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人生とテニスに役立つ本

『<インターネット>の次に来るもの』これからの未来の12の潮流を知り、対処しよう

著者のケヴィン・ケリーは、老舗テックメディアWIERD誌の元編集長で、テクノロジー界の哲学者のような人。

インターネットはどう社会を変え、世界をどこへ向かわせ、良くするのか否か。デジタル社会の行く末を12の動詞で示唆し、ものごとのDXを深く考えるいい教材です。2016年の本ですが今でも新しく、2つのメッセージを受け取りました。

  1. コンピューターは電話につながれて始めて進化した。インターネットにより、マシンとマシン、人と人がつながり、変化と進化が加速した。常に変化し進歩するというプロセスは、特定のプロダクトを作り出すより優れていて、全てはプロダクトからプロセスに、Everything as a Serviceとなり、あらゆるリアルがデジタルと溶け合い、12の動詞化していく。
  2. 突き抜けたテクノロジーが登場すると、まずは押し戻したくなるが、禁止は長期的にはよくない。この世界を牽引するテクノロジーには良い面も悪い面もあるが、悪いことよりも良いことが僅かに上回っている。注意深く、利用する方が吉。認知革命、農業革命、産業革命は、人類を幸福にしたと一概に言えないぐらい混沌も弊害ももたらしたけれど、理解して正しく活用することで「ちょっとずつ良くなる」。

以下、12の潮流各章で響いた文章を紹介。

BECOMING

未来のテクノロジー生活は、終わることのないアップグレードの連続となり、頻度はどんどん高まっていく。徐々に進むので、我々はそれらが何かに〈なっていく〉ことに気づかず、この進化を当たり前に受け取るようになるだろう。

ユートピアでもディストピアでもなく「プロトピア」に向かわせる。それは目的地というより、ある状態に〈なっていく〉こと、つまりプロセスであり、プログレスだ。物事は日々良くなっていくが、ほんのちょっとだけでしかない。ゆるやかな進歩で、新たに生み出される利便性と同じぐらい新しい問題も起きるので、わずかな進歩は見過ごされやすい。

ウェブの引き起こした革命の中心にあったのは、デジタルを通じた「シェア」にある。人間とマシンが、かつてこの星の歴史上どこにもなかった新しいタイプの思考や信用を創造しているのだ。アマゾンの成功は、それが「何でも売っている店」だからではなく、消費者たちが商品の評価を争うように「シェア」したこと。それがロングテールの中から、本当に欲しい商品を見つけられる、選べるようにした。

ただ物事を選択するだけでなく、自ら作り、より深く関わりたいという情熱は、昔から続く大きな力だった。参加したいという太古から続く衝動は経済をひっくり返し、ソーシャルネットワークの世界にコラボレーションをもたらし、世の中の主流へとなっていった。

娘が学校に受かったまさにそのときの映像を、スマートフォンで呼び出せる。製造された物や自然にある物理的な事物にも届く。製品に組み込まれた無料同然の安いチップがそれらをウェブにつなげ、データを結び付けるのだ。あなたの部屋にあるほとんどの物も接続されて、部屋を検索できるようになる。

ウェブは当然のことのように、この物理的な惑星全体にまで拡張していくのだ。

今日こそが本当に、広く開かれたフロンティアなのだ。われわれは皆〈なっていく〉。人間の歴史の中で、これほど始めるのに最高のときはない。

COGNIFING

ペイジの返事はいまでも忘れられない。

僕らが本当に作っているのはAIなんだよ

あなたは毎回、検索語を入力し、リンクをクリックすることで、グーグルのAIのトレーニングをしている。「イースターのうさぎ」の画像検索をして、結果一覧の中から最もそれらしい画像をクリックすると、あなたはAIにイースターのうさぎとはどういう姿なのかを教えていることになる。グーグルが毎日受けている30億回の検索要求の一つひとつがディープラーニングの先生役となってAIに繰り返し教えているのだ。

カスパロフは、もし自分がディープブルーと同じように、過去の膨大な試合を記憶した巨大データベースをその場で使えていたら、もっと有利に戦えていただろうと気づいた。AIに許されるなら、人間が使ってもいいはずだ。カスパロフは、AIが人間のチェスプレーヤーを強化する、マシン強化型プレーヤーによる試合を世界で初めて発想した。

