20. 「うまくいく夫婦、ダメになる夫婦」の心理 加藤諦三 家族と自分の幸せのために

 「全ての悩みは人間関係に起因する」というアドラー心理学に習えば、人生で最も長い時間を共にする夫婦関係とは、もっとも大きな悩みのタネであって当然かもしれません。本書には夫、妻にとって、悩みを乗り越えて良い関係に至るため、参考になるキーワードが色々あります。ちなみに、例として出てくる「夫」「妻」の話は全て逆に置き換え得るということなので、好きなように読み換えてください。

  まずは本書を読むにあたっての前提条件。

二人の関係がうまくいっているときには元気が出る。しかしまずくなれば気力を失う。それは誰でも同じである。できれば離婚をしないで一生を過ごせればそれに越したことはない。それに越したことがなければ、それにはまずどうすればよいかということである。 子どもにしても両親が仲が良いほうがいいに決まっている。子育ては両親が仲良くしていればそれほど心配することはない、というのが私の持論である。仲が悪いのにただ一緒にいるくらいなら、別れたほうが子どものためだとも信じている。 私は離婚は子どものために悪いと思っている。しかし両親が心を触れあわないで緊張した空気の中で一緒に住んでいるくらいなら、別れたほうが子どもにはいいと思っている。分かり切ったことであるが、簡単に言えば離婚はあくまでも次善の処置である。ラジオのテレフォン人生相談などをしていると[家庭内離婚]という最悪を選択する人があまりにも多いのに驚く。私は仲良く結婚生活を続けるのが最高、次は離婚、最悪は仲が悪いのに一緒に生活していることであると思っている。つまり家庭内離婚といわれる状態が最悪の状態である。 

 奥さんはこの事件をきっかけに、能動的で積極的な男にご主人を変えようと努力すればいい。そしてそのような努力をすれば、ダメなときにはあっさりと別れられる。やるだけのことをすれば「こんな男だったか」と諦めもつく。やるだけの努力をすれば別れた後で後悔することもない。離婚した後で「別れてよかった」と思う。離婚した後で後悔する人は一緒にいるときに努力していない人である。

    夫婦で過ごす時間も、別々に過ごす時間も、つながっているので二人の関係がいい時は仕事に行く足取りも軽いし、まずい時は外にいても気力が失われます。そのぐらい大きな関係だからこそ、離婚した方がいい事態もある、と認めています。同時に、それまでにやるべき事があると。やるべき事をやらずに済ますのは、自分の人生に対して無責任というもの。夫婦は一番多くの時間を過ごすパートナーなのだから、良い関係でいるために一番努力していいはず。そう考えれば、誰しも「仲良く結婚生活を続ける」ためのアドバイスを、ちゃんと聞いて頑張ってみようと思えるのではないでしょうか。

言いたいことを言わないで、心に残しておくと、それはいつか火山のように爆発する。爆発しないときには本人の中で頭痛をはじめ体の不調となって爆発する。だから[一日一回夫婦ゲンカで医者知らず]なのである。

自分のどのような言動が相手を傷つけたのか、自分は傷つけるつもりなど毛頭ないのになぜこれほど相手は傷ついたのか、相手の心理的アキレス腱はトラブルを通してしか理解できない。なぜ相手がそこまで傷ついたかという理解こそ、相手の心を理解するポイントなのである。 そのように相手を理解しようとする姿勢があってこそ相手を愛しているといえる。相手が傷ついて怒ったときに、こちらもただ腹を立てるだけであるなら、相手を愛しているとはいえない。それは相手を好きであるかもしれないが、相手を愛しているとはいえない。相手を理解したいと望めば当然相手に注意がいく。そして何かトラブルが起きたときには、相手は自分が想像するよりはるかに深く傷ついていると思ったほうが正解である。自己中心的な夫や妻は相手の辛さを甘く見る。自己中心的な人は、自分がどのくらい人を傷つけているか、気がついていない。したがっていろいろなトラブルが出ても最初はたかをくくっている。 

人をだますべきではないといくら言っても人をだます人はいる。世の中には詐欺師がいる。現実を受け入れないで心の藤に悩む人は現実を改良する能力もない。ただ不満を言っているだけで現実と真剣に取り組まないからである。

 夫のことを嘆いていないで、「夫を褒めて、自分はおしゃれをする。そして部屋をきれいにすること」である。これが現実を受け入れて現実を自分の望むように変える努力をするということである。それが能動性と積極性である。

相手を本当に変えようとするなら相手を責めないで、相手の話に耳を傾けることである。妻の目をじっと見つめながら妻の話を聞く夫は、妻を責める夫よりもはるかに幸せをつかむ。そうではなく責めていること自体が嬉しいなら、いつまでも気が済むまで責めていればいい。相手を不愉快にさせることが目的なら、いつまでも相手を責めていることである。しかしそのときには自分は幸せになろうとはしていない、ということをはっきりと自覚することである。人は本気で幸せになろうとすれば普通、想像する以上に幸せになれる。ただほとんどの人は本気で幸せにはなろうとしていないだけである。自分が幸せになりたいという願いよりも、相手を責め続けたいという願望のほうがはるかに強いだけである。『どうしたら夫をリラックスさせられるか』に、相手をリラックスさせようとするなら「まずあなた自身が満足すること」とある。そのとおりである。 

結婚生活では何よりも根気よく話し合うことが大切である。話し合わなければ相手が何を考えているか分からない。

 相手の考え方を「こうだ」と決めつけることは極めて危険である。決めつけられたほうは「もう話しても無駄だ」と感じてしまう。そしてもう本当の自分を出さなくなる。本当の自分を隠して相手にあわせて生きはじめる。

