花も実もある楽しい読書

人生とテニスに役立つ本

『怒らない禅の作法』心穏やかに人生を送る秘訣

 禅の心とは、物事にとらわれず今この一瞬を大切に生きること。執着を手放し日々満足して生きること。よけいなものをそぎ落としシンプルに生きることです。

 怒りに振り回され、人にぶつければ人間関係にヒビが入る。我慢すれば後々までストレスが残る。とはいえ、会社でも、夫婦でも、人間関係にはぶつかり合いが必ずあり、怒りを覚え、苦しいことが、必ずある。でも、毎日できることから取り組めば、怒りから自由になれる。心が安定し、自分本来の力を発揮できる。枡野俊明さんの教えは、そのための「心」の作法から始まります。

仏教では、どんな人も一点の曇りもない鏡のような心、すなわち「仏性」を持っていると考えます。仏性とは、「ピュアな自分」と言い換えてもいいでしょう。わかりやすく言えば、大宇宙の真理をそのまま映す鏡のようなもの。誰もが本来持っている思いやりや優しさ、誰かのために役立ちたいという思いのことでもあります。あなたも、もちろんあなたの嫌いな人も、この仏性を持っています。誰の中にも尊い仏性があると気づくことは、それだけで仏様の境地に近づいているということです。この仏性と一枚になること。その状態を「見性成仏」と言います。曇った眼鏡をかけていると、この仏性に気づくことができません。しかし、今かけている心の眼鏡を外してみると、ふとしたことで、その人の本質に気づくことができます。普段は気づけないその人の優しさや人間味が見えてきます。自分がどんな色の眼鏡をかけているか、まずはそこに気づくところから始めれば、いつしかその眼鏡を外すことができるでしょう。 

 人の嫌いなところに怒りを燃やすか、その人の中の仏性に気づくか。煩悩に身を任せて時間を費やすか、「磨けば玉になる」自分の中の宝を磨くか。同じ時間、どちらにも使えます。災害で動かない新幹線に怒りを燃やすか、自らの力が及ばない状況下では、なすがまま、時間を違うことに使ってマイナスをプラスに転じるか。

流れに身を任せ、その巡りあわせを味わう。これを、禅語では「任運自在」と言います。大きな流れに自分をあずけて、悠然と生きるのです。 

 怒りの波紋は消そうとすればよりかき乱れる。ならどうするか。そのまま放っておけば自然に波紋は消え、いつもの静かな湖面に戻ります。

 「あ、自分は今怒っているな」「カッカしているな」と気づいたら、丹田(おへその下二寸五分、約七・五センチ)で大きくひとつ深呼吸。その後は、無理に感情を抑えず、なすがままにしておきます。 

 何をすればいいか。目の前のことに集中すればいいのです。どんな人にでも、やるべきことがあるはずです。仕事でも家事でもいい。もちろん、勉強や奉仕活動でもいい。あるいは、部屋を片づけたり、先延ばしにしていた雑用をしたりすることかもしれません。もしかすると、誰かに会いに行かなくてはならないのかもしれません。思い切り遊んでみるのも良いかもしれません。何も思いつかない場合は、ひとまずゆっくり時間をかけて、一服のお茶を飲むのもいいでしょう。 

  人から不当な非難をされた、と感じると腹がたつ。でも、人の言ったことをそのまま取り入れる必要があるでしょうか。

 同じ景色でも立つ位置によって見え方が違うように、その人の立場によって出来事の捉え方がまったく変わってきます。もしかすると相手は、あなたより優位に立とうとして、そう言っただけかもしれません。あるいは、自信のなさを攻撃的な言動で隠しただけかもしれません。相手には、相手の「事情」があります。自分の受け取りたくない評価は、受け流せばいいのです。 

 怒りに振り回されないためには、その場で怒りを収める工夫が必要。その場で怒りを収めることができると、まず自分の心が穏やかになります。落ち着いてみれば、相手との人間関係も崩さずに進められた自分に満足できるはずです。

  実に簡単なことです。不愉快なこと、腹の立つことがあった時、何かを言う前にまず一呼吸置くのです。浅い呼吸では効果がありません。おなかをゆっくり動かしながら、大きく丹田で深呼吸します。この「間」が重要です。一度口を出た言葉は、取り戻すことができません。「今のナシ!」と後から叫んでも、いったん崩れた信頼や壊れた人間関係が、簡単に修復できるはずもありません。