2014年に行なわれたフリースタイルバトル選手権では、どんな方式のプレーヤーも参加でき、完全にAIだけのエンジンが42勝したが、ケンタウロスは53勝した。現存する最も強いチェスプレーヤーはケンタウロス、すなわち数名の人間といくつかのチェス・プログラムが組んだチームだ。

AIが出てくることで、人間プレーヤーの技能は下がるどころか、まったく逆だった。安価で超スマートなチェスのプログラムは、かつてないほど多くの人々をチェスに惹きつけ、より多くの試合が開催され、人々はいままでになく強くなった。最高位にいるマグヌス・カールセンはAIで訓練しており、彼はこれまでの人間のグランドマスターの中で、最も高い得点を記録している。

もし自分の車が自動運転をするなら、ガレージと口論したことを気にするといった人間的な感情に囚われずに、道路の状態に集中してほしい。病院にいる人工のワトソン先生には診断に集中してもらって、本当は金融の専門になればよかった、などと決して悩んでほしくない。われわれがほしいのは、自意識を持つAIより、人工的な賢さだ。

フェイスブックのAI機能は、地球上のどんな人が写っている写真でも、全世界のオンラインユーザー30億人の誰であるかを特定できる。人間の脳ではこれほど大量の対象にまで能力を拡張できない。つまりこれらの人工的な能力はとても非人間的なのだ。

人間は統計的思考が不得意なことで有名だが、だからこそ人間のような思考法をとらず、統計に特別秀でた知能を作っているのだ。AIに車を運転してもらう利点は、それが散漫になりがちな心を持った人間のようには運転しないということだ。

FLOWING

工業化時代に企業は、効率と生産性を上げることで自分たちの時間を最大限活用していた。今日ではそれでは不十分だ。今や組織は顧客や市民の時間を節約しないといけない。つまりリアルタイムでやり取りできるように最大限努力しなくてはならないのだ。

リアルタイムのサービスのためには、技術的なインフラも流動化していなくてはならない。硬くて固定的な物体はサービスに転化する。すべてのものが、現在というストリーミングの中を流れていく。情報の莫大な数の流れが混ざり合い、お互いの領域に流れ込んだその融合体を、われわれはクラウドと呼んでいる。

クラウドとは、あなたの書いたテキストが、友人のスクリーンに表示される前に行き着く場所だ。あなたのアカウントにずらっと並んだ映画が再生されるのを待っている場所だ。楽曲が貯めこまれた貯水池でもある。Siriのような知性があなたと話すときに座っている席でもある。デジタル時代の第三段階の基盤となるのは、流れとタグとクラウドなのだ。

コピーが無料になると、コピーできないモノを売らなくてはならない。コピーできないモノとは何か?例えば信用がそうだ。信用は大量に再生産できない。信用を卸しで買うこともできない。信用をダウンロードしてデータベースに蓄えたり、倉庫に備蓄したりもできない。他人の信用の複製などできない。信用は時間をかけて得るものなのだ。

われわれは信用できる相手と付き合おうとし、そのためなら追加の金額を払う。それを「ブランディング」と呼ぶ。ブランド力のある会社は、そうでない会社と同じような製品やサービスにより高い値段を付けることができるが、それは彼らが約束するものが信用されているからだ。コピーで飽和したこの世界で価値を増すのだ。

コンサートを録音した通常版は無料になるだろうが、あなたの部屋の音響環境ぴったりに調整され、まるで家のリビングルームで演奏されているような音が出るなら、かなりお金を払ってもいいと思えるだろう。そこでの出費はコンサートのコピーに対してではなく、パーソナライズに対してだ。無料の映画も家族全員で見られるように(セックス描写をカットするなどして)調整されればお金を払う。あなたはコピーを無料で入手し、パーソナライズにお金を払うことになる。

こうしたパーソナライズのためにはクリエーターと消費者、アーティストとファン、プロデューサーとユーザーの間で、相互に時間をかけてやり取りを続けなくてはならない。これを「粘着性」と呼ぶが、それは相互にこの生成的な価値にはまり、さらに投資することで、その関係性を止めてやり直そうとはしなくなるからだ。

