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『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』歴史を正しく学び、正しく使う。本書を読んで考えたこと。

日清戦争から太平洋戦争まで、日本人はなぜ戦争を選んだのか。本書は東大文学部教授で歴史学者の加藤陽子氏による、栄光学園歴史クラブの中高生との5日間にわたる対話式授業のまとめです。

日清、日露、第一次大戦、日中戦争、そして太平洋戦争。日本はなぜそれらの戦争を起こしたのか。当時の世界、日本の社会情勢と、キーマンの判断理由をわかりやすく説明してくれるのですが、序章から3つ、大きな学びがありました。

それでも、日本人は「戦争」を選んだ (新潮文庫)
 

日本を戦争に突き進ませた政治の機能不全

日本を日中戦争に突き進ませた政治の機能不全は「時の政治体制が国民の正当な要求を実現できないものになってしまうこと」に起因すると加藤氏は言います。

1930年代、国民は社会民主主義的な改革を求めましたが、時の帝国議会や内閣には実現できませんでした。

すると、自作農創設や工場労働者の待遇改善など改革の「構想」を謳う軍部の人気が高まります。しかし、軍部が本当にやりたいことは国家安全保障の強化ですから、ソ連との戦争は不可避、アメリカとの戦争が必要、となればそのような構想など真っ先に放棄されました。

ここまでで述べたかったことは、国民の正当な要求を実現しうるシステムが機能不全に陥ると、国民に、本来見てはならない夢を疑似的に見せることで国民の支持を獲得しようとする政治勢力が再び現れないとも限らないとの危惧であり教訓です。

現代日本の政治システムの機能不全とは何か。まず小選挙区制の下、与党は国民に人気がない時は政権を失うリスクが高まるため解散総選挙を行いません。

次に、投票率が高く人口の多い層の意見が過剰に尊重されがちです。小選挙区制下の日本では、高齢者世代の世論を為政者は絶対に無視できなくなるのです。

そのように考えますと、これからの日本の政治は若年層贔屓と批判されるぐらいでちょうどよいと腹をくくり、若い人々に光をあててゆく覚悟がなければ公正には機能しないのではないかと思われるのです。教育においてもしかり。若い人々を最優先として、早期に最良の教育メニューを多数準備することが肝心だと思います。また若い人々には、自らが国民の希望の星だと自覚を持ち、理系も文系も区別なく、必死になって歴史、とくに近現代史を勉強してもらいたいものです。

この状況を放置していると、戦争を目指すかどうかは別としても、多くの人が非理性的、破滅的な選択をすることは現代でも十分にあり得ます。2020年のアメリカ大統領選と前後して、世の中の不正義を全て陰謀によるものだとするQアノン思想の広がりなどはいい例でしょう。

デジタル化やコロナ感染症などで社会が大きく変化する今の時代に、国家規模の政治システムは、対応が難しくなっています。直接選挙で選ばれる首長のリーダーシップで変化を起こしやすい、都道府県や市町村などの自治体レベルの政治や選挙を、我々はもっと重要視する必要がありそうです。適切な政治選択を進め、自分たちが暮らす社会をよくしていくことが大切になってきています。

戦争の目的は相手国の社会の基本ルールを変えさせること

「歴史は数だ、政治は数千人が訴えても動かない、数百万人で始めて動く。」

レーニンの言葉だそうです。第一次大戦でロシアの戦争犠牲者の数が圧倒的になった際、その数のインパクトが、もはや帝政ロシアの政治体制維持を許さず、ロシア革命につながりました。

リンカーンが「人民の、人民による、人民のための」アメリカ政治について演説をしたのも、南北戦争の犠牲者の多さ、社会の亀裂があまりに大きかったため、新国家の目標が必要だったからでした。アメリカにとって南北戦争の死者数は、第二次大戦よりも多かったそうです。

日本においても同様です。日本国憲法は、GHQに押し付けられた憲法だという議論がありますが、300万人を超える国民を死なせた後には、絶対に新しい社会契約、すなわち新しい憲法が必要だったことは間違いないありません。

太平洋戦争敗戦後に、大日本帝国憲法と全く違う、日本国憲法が生まれたのは、占領国側の目的だけでなく、日本国内の必要性からも、必然だったのでしょう。

18世紀フランスの思想家ルソーは、戦争とは相手国の憲法を書きかえるものだと語りました。戦争の最終目的は、相手国の領土や資産を奪うというレベルではなく、相手の社会の基本ルールを変えさせること。倒すべき相手が最も大切に思っていることを打ち壊せたら勝ちだと。

21 Lessonsでユヴァル・ノア・ハラリ氏は、戦争は領土や現物資産を奪うことが目的だから、富の源泉が知的資産にある現代において、戦争は割に合わなくなった、と説きました。

しかし、昔から戦争は「相手国の社会の基本ルールを書き変える」ためのものだったとすれば、現代において割に合いにくくなったのは事実でも、目的になり得なくはなっていない、ということです。

中台海峡、南北国境の向こう側の基本ルールを書き変えたい、という勢力があるのは事実なので、予断は許されません。

国家に限らず人間関係において、経済的合理性よりも、相手方の基本ルールを書き変えたいという欠乏動機によって争うのはありうること。

孫子の兵法にもある通り、いかに戦争に勝つかではなく、敵を知り、己を知り、戦争に至らせないことこそが肝要です。

歴史の誤用

責任感のある優秀な官僚、軍人をして、重要な判断が求められる場において、「歴史の誤用」が起こしてしまうことが多くあり、だからこそ、左右の偏りなく歴史をしっかりと学び、正しい教訓を引き出せるようになる必要がある。序章の最後に著者は語ります。

人は重要な判断の必要に迫られたときに、過去の出来事について、誤った評価や教訓を導き出すことが非常に多いと。

人々は重要な決定をしなければならないとき、自らが知っている範囲の過去の出来事を、自らが解釈した範囲で「この事件、あの事件、その事件…」と参照し、関連づけ、頭の中でものすごいスピードで、どれが参照に値するのか、どれが今回の問題と「一致」しているか、それを無意識にに見つけだす作業をやっているものです。そのような作業が頭の中で進行しているとき、いかに広い範囲から、いかに真実に近い解釈で、過去の教訓を持ってこられるかが、歴史を正しい教訓として使えるかどうかの分かれ道になるはずです。

歴史や情報を見る際に、右や左に偏った一方的な見方ばかりしていると、頭に蓄積されたデータベースから、正常に教訓をひきだせなくなります。

政治の場なら、それは社会にとって非常に良くない、重大な判断を引き起こしかねませんし、個人であっても同様です。

アクセス可能な情報の中で、必死に、過去の事例を広範囲で思い出し、最も適切な例を選択して用いること。それが歴史を学ぶ意味であり、正しい使い方だと。

 2020年、コロナ感染症の拡大は日本社会に大きなインパクトを与えています。国民の死者数は限定的ですが、日本社会が抱える課題が浮き彫りになりました。

過去の歴史を踏まえて日本人はどのような選択をするべきか。自分が人生の岐路にある時に、幅を持ち、偏りのない情報を持って、後悔のない選択ができるか。

 

本書は、そのような歴史的視野での考え方に気づかせてくれる作品です。

それでも、日本人は「戦争」を選んだ (新潮文庫)