「いい子でありたい」と思うのをやめる。「できる人」と見せる努力をやめましょう。

 ほんのちょっと我慢すれば、「いい人」と言われて周りから愛される。角を立てないように振る舞えば、みんなと仲よくできる。そう思ってはいませんか?あるいは、背伸びをして自分をよく見せなければ、人に負けてしまう。「できる人」と思われないと出世できない。そう決めつけてはいませんか?そのちょっとした我慢や背伸びが、あなたの心に大きなストレスを与えています。 「随所快活」という禅語を、心に留めておいてください。どんなところにいても、へりくだったり、あるいは、気取ったり緊張したりすることなく、自分らしく自然体で生きる。それが、禅の目指す生き方です。どんな時も、ありのままの自分でいればいい。肩書や立場など関係ない、ありのままの相手を見ればいい。それ以上でも、それ以下でもない。

 被害者にならない。自分がそうだと思い始めると、どんどん、どんどん辛くなります。自分を客観的に、上から俯瞰して見られるようになりましょう。

  普通であれば涙したくなるようなわびしい状況も、心ひとつで、このうえなく幸せなものへと簡単に変えられるのです。こんなに軽やかな生き方をしてみたいと思いませんか? 「被害者」でいることをやめれば、それができます。

 求めない。欲を無くすのではなく、まず、自分が持っているものを味わい尽くしましょ。時には持ち物を吟味して身軽になり、大切なものだけに囲まれて暮らせれば、幸せ。

 今持っているもの、そばにいてくれる人、置かれた状況。すべて大切なご縁によって結ばれたものです。もちろん人間であれば、欲望をまったく持たないことなど不可能です。しかし、自分の身の丈を知ること。そして、欲望に支配されないことが大切なのです。「ありがとう、もう十分」  そう言えた時、心に安らかさが訪れます。満足感に満ち充実した毎日が訪れます。 

 今すぐ行動に移す。

 禅では、行動、実践がすべてと説きます。水が上から下に流れ落ちるように、人間は、何も意識しないと楽なほうへ楽なほうへといく生き物です。その結果、時間だけが過ぎていき、いつしか「まあ、いいや」とあきらめてしまう。それでは、いつまで経っても変わることはできません。  晩年自分の一生を振り返った時に「自分の生き方はこれでよかったのだろうか」と後悔しても、時間を巻き戻すことはできないのです。 

 まず自分から始める。

 禅では、作務を「人が人であるための基本行為」と位置づけています。禅僧は、掃除や炊事、庭仕事などを「片づけなければならない義務」だとは捉えません。たとえ面倒な仕事であっても心を込めて行えば、必ずそこに清々しさが残り、真剣に取り組んだ分だけ仕事の結果が残ります。そして、自分の成長が感じられます。自分を変えられるのは、自分自身。禅僧はそれを身にしみて知っているのです。 

  以上が「心」の作法。次は、怒らないための「体」の作法です。

 おなかから深く呼吸をする。

 いつもなら受け流せるシチュエーションで、つい腹立ち紛れにあたってしまったとしたら、その原因は、自分自身の心の乱れに他なりません。苛立ちなどを、無意識のうちに怒るという行動で解消しようとしたのでしょう。そんな時自分の呼吸を意識してみると、早く、浅くなっているはずです。下腹を意識して動かしながら、ゆっくりと深い呼吸を5,6回繰り返してみてください。

 呼吸は直接心に働きかけ、気持ちを安定させる力を持っています。たとえば、重要なプレゼンや会議の前、結婚式のスピーチの前などは緊張して、必ず呼吸が浅くなっているもの。相手をリラックスさせるために「はい、深呼吸して」とよく言いますが、これは実際に効果があるのです。ただし、胸式呼吸をいくらくり返しても効果はありません。大切なのは、丹田に意識を集中させ、深く長い呼吸をすることです。

 丹田呼吸のポイントは、息を吸う前に、まず吐ききることです。初めのうちこそ練習が必要ですが、慣れてくれば、いつでもどこでもできるようになります。電車の中で、歩きながら、心がざわつく時、気分転換したい時…。もちろん、イライラが爆発しそうな時や頭に来ることがあった時に有効なのは、言うまでもありません。

