく上昇する。高齢の被験者ほど、HIITによる活性化効果が大きかった。自分のしている運動が激しいかどうかは、きついと感じるかどうかでわかる。呼吸は深く速くなり、鼓動は最大心拍数の70~85%になる。当然ながら汗をかき、一息つかないと二言三言しか話せない。これが低酸素応答と呼ばれるもので、この状態は体に適度なストレスを与えるのにうってつけだ。永続的な害を及ぼすことなく、老化に対する体の防御反応を活性化させてくれる
  • 少しばかり少しばかり寒さを味わうことで、褐色脂肪のミトコンドリアを活性化させるのもいい。じつに単純なことだ。冬にTシャツ1枚で、ボストンのような街を早足で歩けばいい。褐色脂肪組織をつくるペースを上げるには、寒いなかで運動するととりわけ効果が高いようである。
  • 亜硝酸ナトリウムで処理された食品(一部のビール、塩漬けや燻製などの保存処理をした肉のほとんど、とくに加熱したベーコンなど)中には、N‐ニトロソ化合物が生成されることがすでに半世紀あまり前に判明している。以来、この化合物が強力な発がん性をもつことが確認されてきた。しかも、亜硝酸処理がもたらす災いはがんだけではない。ニトロソ化合物にはDNAを切断する力があるのだ。そうなれば、ただでさえ働きすぎのサーチュインをもっと酷使することになる。

科学的な成果と近い将来に起きること

  •  糖尿病の薬であるメトホルミン服用者のあいだで、認知症、心血管系疾患、がん、虚弱、うつ病になる確率が低減されることが確認された。しかも「若干」などというレベルではない。すでに虚弱になるリスクのあったグループでは、非服用者と比べて、認知症の確率が4%、うつ病が16%、心血管系疾患が19%、虚弱が24%、がんが4%減少している。現在、「メトホルミンによる老化の標的化」という研究が進められている。これは、老化に伴うごく一般的な病気をその根本原因から対処する初の薬として、メトホルミンを認可させようという取り組みだ。その根本原因とはもちろん、老化そのものである。基準を満たせば、老化を治療可能な病態とみなすとアメリカ食品医薬品局(FDA)はすでに同意している。実現すれば、1つの重大な転換点となるだろう。老化が「仕方がないもの」だった世界の終わりが始まる。
  • 有力なサーチュイン活性化化合物にNAD、その前駆体としてNMN(ニコチンアミドモノヌクレオチド)がある。これは、人間の細胞内でもつくられているし、アボカド、ブロッコリー、キャベツなどの食物にも含まれている。体内では、NRがまずNMNに変換され、次にそれがNADに変わる。NRかNMNを入れた飲み物を動物に与えると、体内のNAD濃度はそれから2~3時間で約25%上昇する。まるで、それまで絶食か相当な運動をしていたかのような上がり方だ。
  • 未来の私たちが30歳になったら、特別な遺伝子操作を施したアデノ随伴ウイルス(AAV)の注射を1週間のあいだに3回受ける。未来のAAVが運ぶのは少数の遺伝子である。おそらくは山中因子をいくつか組み合わせたものに、確実に作動するスイッチ役の遺伝子を付加したものになるだろう。このスイッチは、体への負担の少ない何らかの化学物質を体内に取り込んだときに「オン」になるよう設計されていて、ほかの遺伝子を活性化させる役割をもつ。AAVの注射を受けた時点では、私たちの遺伝子の機能には何の変化も起こらない。しかし、たぶん四十代半ばくらいになって老化の気配が忍び寄ってきたり、その影響が目に見えるようになったりしたら、ドキシサイクリンを処方してもらって1か月間服用する。これによって、リプログラミング遺伝子のスイッチが入る。 服用が終わったら、体は1か月かけて若返りのプロセスをたどっていく。白髪は消え、傷の治りが早くなる。しわは目立たなくなり、各器官の機能が甦る。頭の回転も速くなり、高い音が聞こえ、メニューを読むのにもはやメガネはいらない。体は再び若々しく感じられるようになる。きっとベンジャミン・バトンさながらに、35歳に戻ったような気がするだろう。薬の服用はそこで中止される。AAVは活動をやめ、山中因子も休止する。こうして、生物学的にも、肉体的にも、精神的にも数十歳若返るが、知識や知恵や記憶はすべてそのまま保たれる。若返るのは見た目だけではない。実際に若くなる。だからその先も数十年のあいだ、中年特有の痛みやつらさに悩まされることがない。また、がんや心臓病になったらどうしようと思い煩うこともない。やがて数十年が経ち、再びあの白髪が現われだしたら、スイッチをオンにする薬をまた始める。
  • 次なるパンデミックを絶対に起こさないようにすることが、バイオトラッキング革命最大の贈り物となるかもしれない。もちろん個人のレベルで見ても、バイタルサインや体内の化学物質をリアルタイムでモニターすれば途方もないメリットが手に入る。健康状態を最大限に高めて、緊急事態を防ぐ助けになるだろう。だが、集団のレベルで効果を発揮させれば、パンデミックの先手を打つことができるのだ。
  • 数億人のホルモンや化学物質の量、そして体温や心拍数などをリアルタイムに追跡することで、人々が見張り番役となって公衆衛生上の危機を未然に察知する世界。そんな世界を実現するには、誰かがそのすべてのデータを管理しなくてはならない。それは誰になるのだろうか。どこか一国の政府?国家連合?それともすべての国々の政府? いや、コンピュータ会社かもしれない。あるいは医薬品メーカーか、さもなければネット通販会社か。それとも保険会社?薬局?サプリメントメーカー?病院のネットワーク?おそらくは1つの屋根の下に、そうした企業が連携することになる公算が高い。