大量の本、楽曲、映画、アプリ、大量のあらゆるものが(それらの多くは無料だ)我々の注意を奪い合う時代に、発見してもらうことは価値を持つ。毎日爆発的な数のものが作られる中で、見つけてもらうことはどんどん難しくなっていく。ファンは数えきれないほどのプロダクトの中から、価値あるものを発見するために多くの方法を駆使する。批評家や評論、ブランドを使う他、ファンや友人のお勧めから探すことがますます増えている。そうしたガイドにどんどんお金を払うようになっているのだ。

アマゾンの最大の資産はプライム配送サービスではなく、この20年にわたって集めた何百万もの読者レビューだ。アマゾンの読者は、たとえ無料で読めるサービスが他にあったとしても、「キンドル読み放題」のような何でも読めるサービスにお金を払う。なぜならアマゾンにあるレビューのおかげで、自分の読みたい本が見つかるからだ。

映画ファンはネットフリックスにお金を払っていれば、そのレコメンド機能のおかげで、他では発見できなかったすばらしい作品が見つかるわけだ。それらはどこかに無料であるのかもしれないが、基本的には見失われ埋もれたままだ。

こうした事例では、あなたは作品のコピーではなく、発見可能性にお金を払っている。

バラバラになった各要素が流動化し、それぞれが新しい用途を見つけ、リミックスされて新たにバンドルされる。いまやプロダクトはサービスの流れとなり、共有されたクラウドから提供される。われわれはアナログな製品(椅子や皿や靴など)を作り続けるだろうが、それらにはチップが埋め込まれてデジタルの性質も獲得する。

SCREENING

ページ上の文字を読むばかりでなく、いまやわれわれは、ぶつ切りに浮かび上がるミュージックビデオの歌詞や、下から上へと流れていく映画のエンドロールの文字も読んでいる。VRのアバターのやり取りの吹き出しや、ビデオゲームの登場物に付けられたラベルをクリックし、オンラインの図形に出てくる言葉を解読する。

われわれのこの新しい活動は、読書というよりは「画面で読む」と呼ぶ方が正しいだろう。スクリーニングは言葉を読むばかりか、言葉を眺めたりイメージを読んだりすることが含まれる。この新しい活動には新しい特徴がある。スクリーンは常にオンなのだ。

本のように読み終わるという行為はない。このプラットフォームは非常に視覚的で、動く画像と言葉を徐々に融合していく。スクリーン上で言葉は勢い良く動きまわり、画像の上を漂い、注釈や説明となって、他の言葉やイメージへとリンクされていく。

リンクとタグは、過去50年で最も重要な発明かもしれない。あなたがリンクを張ったりタグ付けしたりするたびに、あなたは人知れずそのウェブの評価を上げ、よりスマートにしている。こうした関心の断片が集められて検索エンジンやAIで解析され、リンクの両端の関係性や、タグで示唆されたつながりを強化するために用いられる。

この手の知能はウェブが生まれたときから備わっていたものだが、本の世界とは無縁のものだった。いまやリンクとタグが、ユニバーサル図書館をスクリーンで読むことを可能にし、さらに強化しているのだ。

ACCESSING

利用するものを所有する、ということが年々少なくなっていく。所有することは昔ほど重要ではなくなり、一方でアクセスすることは、かつてないほど重要になってきている。

例えばあなたが世界最大のレンタル店の中に住んでいたとしよう。その場合、手の届く範囲で、何でも必要な物が借りられる。すぐに借りられるのならば、所有することのほとんどの長所が得られ、短所はほとんどない。アクセスする方が所有するよりも多くの意味で優れているので、それが経済を最前線で牽引している。

「所有権の購入」から「アクセス権の定額利用」への転換は、既存の概念をひっくり返す。

所有することは手軽で気紛れだ。もし何かもっと良いものが出てきたら買い換えればいい。一方でサブスクリプションでは、アップデートや問題解決といった終わりのない流れに沿って、作り手と消費者の間で常にインタラクションが続く。あるサービスにアクセスすることは、消費者にとって物を買ったとき以上に深く関わりを持つことになる。携帯電話のキャリアのように、乗り換えをするのが難しく、長く加入すればするほど、そのサービスがあなたのことをよく知るようになり、そうなるとまた最初からやり直すのがさらに億劫になり、ますます離れ難くなるのだ。まるで結婚するようなものだ。