 日常の所作を美しくする。

 禅の修行では、心を整えるためにまず姿勢を正し、立ち居振る舞いを整えることから始めます。立ち居振る舞いとは、私たちの普段の所作のこと。禅では「行住坐臥」という言葉で表します。この所作を美しくすることは、基本中の基本。所作が洗練されると、心も磨かれ、美しくなると考えているのです。所作は心を映し出す鏡。周囲の人や仕事にどのように向きあっているか、また、人生に対してどのように向きあっているのかが、その人の所作に如実に表れます。

 姿勢を整え、呼吸を整えると、心が整う。これを禅では「調身、調息、調心」と言い、坐禅の三要素としています。三者が一体となって坐禅が完成し、無の境地を味わうことができるのです。決して目立つわけではありませんが、周囲を惹きつける魅力を持った人が時々います。そんな人は、所作も呼吸も、もちろん心も普段から整っているはずです。 

 10分でも歩く時間を作る。意識して体を動かす。思い切り大声を出す。

 誰もが知っているように、歩くことはさまざまな恩恵をもたらしてくれます。新陳代謝や血の巡りを活発にして健康を促進する効果があるだけでなく、気分が一新されストレス解消にも役立ちます。それだけではありません。仕事や家事から離れて、一歩ずつ歩みを進める時間は、季節の移り変わりを肌で感じ、日頃の自分を省みる貴重な時間となるのです。

 体を使うために、わざわざジムへ行く必要はありません。おざなりに済ませていた掃除に懸命に取り組んでみる。一駅分歩いてみる。そんなことでいいのです。私のお勧めは、普段からエスカレーターやエレベーターを使わず階段を使うことです。初めから一〇階以上は少しきついかもしれませんが、五、六階くらいなら大丈夫でしょう。 

 腹の底から響くような大きな声には、瞬時にして一切合切を吹き飛ばしてしまうような強い力があります。海や山に向かって叫べればいいのですが、現実的には難しいですね。気軽に大声を出せるところが身近にあります。そう、カラオケボックスです。カラオケなら、誰に遠慮することなく思う存分大声を出せます。好きな曲を思い切り歌えば、ストレス発散にもなり心がスッキリするでしょう。

 自然の中に身を置く。

自然は、いつも私たちにあるがままの姿を見せてくれています。その姿と向きあう時、私たち自身もあるがままになれるのです。その時、日常では決して出会うことのない、新しい自分を発見するはずです。

 ゆっくりお風呂に入る。

 修行僧がいる禅寺には、三黙道場と呼ばれる場所があります。坐禅を組んだり生活の中心となる僧堂、トイレ(東司)、そして、お風呂(浴司)の三カ所で、ここは神聖な場所とされ、一言も言葉を発してはいけません。僧堂はともかく、トイレやお風呂で悟りを開くと言われても、ピンとこないかもしれません。しかし、トイレでは烏芻沙摩明王が、浴室では跋陀婆羅菩薩が悟りを開いたと言われ、今でも禅寺のトイレと浴室にはそれぞれの仏様が祀ってあります。実際に悟りを開けるかどうかは別として、トイレやお風呂で良いアイデアがハッとひらめいたという経験をした人は多いのではないでしょうか?特に、心も体もゆったりとくつろげるお風呂では、今日も一日無事に終わったという安堵感も手伝って、思わず膝を打ちたくなるような斬新な発想が浮かぶものです。私自身も、庭園造りの新しい着想が浮かんできたことが何度もあります。日中張り詰めていた緊張の糸がほぐれることで、思い込みや固定観念がすべて取り払われ、心が柔軟になるからでしょう。

 寝る前は、静かで落ち着いた時間を過ごす。

 大切なのは、頭の切り換えです。寝る前の時間の過ごし方によって、睡眠の質がまったく変わってきます。時間がなければ、三〇分でもかまいません。とにかく、自分自身が、「気持ちいいなあ」「心が落ち着くなあ」と感じる時間を、たっぷりと味わってください。その日一日、思い通りにいかなかったこともあるかもしれません。しかし一日を無事終え、自分のための時間を過ごしている。その幸せに気づけると、自然に「ありがたいなあ」という思いが浮かんでくるはずです。感謝の思いとともに安らかな気持ちで眠りにつけば、きっと気持ちのいい朝が待っているでしょう。 