 第三部 私たちはどこへ行くのか(未来)

伝統的な定年年齢のあとに40年も50年も人が生きるようになったら、世界経済はどうなるのか。100歳をゆうに超えても大勢の人がきわめて健康に暮らした場合、働き方のパターンや退職時の取り決めはどう変わるのか。また、消費の傾向や医療に対するニーズ、貯蓄や投資などはどう変化するのか。データは文字通り皆無だ。

老化を病気とみなす国はまだどこにもない。国の規制当局が承認していない病気に対しては、治療薬があってもその費用は保険の対象外である。老化が病気と認定されない限り長寿薬は選ばれし者のための贅沢品だ。当然、自費で賄わねばならない。その認定がなされないうちは、老化研究の成果を手にする余裕があるのは当初はほぼ富裕層に限られる。いずれは価格が下がるにしても、政府が迅速に動いてくれないと、しばらくは非常に裕福な層とそれ以外とが大きな溝で隔てられることになる。

平等を確保する手を打たない限り、私たちは暗澹たる世界へと堕ちていくことになるだろう。そこでは超のつく金持ちだけが、自分の子どもやペットまでをも、貧しい子どもより格段に長く生きさせることができるのだ。そうなれば、富める者と貧しい者は経済の面だけで隔てられるのではない。人間としてのありようそのものに差が現われてくる。なにしろ、富裕層だけが進化を許され、貧困層は取り残されるのだ。

今後数十年で寿命がわずかしか延びない前提の控えめな人口増加であっても、ただでさえ許容量オーバーの地球にとっては負担となりえる。また、大量消費の暮らし方は状況を悪くする一方だ。このうえ寿命と健康寿命が大幅に長くなれば、社会がすでに直面している問題のいくつかは著しく悪化するおそれがある。これは、多くの優れた科学者が支持する見方でもある。

老化研究は「人間の本性に反する」とか、「神を恐れぬ仕業」などという声は存在する。所詮、科学が産声を上げて以来、こんな話は枚挙にいとまがないのだ。「自然の秩序を乱す」とどうなるか、ガリレオに訊いてみればいい。

しかし、未来については別の捉え方もできる。健康寿命も人口もかならず増加しはするが、それが世界の破滅にはつながらない未来があるのだ。その未来では、来たるべき変化が私たちの救世主となる。そのもう1つの見方で未来を眺めてみたい。

