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『信長の原理』武将と企業人の共通点を感じる小説

垣根涼介さんの歴史小説。織田信長は、既存の枠組みに捉われずに戦争、商業、組織構築を刷新し、人材の効率的活用に尋常ではないレベルでこだわった故に成功したと描かれています。

戦国という社会が停滞しつつも勢力が均衡している時代に、他を圧倒する新しい絵図面を描いてそれを実現するには、無理を重ね、部下というリソースを絞りつくし酷使することは不可避だったのでしょうね。その結果、相容れられなくなった部下から打倒されることも、避けられないのかと。中国の戦国時代を統一した秦の始皇帝も同じかもしれません。

そんなことを感じると同時に、明智光秀、豊臣秀吉は超優秀な勤め人だったんだなあ、と同情を覚えました。歯を食いしばり、時には泣きながら結果を出して出世を果たした。丹羽長秀は上司の言いつけを器用にこなしながらも、それしか出来ない自分の将来を諦めた。

学問や技術は彼らが生きた450年前から変化、進歩していますが、人間が何を考え、何に悩んできたかは、あまり大きく変わっていないのでしょう。学習、記憶、意思疎通などの認知的能力はおよそ7万年前に確立、完成しているといいますから、そこから心の内面に大きな違いはないのかもしれません。

フィクションですが、リーダーである信長、部下である部将たちの内面描写には真実味があります。さらりと描かれる史実の流れの精緻さにも支えられているのでしょう。信長を信長たらしめる物事の原理へのこだわり(ここはこの小説の柱なので書きませんが)は説得力がありますし、部将たちの、自らの力を存分に生かし、また絞りつくす主君信長への尊敬と不満、自らの力への自信と不安にもとづく出世競争におけるあせりは、現代のサラリーマンをして、なるほどと思わせます。

何人かの部将の心情描写を紹介します。

三番家老ではあるが出世競争からの脱落を諦念を持って予期する丹羽長秀

子供の頃から絵を描いても文字の手習いをしても、人並み以上に習得が早く、器用にこなせた。今もそうだ。命じられたことは普通の者よりはるかに早く、しかもそつなくこなす自信がある。が、決してそれ以上ではない。ある種の器用貧乏だ。自分には、何かひとつでも傑出した才能が育っていない。そしてその訳にも、おぼろげながら自分で気づいている。才能とは、良きにつけ悪しきにつけ、執念から生まれる。自分には、虚仮の一念に似たその執念のようなものがない。執念を育てるのに必須な精神の傾斜──柴田のような根拠のない自信からくる傲慢さや、藤吉郎のような異常極まる立身欲──がない。 

 出世競争で勝ち残り、勝ち抜くために自分を偽ってでも努力を続ける羽柴秀吉

秀吉は非常に気前が良く、常に陽気で鷹揚な人間だと織田家中では思われているが、その実は、まったくそんな人柄ではない。必死に闊達な自分を演じ続けているだけだ。出自と言える出自もろくになく、矮小で容貌も醜い。戦場に出ても槍働きひとつ満足にこなせない。そんな人間が世間で人並みに相手にされていくには、そして、その組織の中で立身していくには、可能な限りの愛想の良さを自分から演出してゆくしかなかった。昔、秀吉が生まれて初めて仕えた遠州の今川家の被官、頭陀寺城の松下之綱の許では、素の性格のままで奉公していた。そのため、有能さを主君の松下には買われていたものの、家中の人間からは徹底して嫌われた。挙句、居づらくなって松下家を退転した。 織田家に仕えた時は、もう二度とあんな失敗は繰り返すまいと心に決めた。だから今も懸命に、朗らかで大気者という仮面を被り続けている。擬態だ。 もし、心底からいつも愛想が良く、誰彼なく親切な男がいるとしたら、そいつは何も考えていない、よほどの馬鹿だと秀吉は思っている。たとえ周囲の人間には好かれても、馬鹿には大局を見据えた政治力を必要とする調略など、出来るはずもない。長い目で見れば、大した立身も出来ない。だから、本来の自分は密かに温存しつつも、この織田家に仕えてから二十数年というもの、常に人当たりのいい自分を演じ続けてきた。 

信長式の究極の効率性が目指すところを理解し、謀反を起こす松永弾正久秀

弾正は、もう一度はっきりと思う。神などは、おらぬ。されど、この世は神に似た何事かの原理で回っている。そしてその原理の前では、生きとし生ける者、人も、所詮は虫──弾正が以前に懸命に飼い続けた鈴虫と同じなのだ。だから領内で年貢を隠した百姓などには、蓑を着けさせ、そこに火を放ち、その烈火の苦痛から逃れようと激しくもがき苦しんで焼け死ぬ様子を、『蓑踊り』と称して楽しんだ。虫が、何を姑息なことをやっておるか──。と同時に、おれも所詮は虫だ、と感じた。信長よ、おまえも所詮は人ではないか。虫けらと同じだ。が、その虫けらがこの宇内の原理を根底から変えようとするなど、その原則を覆そうとする人事を常に試みるなど、何を思い上がっている。いったい何様のつもりだ。あの男は、ありとあらゆるものに効率を重視しすぎる。そして効率をとことんまで極めていけば、人も草木も、およそ生きとし生ける者は、すべてが息を出来なくなる……。だからこそ、あの男の世界ではすべてが膨張し、次に疲弊していく。ゆっくりと色褪せ、崩れ落ち、やがてはその内部から、個々と組織の自壊が始まる。 

信長の原理

信長の原理