 掃除をする。

 掃除とは、心を磨くこと。鏡のように光った禅寺の廊下や床は、一点の曇りもない本来の自己を表しています。そのように清められた空間と向きあう時、自然に人は襟を正し、神妙な気持ちになるのです。 

 身だしなみを整える。

 会った人にさわやかな印象を与えるこざっぱりとした服装、髪や爪、靴など細かいところにまで気を配った清潔感のある装いを心がけることが、自分が心地よく過ごすうえでとても大切だということに気づいてほしいのです。

 お茶を味わって飲む。

 湯のみを持ったら日頃の悩みはすべて忘れ、お茶を飲むことだけに集中すればいいのです。

 風の心地よさを感じる。

 「ああ、季節が移ったのだな」と、真っ先に教えてくれるのは、風の冷たさやあたたかさです。枯れ葉を舞い上げる木枯らし。木立を吹き抜けるさわやかな夏の風、やわらかく頰をなでる春風……。冬は手足の先が痛くなるほど冷たくなり、夏は少し動くと汗だくでヤブ蚊の攻撃もありますが、それを補ってあまりあるほどの恩恵を、いつも境内で過ごすこの時間からは受け取っています。 

 心を込めて料理をする。心を込めて食事をする。

 皆さんに大切なのは、よく生きようとする心。そして、料理することや食べることを楽しむ心ではないでしょうか。 

 人の長所を見つける。

 どんなに嫌いな相手でも、あなたが嫌っているのはその人の一面にしか過ぎません。その一面だけを捉えて拒否感や嫌悪感を持っているのだったら、いっそのこと「好ましい一面」を探したほうが、何よりあなた自身にとって得策というものです。では、どうやって苦手な相手の長所を探しましょうか。まずはかけていた色眼鏡を外して、今日初めて会った人だと思い、相手と接してみることです。「意外にメモの字がきれい」「会議の仕切りが上手」。今まで気づかなかった面が見えてくるのではないでしょうか。それを、ぜひ言葉にして伝えてみてください。とらわれのないしなやかな心。これも、禅が教える基本のひとつです。 

  「忙しい」「疲れた」自分の心をそういったネガティブな言葉から解き放つ。

 あなたの言葉を一番身近で聞いているのは、他でもないあなた自身。一日中、否定的な言葉をくり返し聞かされていたら、心がげんなりしてしまうでしょう。次第に行動まで影響されて、ますますあなたを疲れさせ、苛立たせる状況がやってくるかもしれません。

 仏教には「愛語施」という「お布施」の形があります。愛語、つまり思いやりのある言葉を相手にかけてあげることです。あなたの愛語施を一番必要としているのは、あなた自身かもしれません。

 靴をそろえる。

 小さなことをきちんとできない人が、大きな目標を達成できるわけがありません。遠くへ行きたいと思えば、今は便利な交通手段が多くあります。しかし、どんな方法を使うにせよ、結局は一歩ずつ、自分の足で歩みを重ねて体を運んでいくしかないのです。着実な一歩を積み重ねられる人しか、目的地にはたどり着けません。

 靴をそろえる。数秒もかからない小さなことですが、生き方全体を変える大きな力を持っています。

  月を見上げる。

 仕事や雑事に忙殺されている時、人間関係に疲れている時、あえて時間を作り、月を見上げてほしいと思います。地上で四苦八苦している私たちを、月は誰一人分け隔てすることなく、優しく照らしているでしょう。

 そして最後にケーススタディ。夫婦で意見が対立して、しょっちゅう喧嘩している。その場合、「相手に勝ちたい」という気持ちを捨てましょう。

 どんな夫婦でも、一から十までまったく同じ価値観を持っていることはあり得ません。ですから、まず大切なのはお互いの違いを認めあうことです。そして「愛語」を心がけ、「利他」の精神で相手に接するのです。また、改めてほしいことがある時は、「ちょっと、お願いなんだけど」と前置きする。これだけで、相手の受け取り方は相当変わるはずです。

 「これなら、できそうだ」と思えるものを決めて、まずは100日。著者はそう言いますが、100日は長い。まずは21日やってみる。そこを目指して始めてみると、数日でも心持ちが変わってくるものが見つかると思います。まずは小さな事でも、変えるという行動をしてみましょう。

怒らない 禅の作法 (河出文庫)

怒らない 禅の作法 (河出文庫)