未来に関しては、肯定的な見方よりも否定的な見方のほうが受けがいい。しかし、メリーランド大学の環境科学者アール・C・エリスは、悪意はなくてもぬかりだらけの推測を拒絶する。そして、地球の環境収容能力には科学的に予測可能な上限などないと説いて、大きな非難を浴びてきた。

だが、エリスは批判ごときにはびくともしない。それどころか、『ニューヨーク・タイムズ』紙向けに署名入りの特集記事を書き、許容人数を割り出せると思うこと自体が「馬鹿げている」と切り捨てた。「地球の自然環境の許す範囲内で生きねばならないと考えるのは、人類の歴史全体を通して実際に起きてきた事実に反することである。また、おそらくは未来に起きるであろう現実をも否定している。地球が抱えきれる人数に上限があるとすれば、それは私たちの社会制度や科学技術の能力の限界から生じるのであって、環境の制約によるものではない。」

「自然の許せる限界」というものがあるのなら、人類は何万年も前にそれを超えているとエリスは指摘する。狩猟採集民だった祖先が、増えゆく人口を支えるために治水システムや農業技術を用いるようになり、しだいにそれを高度に発達させていった。以後の人類が発展を遂げることができたのは、自然の恵みに頼るだけでなく、技術を通して自然に適応する能力も組み合わせてきたからにほかならない。「人類は、生態系内で自分に適した位置を自力でつくり出す生物だ」とエリスは述べている。

先進国に多い未来を悲観する意見は、現状が並外れて恵まれていることの裏返しでもある。広く世界を眺めてみれば、世界がますます悲惨になっているという言い分は通用しそうにない。実際にそうではないからだ。過去100年にこれほど人口が増加したのは、子どもの死亡率が低下したことが大きい。1900年には36%だったものが、2000年には8%を切るまでになっている。子どもの3人に1人が5歳の誕生日を待たずに命を終える世界のほうがいいなどと、まともな人間なら絶対に思わないだろう。

私が思うに、健康な状態なしに生だけを引き延ばそうとするのは、断じて許しがたい罪である。寿命を延ばせても、同じくらい健康寿命を長くできないのなら意味がない。前者を目指すのなら、後者も実現するのが私たちの道義的な責務である。

高齢者は不健康である、先がないといった誤った固定観念のせいで、企業が優れた労働者を失うに任せているのは、なんとももったいない限りである。しかもそれが国レベルのみならず世界レベルで起きていて、まだまだ働き盛りの何百万という人々を一線から退かせている。

そんな捉え方は現時点でも間違っているし、近い将来にはなおさら見当外れになる。アメリカでは1967年に「雇用における年齢差別禁止法」が制定された。おかげで41歳以上の市民は、年齢を理由にした雇用差別から法律で守られている。ところがヨーロッパでは、ほとんどの労働者が六十代半ばで引退を余儀なくされている。大学の教授であってもそうだ。仕事に脂が乗り始めたばかりだというのに。結局は、革新を続けるために、とびきり優秀な頭脳がアメリカに流出する事態を招いている。

労働市場はピザではない。切り取れるピースの数が決まっているわけではないのだ。誰もが1切れもらうことができる。それどころか、男女を問わず高齢者の労働参加が増えることは、社会保障制度の破綻という懸念を解消する特効薬になるかもしれない。制度を維持するための答えは、人々を無理やり長く働かせることではなく、働きたい者が働くのを許すことである。元気なまま数十年間長く仕事をし、それに伴う給与と敬意とメリットを得ることができるなら、そうしたいと願う人は大勢いる。しかも、意味ある仕事を通して、人生の目的を見出すことができるのならなおのことだ。

ヨーロッパで始まった労働運動はまもなく世界に広がり、労働者の権利に革命的な変化がもたらされようとしていた。その変化の1つは、労働の歴史において前代未聞のものが誕生したことである。週末の休みだ。

労働者の必要と要求に応えて生まれたものだ。その一方で、実際にはウォートンのような事業主の利益にもつながるものだった。そして今、「創造的破壊」による世界規模の変容が近づきつつある。それは、産業革命にも劣らぬほど世界を根本からつくり替えていくだろう。世界中のどのビジネススクールでも、迫り来る激変に備えて学生を教育したほうがいい。労働者の権利を擁護する団体も準備を進めるべきだ。というのも、退職を個人の実年齢と結びつけるやり方は、ごく近い将来に時代錯誤になるからである。また、社会保障の場合と同じく、労働者年金を支える構造についても見直しが求められるだろう。今後は、スキル習得のための長期休暇をとることが労働文化のなかで認められ、いずれは法律でも義務づけられていくはずである。