リアルタイムに何かするには調整すべき要素が大量にあり、数年前までは考えることさえできなかったようなコラボレーションが必要となるが、いまではほとんど誰もがポケットにスーパーコンピューターを入れている。スマートにつながれば、アマチュアの一群が、平均的なプロ一人と互角になる。スマートにつながれば、既存のプロダクトの利点をアンバンドルして、思いもよらない楽しいやり方でリミックスできる。スマートにつながれば、プロダクトは溶けてサービスと融合し、常時アクセス可能になる。スマートにつながれば、〈アクセスしていく〉ことがデフォルトになる。

レンタルが盛んになるのは、買うより優れているからだ。バッグの例では服に合わせて替えることができ、返してしまえばしまっておく必要もない。こうした短期の利用なら、所有権を共有するのは合理的だ。これからやってくる世界では、短期の利用が標準になっていく。より多くのモノが発明され製造されていくと、それを使える1日の時間は変わらないままなので、一つのプロダクト当たりにかける時間はどんどん短くなる。長期的なトレンドとしては、ほとんどのプロダクトやサービスが短期利用になり、レンタルやシェアの対象になっていく。

良くも悪くもわれわれの生活は加速していき、唯一満足できる速さは「リアルタイム」となる。そのスピードから意識的に抜ける選択肢はいつもあるだろうが、コミュニケーション・テクノロジーにはすべてをオンデマンドで動かそうとする力が働いている。そしてオンデマンドには、所有よりもアクセスへと向かう力が働いているのだ。

SHARING

シェアや協調、コラボレーションなどの流れに対しては懐疑派による揺り戻しがあるかもしれないが、シェアが増えていくことは不可避だ。シェアリング・テクノロジーはまだ始まったばかりだ。かつて専門家がわれわれ現代人にはシェア不可能だと考えたもの(お金や健康、性生活、心の奥底の不安など)の長いリストについても、適切なテクノロジーによって正当な恩恵が得られ、正しい条件が整えば、我々はすべて共有することになるだろう。

貧乏な農民が地球の裏側にいる赤の他人から100ドルのローンを借りて、しかもそれを返済するなんて誰が信じるだろうか?それこそKivaがP2P方式の貸付で行なっていることだ。数十年前に国際的な金融機関は、国の政府に大金を融資するより貧者に少額の貸付をした方が返済率が高いことに気づいた。つまりボリビアの政府に融資するより同国の小作農に貸し付けた方が安全だということだ。

こうした数百ドルレベルの極小融資を多くの人に何万回も続けることで、開発途上国が底辺から一気に立ち上がることができる。まず貧乏な女性が街角の屋台を始めるための95ドルを貸し付ければ、彼女の収入が安定することで子どもたちに行き渡り、次に地域経済へと還元され、すぐにもっと複雑なスタートアップが生まれる基盤が生まれる。これこそかつてない最も効果的な開発戦略だ。

Kivaが2005年にサービスを開始してから、200万人以上の人が7億2500万ドル以上の少額ローンを、共有型プラットフォームを介して行なった。返済率は約99%だ。それなら、また貸そうと安心して思えるだろう。

FILTERING

広大な万物のライブラリーは、狭く限られたわれわれの消費習慣をはるかに凌駕していく。こうした広野を旅するには道案内が必要だ。人生は短く、読むべき本は多過ぎる。

REMIXING

すべての新しいテクノロジーは、既存のテクノロジーの組み合わせから生まれる。

作家という職業も、辞書というすでに確立された言葉の有限のデータベースに入り込んで、見つかった言葉を再構築し、誰も知らなかったような小説や詩に組み替えていく。その妙味は、言葉の新しい組み合わせにある。どんな偉大な作家でも、以前に使われて一般に共有された表現をリミックスすることで魔法をかけるのだ。いまは言葉でやっていることを、我々はじきにイメージでも行なうようになる。

インスタグラム、フェイスブックなどのウェブアプリには、毎分何千もの写真家が写真をアップしている。それらの写真には、想像できるものは何でも写っており、フリッカーにはゴールデンゲートブリッジだけで50万枚以上の写真がアップされている。あらゆるアングル、光の具合、視点から撮られたイメージが投稿されているのだ。もしあなたが、自分の動画や映画にこの橋のイメージを使いたかったら、新たに撮影する必要などない。単にそれを探し出せばいいのだ。

