外資系父ちゃんがすすめる100冊

妻と二人の愛娘と暮らす40代外資系課長です。続く転勤、キャリアの壁、夫婦関係など、不惑を過ぎて惑う日々。教養、ビジネス、夫婦関係、小説、マンガ、心に響く読書を通じて、悩める40代が制約を乗り越えて自由を拡大する。本の中身を実践しつつ紹介します。

21. 信長の原理 垣根涼介 <心理描写に徹した秀逸な歴史小説>

 織田信長、そして明智光秀をはじめとする彼の部将たちを描いた小説は古今東西いろいろありますが、彼らの心の内面の動きにフォーカスした歴史小説です。信長にまつわる個々の史実ではなく、その史実が起きている時に信長は、そして彼の部将たちは何を考えていたのか、に。

 学問や技術は彼らが生きた450年前から大いに変化、進歩していますが、人間が何を考え、何に悩んできたかということ自体は、それほど大きく変わっていないのではないか。サピエンス全史でいうところの、認知的能力(学習、記憶、意思疎通の能力)は、およそ7万年前に確立、完成していて、その意味で、心の内面に大きな違いはないのだと思います。

 筆者が描く信長の、そして部下である部将たちの内面は、もちろんフィクションなのですが、さらりと描かれる史実の流れの精緻さにも支えられて、非常に真実味があります。信長を信長たらしめる物事の原理へのこだわり(ここはこの小説の柱なので書きませんが)は説得力がありますし、部将たちの、自らの力を存分に生かし、また絞りつくす主君信長への思い、自らの力への自信と不安にもとづく出世競争における不安や悩みは、現代のサラリーマンにも大いに共感するところがあるでしょう。

 何人かの部将たちの心の動きを、ご紹介します。

 三番家老ではあるが出世競争からの脱落を諦念を持って予期する丹羽長秀

子供の頃から絵を描いても文字の手習いをしても、人並み以上に習得が早く、器用にこなせた。今もそうだ。命じられたことは普通の者よりはるかに早く、しかもそつなくこなす自信がある。が、決してそれ以上ではない。ある種の器用貧乏だ。自分には、何かひとつでも傑出した才能が育っていない。そしてその訳にも、おぼろげながら自分で気づいている。才能とは、良きにつけ悪しきにつけ、執念から生まれる。自分には、虚仮の一念に似たその執念のようなものがない。執念を育てるのに必須な精神の傾斜──柴田のような根拠のない自信からくる傲慢さや、藤吉郎のような異常極まる立身欲──がない。 

  出世競争で勝ち残り、勝ち抜くために自分を偽ってでも努力を続ける羽柴秀吉

秀吉は非常に気前が良く、常に陽気で鷹揚な人間だと織田家中では思われているが、その実は、まったくそんな人柄ではない。必死に闊達な自分を演じ続けているだけだ。出自と言える出自もろくになく、矮小で容貌も醜い。戦場に出ても槍働きひとつ満足にこなせない。そんな人間が世間で人並みに相手にされていくには、そして、その組織の中で立身していくには、可能な限りの愛想の良さを自分から演出してゆくしかなかった。  昔、秀吉が生まれて初めて仕えた遠州の今川家の被官、頭陀寺城の松下之綱の許では、素の性格のままで奉公していた。そのため、有能さを主君の松下には買われていたものの、家中の人間からは徹底して嫌われた。挙句、居づらくなって松下家を退転した。 織田家に仕えた時は、もう二度とあんな失敗は繰り返すまいと心に決めた。だから今も懸命に、朗らかで大気者という仮面を被り続けている。擬態だ。 もし、心底からいつも愛想が良く、誰彼なく親切な男がいるとしたら、そいつは何も考えていない、よほどの馬鹿だと秀吉は思っている。たとえ周囲の人間には好かれても、馬鹿には大局を見据えた政治力を必要とする調略など、出来るはずもない。長い目で見れば、大した立身も出来ない。だから、本来の自分は密かに温存しつつも、この織田家に仕えてから二十数年というもの、常に人当たりのいい自分を演じ続けてきた。 

  信長式の究極の効率性が目指すところを理解し、謀反を起こす松永弾正久秀

弾正は、もう一度はっきりと思う。神などは、おらぬ。されど、この世は神に似た何事かの原理で回っている。そしてその原理の前では、生きとし生ける者、人も、所詮は虫──弾正が以前に懸命に飼い続けた鈴虫と同じなのだ。だから領内で年貢を隠した百姓などには、蓑を着けさせ、そこに火を放ち、その烈火の苦痛から逃れようと激しくもがき苦しんで焼け死ぬ様子を、『蓑踊り』と称して楽しんだ。虫が、何を姑息なことをやっておるか──。  と同時に、おれも所詮は虫だ、と感じた。信長よ、おまえも所詮は人ではないか。虫けらと同じだ。が、その虫けらがこの宇内の原理を根底から変えようとするなど、その原則を覆そうとする人事を常に試みるなど、何を思い上がっている。いったい何様のつもりだ。あの男は、ありとあらゆるものに効率を重視しすぎる。そして効率をとことんまで極めていけば、人も草木も、およそ生きとし生ける者は、すべてが息を出来なくなる……。だからこそ、あの男の世界ではすべてが膨張し、次に疲弊していく。ゆっくりと色褪せ、崩れ落ち、やがてはその内部から、個々と組織の自壊が始まる。 

 

 

信長の原理

信長の原理