これまで高齢者は差別されてきた。残り少ない人生なのだから、体にガタがきてもしょうがない、残り期間をやりすごせればよいと。歯科医が四十代や五十代の患者の口の中を覗き込んだとき、すでに仕事を半ば終えた歯がそこにあるとされてきた。しかし、これからは違う。私たちの歯も、ほかの様々な体の部分も、もっと長もちしてくれなければ困る時代が来る。

老化を遅らせることによる経済効果は計り知れない。どれか1つの、あるいはどれか数個の病気を減らしたくらいでは、大勢にあまり影響はない。1つの病気を食い止めることに前進が見られても、いずれは代わりに別の病気が現われる。しかしながら、老化自体を遅らせれば、大きな後遺症を残す病気や命に関わる病気のリスクが、すべて一度に低下することがデータから示唆されている。

老化に伴う病気を1つ1つ叩くために毎年何十兆ドルもつぎ込んでいるうちは、こうした課題を効果的に解決することなど望めない。現時点では、私たちの知的資本の多くがモグラ叩き式の医療に振り向けられている。しかし、世界には何千という研究室があり、何百万もの研究者がいる。多いように思うかもしれないが、世界で見れば研究者の人口は全体の0.1%を占めるにすぎない。モグラ叩き式の病院や医院に縛りつけられている物的・知的資本を、一部だけでも解き放つことができれば、世界の科学はどれだけ速く進展するだろうか。

2005年、南カリフォルニア大学のデイナ・ゴールドマンは、人の寿命を1年延ばすために社会が負担しなくてはならないコストも病気別に計算した。糖尿病を防ぐ新薬のコストは14万7199ドル。がんの治療薬は49万8809ドル。ペースメーカーは140万3740ドル。そして、健康寿命を10年延ばす「アンチエイジング化合物」のコストはわずか8790ドルとの答えが出た。ゴールドマンの数字が示すように、医療費危機に取り組むには大本の老化を解決するのが一番安上がりなのである。

人間が地球に与える打撃を和らげるには、色々とやるべきことがある。「モノ」の側面でいえば、科学技術によってすでに非常に大きなプラスの変化が起きている。何かというと、世界中で「非物質化」の流れが進み、何十億トンもの商品がデジタル製品や人間のサービスに置き換わっていることだ。その結果、部屋を埋め尽くしたレコードやコンパクトディスク(CD)の棚が、音楽配信サービスに取って代わられている。ときたま旅行をするために車を所有していた人が、今ではスマートフォンのアプリを開いて相乗りの予約をする。また、かつては病院の建物のかなりの部分がカルテの保管場所に充てられていたのが、今やクラウドでつながったタブレット端末で事足りている。

2016年、アメリカ科学アカデミー(NAS)は遺伝子組み換え作物に関する包括的な報告書を発表した。そのなかで指摘したのは、地球温暖化によって伝統的な農産物が育ちにくくなれば、人の手で遺伝子改変を施した植物がない限り、増え続ける地球の人口に食料を供給することができないということである。そして、遺伝子組み換え作物は、人が食べても環境にとっても安全だというNASの立場を改めて強調した。

家畜を育てて肉を得るのは環境負荷が非常に高い。だからそんなことをせずに、タンパク質に対する世界の膨大な需要をどう満たすかを考えるのだ。現在、大豆の根粒中に見られるヘモグロビンの一種「レグヘモグロビン」を主成分として、本物そっくりな人工肉製品を開発するのがブームになっている。この革新的な(そして古き良き狂気の科学の香りも漂う)技術を用いると、現状より水の使用量を99%減らし、土地の使用面積を93%減少させ、温室効果ガスの発生を90%削減できる。