近い将来には自分の会話をいくらでも録音できる、という選択肢が増えるだろう。デバイスさえ持っていればコストもかからないし、巻き戻すのはとても簡単なはずだ。自分の記憶を補完するものとして、何でも録音する人も出てくるだろうし、社会的エチケットを巡ってさまざまな議論が起こるだろう。個人的な会話はスクロール禁止になる、といったように。

公共の場所で起きることはスマートフォンのカメラや自動車のドライブレコーダー、街頭の監視カメラでどんどん記録され、再生可能になっていくだろう。警察官は勤務中にはウェアラブルデバイスですべての活動内容を記録することが、法律で義務付けられるようになるだろう。そのログを巻き戻すことで、警察への大衆の声も変わるだろう。非難の声も上がれば、疑念を晴らすものもあるだろう。政治家や有名人などの毎日の活動も、複数の視点からスクロールされるだろう。誰もの過去が思い出せるものになることで、新しい文化が生まれるのだ。

INTERACTING

我々と人工物との間のインタラクションが増えることで、人工物を物体として愛でるようになる。インタラクティブであればあるほど、それは美しく聞こえ、美しく感じられなければならないのだ。長時間使う場合、その工芸的な仕上がりが重要になる。

アップルはこうした欲求がインタラクティブな製品に向けられていると気づいた最初の企業だ。アップルウォッチの金の縁取りは感じるためのものだ。我々は、毎日、毎週、何時間もiPadをなで回し、その魔法のような表面に指を走らせ、スクリーンに目を凝らす。デバイスの表面のなめらかな感触、流れるような輝き、その温かみや無機質さ、作りの仕上がり、光の温度感などが、我々にとって大きな意味を持つようになるのだ。

TRACKING

ほとんどの人は、年に1回医者に行って健康状態のいくつかの数値を測定していたら良い方だろう。しかし1年に1度ではなく、毎日ずっと、見えないセンサーが心拍数、血圧、体温、血糖値、リンパの状態、睡眠のパターン、体脂肪、活動レベル、気分などの状態を記録してくれているとしたらどうだろう。

何年も続けているうちに、数値レベルが狭い範囲に収まってくることで、自分の健康状態の正確な値が得られるようになる。医学における正常とは架空の平均値のことなのだが、平均値としての正常値はあなた個人には当てはまらないかもしれない。一方で長期間セルフ・トラッキングを行なえば、ごく個人的な基準値、つまりあなたの正常値に行き着き、これは具合が悪いときや検査をしたいときにとても価値のあるものになる。

あなたが作った文書や他人が送ってきた文書はすべてライフストリームに格納される。その最後尾には最も過去の文書がある(いわばあなたの電子版人生の出生証明書だ)。最後尾から現在へと前に進んでいくと、写真、手紙、領収書、映画、留守番電話、ソフトウェアといったより最近の文書が現れる。この現在を超えて未来に行くと、備忘録、カレンダーや仕事の予定など、これから必要になる文書が出てくる。

ストリームの先頭にはどんどんと新しい文章が積まれていく。カーソルを動かすことでそのストリームを閲覧でき、画面上の文章に触れればページがポップアップして中身をさっと見ることができる。あなたは過去に戻ってもいいし、未来に行って来週することや次の10年の予定を見ることもできる。あなたのサイバーな人生のすべてが、まさに目の前にある。

