花も実もある楽しい読書

人生とテニスに役立つ本

『サピエンス全史』人類史三部作。人類の歴史を整理し深く理解するところから始める。

 歴史を正しく学ぶことは、将来を正しく選択することに役立つ。ユヴァル・ノア・ハラリ氏による人類史三部作、『サピエンス全史』で人類史を整理、深く理解し、『ホモ・デウス』で人類の将来に仮説を立て、『21 Lessons』でそれらの知見を踏まえて現代が直面する課題に対する仮説を提示してくれました。

 第一弾となる本書では人類、ホモ・サピエンスの来し方をたどります。ホモ・サピエンスは「認知革命」によって他の類人猿を圧倒し、「農業革命」と「科学革命」を通じて地球を支配するに至りました。全地球の主となるほどの力を得て、人類は幸福になれたのか。そしてこれからどこへ行くのか。この問いかけが終章となります。

認知革命

 7万年前、突然変異によって人類は抽象的な概念を共有できる能力を身につけます。動物も、それまでの人類も、具体的な概念は共有していました。「あっちに行ったらライオンがいるから危ないよ」とか「家族の食べ物がたりないからマンモスを狩りに行こう」とか。具体的な目的のために、目に見える大切な仲間達と共同作業を行いました。

 それが、共通の虚構を信じる事により、膨大な数の見知らぬ同士で大事業を行えるようになったのです。「神」や「まだ見ぬ子孫」の存在を信じることで首尾よく協力しあい、「神殿の建築」や「河川の治水」のような巨大事業の遂行が可能になりました。単体の動物としての能力を大きく超えられるようになったのです。多くの人を納得させ、信じてもらえる物語を語ること。これが成功すれば大規模な協力が可能になる。認知革命により人類が獲得した進化です。

 もうひとつ、巨大な変化がありました。生物の形質進化は、少しずつ、同じ直線方向にしか進めませんが、人類は、別の物語を語り信じることで、振る舞いを一気に改めることが可能になりました。チンパンジーは、何万年も前からオスのリーダーを頂点とした群れで暮らしています。非常に長い時間をかけた遺伝子の自然選択と、突発的な環境圧力や遺伝子の突然変異によって進化していきます。しかし人類は、昨日までは王権が絶対だと思っていた人々が、翌日からは主権在民だと向きを変えて生きることが可能です。単体の動物種であれば何千、何万年かかる遺伝進化を迂回可能にしたのです。

農業革命

 単位面積あたりでより多くの人を生かす。その能力こそが農業革命の真髄で、より「多く」生きられることが保証されるだけで、実は大多数の人にとって、生活水準が「よく」なるものではありませんでした。定住によって所有が可能になる贅沢品はすぐに必需品となり、新たな義務を生じさせます。いったん慣れると、なしでは生きられなくなるのです。古代農耕民は、貧しくとも増えた所有物を失いたくないので狩猟民には戻れず、将来の不安に備えるべく厳しい労働に勤しみました。

 それでも人が所有できたのは、物理的にも、データ処理的にも、目の届く範囲、個人の脳が把握していられる範囲でした。古代シュメール人の名も知れぬ天才が、脳の外で情報を保持して処理するシステムを発明して、都市や王国や帝国といった超大規模組織出現への道を開きます。その発明が「書記体系」でした。

 私たちが特定の秩序を信じるのは、正しいから、ではなく、それを信じれば効果的に協力して、より良い社会を作れるからです。これまで考案された中で「貨幣」は最も普遍的で、最も効率的な相互信頼の制度です。宗教は特定のものを信じるよう求めますが、貨幣は他の人々が特定のものを信じていることを信じるように求めます。

 書記体系を通じて、共通の文化圏内であれば地域、時間の制約を超えて広域で連携できるようになった人類は、貨幣を使って、異なる文化とも交易が可能になりました。

科学革命

 1620年、フランシス・ベーコンは「新機関」の中で「知は力なり」と語りました。知識の真価は、それが正しいかどうかではなく、私たちに力を与えてくれるかどうか。政治と経済が、科学の研究を支援し、科学は援助へのお返しとして、新しい力、資源の獲得を促し、そしてまた再投資されました。ヨーロッパの帝国主義者は、新たな領土とともに新たな知識を獲得することを望み、遠く離れた土地を目指して乗り出しました。

 近代経済が信奉する「成長」とは、人間の驚くべき想像力の賜物。経済全体が、生き残り、繁栄できるのは、私たちが将来を「信頼」しているからです。信頼が世界に流通する貨幣を支えています。「信用 Credit」に基づく経済活動によって、私たちは将来のお金で現在を築くことができるようになりました。成長イコール正義、自由、安定であり、幸福は資本主義によってもたらされると信じられるようになりました。

 幸福とは

 では、現代人は過去に比べて幸福なのか。現代は、かつてないほど戦争、飢餓といった危機から自由になりました。しかしながら幸福を主観的に心の中で感じるものとするなら、人は物事が期待通り、もしくは期待以上に推移した時に幸福を感じます。だとすれば、期待値は時代、文化、人によって違い、そこに科学的な定義や根拠はありえず、ある意味単なる個人的な妄想だとも言えます。また生化学的な反応だとすれば、それはセロトニンがどれだけ分泌するかであり、歴史にはさほど重要性がないことになってしまいます。

 著者は極端な仮説に与することなく、また説得力はあるが狭い定義で結論づけることもなく、幸福の歴史の研究はまだ始まったばかりであり、理解を深める努力を継続していくことが必要だ、というところまででとどめています。

「ホモ・デウス」へ

 本書ではまだこの言葉は使われておらず、超ホモ・サピエンス、神になった動物、といった表現をされています。人類は、生物学的に定められた限界を、バイオテクノロジーやデータサイエンスによって超えられるようになりつつあります。私たちは、私たち自身をどうしたいのか。この疑問を提示して本書は締めくくられます。

自分が何を望んでいるかもわからない、不満で無責任な神々ほど危険なものがあるだろうか?

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 

 

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福