飲用可能な真水不足の問題解決に成功した1つの事例がラスベガスである。この都市は、アメリカで最も乾いた土地の真ん中にあって、水に飢えている。しかも、2000年から2016年にかけて人口が約50万人増加した。にもかかわらず、水使用量の合計は3分の2に減少した。節水と新しいテクノロジーを融合させれば、無駄のない水の再循環が可能であること、また、そこから利益が生まれることを示したのである。

長寿と繁栄の時代の幕を切って落とすには、科学技術におけるこの種のパラダイムシフトがなくてはならない。そのパラダイムシフトを実現するには、洞察と先見性に満ちた科学者、技術者、投資家がもっと大勢必要だ。地球を救うテクノロジーの採用を促すような(阻むのではなく)、今以上に賢い法律制定も求められる。こうした未来が訪れれば、現在は無駄にされている資金と人的資本が自由に使えるようになる。浮いた資金は、意味のない「モノ」ではなしに、人と科学技術に再投資すればいい。そうしてこそ、人類と地球が共に困難を乗り越え、さらには共に繁栄する道が確かになるのである。

2018年6月18日、世界保健機関(WHO)は『疾病及び関連保健問題の国際統計分類』の第11版(通称『ICD‐11』)を発行した。もともとこれといって目を引く資料ではないのだが、今回は少し違った。誰かが新しい疾患の分類コードを滑り込ませていたのである。初めは誰も気づかなかった。WHOのウェブサイトで「MG2A」と入力してみれば、次のような記述が見つかる。

  • MG2A 老齢 ・精神疾患の記載のない老齢 ・精神疾患の記載のない老化 ・老衰 

世界中のすべての国で、2022年1月1日から『ICD‐11』のコードを使うことが推奨されている。ということは、今や「老齢」という診断を受けることが可能になったのだ。病態としての老齢で何人が死亡したのかを、各国はWHOに報告しなければならない。

 

いよいよ新しい時代が来るか。その日を待つまでにできることも紹介しておこう。

おまけ 著者が実践していること

  • NMN1グラム(1000ミリグラム)、レスベラトロール1グラム(自家製ヨーグルトに振り入れて混ぜる)、およびメトホルミン1グラムを毎朝摂取する。
  • ビタミンDおよびK2の1日推奨量を摂取し、83ミリグラムのアスピリンを服用する。
  • 砂糖、パン、パスタの摂取量をできるだけ少なくする。デザートを食べるのは40歳でやめたが、こっそり味見することはある。
  • 1日のどれか1食を抜くか、少なくともごく少量に抑えるようにする。スケジュールが詰まっているおかげで、たいてい昼食を食べ損なっている。
  • 数か月に一度、専門家が自宅にやって来て私の血液を採取し、それを私は数十個のバイオマーカーについて分析してきた。どれかのマーカーが最適値を外れていたら、食物や運動を通じて修正する。
  • 毎日できるだけ歩くことを心掛け、上の階に行く際には階段を使うようにしている。週末はほとんど毎週、下の息子ベンと一緒にジムに行く。ジムではバーベルを挙げ、少しジョギングをし、サウナでしばらく過ごしてから、氷のように冷たい水風呂に漬かっている。
  • 植物をたくさん摂取し、ほかの哺乳類を口にするのはなるべく避けるようにしている(おいしいのはわかっているのだが)。運動したときには肉を食べる。
  • タバコは吸わない。電子レンジにかけたプラスチックや、過度な紫外線や、レントゲンやCTスキャンを避けるようにしている。
  • 日中と就寝時は、涼しい場所にいるようにする。
  • 健康寿命を延ばすうえで最適の範囲内にBMI(体重[キログラム]を身長[メートル]の2乗で割った数値)を保つことを目指している。私の場合はそれが23~25である。
  • サプリメントを摂取するときには、評判のいい大手のメーカーを探し、できるだけ純度の高い分子(目安は98%超)で、ラベルに「GMP」の文字が記載されているものを選ぶ。これは、アメリカ食品医薬品局(FDA)の定める「優良製造規則」に則った商品という意味だ。NR(ニコチンアミドリボシド)は体内でNMNに変換されるので、NMNではなく安価なNRを摂取する人もいる。