ライフストリームが広まるには二つの障壁があるが、いずれも解消されていくだろう。

  1. 1990年代に携帯電話が出始めたとき、当初は呼び出し音が耳障りで、映画館でも大きな音で鳴り響き、人々は大きな声で話していた。もし将来に全員が携帯電話を持つようになったら、うるさくてしようがないと思ったが、そうはならなかった。静かなバイブレーターが発明され、人々はメールを打つようになり、社会的な規範ができていった。映画館に行くと、呼び出し音もしないし画面も光っていない。それがカッコ悪いと考えられるようになったからだ。われわれはライフストリームに関しても、同じような社会的な慣習やテクノロジーを使った解決法を進化させることで受け入れていくだろう。
  2. データの意味を理解するのは、途方もなくかつ時間を食う。自分の生み出す大量のデータの流れから意味を読み取るには、極端に数字とテクノロジーに強く、根気がなくてはならなかった。しかし安価なAIでかなりの部分が解決するだろう。現在研究されているAIは、すでに何十億もの記録から、重要で意味のあるパターンを抽出するのに成功している。例えば、グーグルの写真解析ができるAIにカメラが撮影したイメージを飲み込んでもらうことが考えられる。すると、2年ほど前のパーティーで会った海賊の帽子を被った人の写真を探してくれ、と普通の話し言葉で尋ねれば探してくれるだろう。

これからの数十年間に生産されるモノにはほぼすべてネットに接続されるようになり、個々のモノがどのように使われているかを正確に把握することが可能になる。例えば、2006年以降に生産された車には、自己診断機能のチップが付いていて、車がどう使われたかの記録を取っている。どれだけの速度で何マイル走ったか、急ブレーキを何回踏んだか、曲がったときの速度、燃費などの記録だ。そのデータはもともと修理のために使われていた。だが例えばプログレッシブ社のような保険会社は、記録を開示すれば保険料を下げてくれる。

50年後にはあらゆるものがトラッキングされていることが当たり前になるだろう。

消費者はトラッキングされたくはないと言うが、実際には自分たちの利便性のためにマシンに自分たちのデータを提供し続ける。私は友人から個人として扱われたいので、友人が私のことを十分に理解して個人として付き合ってくれるよう、開放的で透明性を保ち、人生をシェアしなくてはならない。私は会社やお店にも自分を個人として扱ってほしいので、情報をシェアしなければならない。政府にも個人として扱ってほしいので、そのために個人情報を開示しなければならない。

パーソナライズすることと透明性を保つことには一対一の関係がある。よりパーソナライズするにはより透明性を持たなくてはならない。究極のパーソナライズには、究極の透明性(プライバシーはない)が必要だ。もし友人や機関に対してプライバシーを保ち不透明な存在でありたいなら、自分という固有の条件は無視され、通り一遍の扱いを受けることを容認しなくてはならない。

ではこうした選択がスライダーで調整できると考えてみよう。その左端は〈パーソナル〉で右端は〈プライバシー〉になっている。スライダーは左右の間のどこにでも移動できる。そのどこに移動するかがわれわれにとって重要な選択となる。驚いたことに、テクノロジーのおかげで選択が可能になると(選択の余地があることが重要だ)、人々はスライダーをパーソナルとある左の方へと動かしていくのだ。

人類はずっとずっと長い間、部族や氏族で暮らしてきたが、そこではすべての行為が丸見えで秘密などなかった。我々の精神は常に共監視される環境の中で進化してきた。共監視は我々にとっての自然状態なのだ。懐疑的な現代とは対照的に、循環する世界ではお互いが監視し合うことに関して大きな反動はないはずで、それは人間が何百万年もそうした環境で生きてきたからであって、それが本当に公平で対称的に行なわれるなら、快適なものになり得るからだ。

グーグルや政府はすべての人のライフストリームにアクセスしているが、私は自分のライフストリームにしかアクセスしていない。しかしもし対称性が回復され、自分がより大きなステータスの一部となってより大きな責任を果たすようになり、それによってより大きな視点から利点を感じるなら、上手くいくかもしれない。

警察はもちろん市民の動画を撮影するだろう。もし市民も警察を撮影でき、警察が撮った映像にアクセスでき、より強力な説明責任を果たし続けるためにそれをシェアできるなら、それでいいだろう。それで話が終わるわけではないが、透明な社会のきっかけにはなる。

QUESTIONING

ウィキペディアが始まった当初は、誰でも編集できるという百科事典など、不可能だと考えられていた。しかしウィキペディアは成功し、改良され続けている。

ウィキペディアが機能しているのは、正しいツールがあれば、損傷を受けたテキストを回復する方が(ウィキペディアの復帰機能)、テキストを破壊するより簡単だと分かったからだ。そのため、十分優れた記事なら成長を続け、少しずつ改良されていく。正しいツールがあれば、協働コミュニティーは野心家の個人同士が競い合うより優れていたのだ。

人類は長らく、新しい社会組織を生み出してきた。法律、法廷、灌漑のシステム、学校、政府、図書館から、最も規模が大きなものでは文明そのものまでも。そうした社会的な道具が人間を形作り、そのおかげで他の動物より優位に立ち、不可能と思われる行動を成し得てきた。

文字を発明して記録や法律が書かれるようになると、ある種の平等主義が生まれた。他の霊長類や文字を持たない文化では不可能なことだ。灌漑や農業によって培われた共同作業や協調によって、先を予想し準備するというさらに不可能と思える行動が生まれ、未来という感覚が生まれた。

イーベイの天才的なところは、安価で、簡単に、すぐにレビューできる評価システムを作ったことだった。遠く離れた赤の他人同士が売買できるようになったのは、コミュニティーの外にいる人の評価をすぐに定常的に確保できるテクノロジーがあるからだ。

低次のイノベーションが新しい種類の高いレベルの調整を可能にし、それが以前は不可能だった新しい交換(遠隔地にいる他人同士の売買)につながる。同様にテクノロジーが支える信頼に加えてリアルタイムの仲介を可能にしたことで、ウーバーのような分散型のサービスが可能になった。

科学はわれわれの知識より主に無知を増やす方法なのだ。その関係が将来逆転する理由はどこにもない。テクノロジーやツールがより破壊的になればなるほど、それが生み出す疑問もより破壊的なものになるだろう。そうなると未来のAIや遺伝子操作、量子コンピューティングといったテクノロジーは、以前には疑ってもみなかったような物事について、巨大な疑問の集中豪雨を生み出すだろう。実際のところ、本当に重要な疑問はまだ誰も発していないと考えて間違いない。

良い質問とは、それ一つで100万個の良い答えに匹敵するものだ。  それは例えばアルバート・アインシュタインが少年のように自分に尋ねた質問だ。「もし光線の上に乗って飛んだら何が見えるだろう?」この質問が相対性理論や原子力時代を導き出した。

答えを生み出すテクノロジーはずっと必要不可欠なままであり、おかげで答えはどこにでもあり、すぐに得られ、信頼できて、ほぼ無料になる。しかし、質問を生み出すことを助けるテクノロジーは、もっと価値のあるものになる。質問を生み出すものは、われわれ人類が絶え間なく探検する新しい領域、新しい産業、新しいブランドや新しい可能性、新しい大陸を生み出す原動力なのだときちんと理解されるようになるだろう。

BEGINNING

ガラスや銅や空中の電波で作られた神経を組み上げて、われわれの種はすべての地域、すべてのプロセス、すべての人々、すべての人工物、すべてのセンサー、すべての事実や概念をつなぎ合わせ、そこから想像もできなかった複雑さを持つ巨大ネットワークを作った。この巨大な発明、この生命体、このマシンとでも呼ぶべきものは、これまで他のマシンが作り上げてきたものをすべて包含し、実際にはたった一つの存在となってわれわれの生活の隅々にまで浸透し、われわれのアイデンティティーにとってなくてはならないものになる。このとても大きなものは、それまでの種に対して新しい考え方(完璧な検索、完全な記憶、惑星規模の知的能力)と新しい精神をもたらす。

いまこの〈始まっていく〉とき、この不完全なメッシュは510億ヘクタールに広がり、150億のマシンにつながり、40億の人間の心をリアルタイムで相手にし、この惑星の5%の電気を消費し、人間離れした速度で動き、われわれの1日の半分をトラッキングし、お金の主な流通経路になっている。その秩序の階層はこれまでの最大の創造物である都市よりもさらに一段上だ。こうしたレベルの飛躍を物理学者なら相転移と呼ぶだろう。

AIがわれわれを奴隷化するほどスマートになる、強いシンギュラリティーよりも、弱いシンギュラリティーの方があり得る話だ。AIもロボットもフィルタリングもトラッキングも本書で述べたテクノロジーの数々もすべてが合体し、つまり人間にマシンが加わって、複雑な相互依存へと向かっていく。その段階に達すると、あらゆる出来事はわれわれのいまの生活以上の大きな規模で起こり、われわれの理解を超えたものになる。

シンギュラリティーが〈始まっていく〉。