 よく離婚の原因として[性格の不一致]というのがあげられる。しかし性格が一致している例は少ない。第1章にあげたアメリカの心理学雑誌に「人々は違いが問題だと思っているが、我々の調査の結果では、重要なのは違いではない。問題はどのようにこの違いを扱ったかということである」と述べられている。

言葉を聞くよりも相手の態度を見る

相手の言うことを文字通りに解釈してはならない。文字通りの言葉の解釈と相手の意味していることとは違う。言葉を聞くよりも相手の行動や態度を見るほうが相手の真意がよく分かるときがある。自分に自信のない人は相手の言葉や表面の態度に反応してしまう。例えば相手の軽蔑の言葉に傷ついてしまう。しかし相手は劣等感に苦しんでいるから、そのような言葉を吐くことがある。女としての自分に自信がないから男を軽蔑するような言葉を吐く。妻のあなたに対するあら探しの言葉を聞くな、その言葉の裏にある悩みを聞け。 

夫の弱点を批判すればするほど、逆にその弱点はなくならない。

相手から冷たく批判されれば直す気もなくなる。しかし相手の欠点を受け入れてあげれば、気がついてみれば相手の欠点がなくなっているということもある。それが愛の恐ろしいまでの力である。「愛は奇跡を起こす」ということはそういうことをいうのであろう。相手がそのような弱点を持つには持つなりの理由がある。それまでの人生、出会った人々、幸運・不運、生い立ちからはじまって言いだせばきりがない。それを理解し、受け入れるときに初めてその弱点はなくなる可能性が出てくる。

理解は許しに通じる。

相手がすねるのは相手が愛情を求めているからであると理解できれば、すねた態度も許す気持ちになることがある。男と女の問題でごたごたするのは相手が自分を好きだからであると理解できれば、怒りで理性を失って取り乱すこともない。

自分の感情を抑えつけないこと、相手にも吐き出させること

自分も感情を残してはいけないが、相手にも感情を吐き出させてあげなければいけない。「口うるさい」とか「なじる」とかいうのは相手に自分と同じことを認めないことである。妻は夫が会社であったことを話しだすと最後まで聞かないで自分の意見を言いだす。 「どうしてそのことを上司に言わないのよ」からはじまって、ついには「あなたはいつも弱いんだから」まで矢継ぎ早に話をする。複雑な事情の分からない妻のこの忠告に、夫は次第に会社であったことを言わなくなるという。そして妻の意図は素晴らしいが、彼女はすべてをぶち壊す。会社であったことをとにかく吐き出させるのである。するとまた次の日に会社に行く勇気が湧いてくる。批判するくらいなら黙って夫の好きな料理を作ってあげるほうがいい。そして夫が話しはじめたときにはうなずいて聞く。その結果夫は次の日にまた、いさかいをした同僚のいる会社に行く勇気が湧いてくるのである。子どもと同じこと。子どもに学校であったことを吐き出させる。相手に勇気を与えるためには演説する必要はない。 

最低の夫、最低の妻

最悪の夫とか最悪の妻というのはすぐに分かる。しかし「最低」というのはなかなか分からない。最低の場合、本人は素晴らしい夫、あるいは素晴らしい妻と思い込んでいる。最悪の夫とは酒癖が悪く、給料は家に入れない、父親としても子どもが好きでないというような夫である。これは誰の目にもすぐに分かる。本人も自分が素晴らしい夫とは思っていない。しかし最低の夫は自分を素晴らしい立派な夫と思い込んでいる。夜は外で酒を飲んで遊んでくるわけではない。他に女をつくって家に帰ってこないというのでもない。給料はきちんと入れている。外での振る舞いも紳士であるし、何よりもよく働く。しかしこのような[立派な夫]はたいてい妻に対して秘かな敵意を抱いている。したがって妻にはつまらない男であるばかりではなく、窮屈で息が詰まる男なのである。それでいながら態度は完全であるから批判のしようがない。

完全な妻を演じようとする女の心の底にあるものは何だろうか?

おそらく完全な妻を演じることによって夫を束縛しようとすることである。「私はこんなにもあなたに尽くしています。あなたは私に何をしてくれますか?」ということであろう。これはカレン・ホルナイの言う神経症的愛情要求である。強迫的に尽くすのは愛情を求めているからだとアルバート・エリスも述べている。多くの場合、夫も子どももこの[完全な妻][完全な母]に反論できない。とにかく相手は[完全な妻][完全な母]なのだから。文句のつけようがない。しかし夫も子どももこの[完全な妻][完全な母]と一緒にいると何か堅苦しい。一緒にいても楽しくない。逃げ出したい。しかし逃げ出す理由が見つからない。その人が一緒にいて気が楽か、自由を感じるかどうかは、その人の無意識の問題である。その人がどんなに社会的に立派な人であっても無意識の部分で相手を束縛しようとしているかぎり、こちらはその人と一緒にいても気楽ではない。完全な妻を演じようとしている奥さんは、完全な妻を演じることで自分にも夫にも何を隠そうとしているのだろうか?それは束縛願望、依存心、自己無価値感などである。そして完全な妻を演じることの裏では相手に愛情を強く求めている。心の底に隠すものを持っていない人は完全な人間を演じようとはしない。完全な人間にこだわらない。普通にしている。  それに最も恐ろしいことは完全を演じようとする奥さんは夫や子どもに秘かな敵意を抱いていることである。[立派な夫婦]が必ずしも幸せというわけではない。お互いの弱点を受け入れあっていつまでも夢のある男と女でいることが幸せなのである。男と女は[こうあるべき]という規範にとらわれないで、もっと自由に考え、自由に行動しているほうが幸せなのである。 

「この一言で私の結婚生活は救われた」「私はこの言葉で勇気が出て離婚し、今は幸せになりました」などというような読者の言葉になれば著者としては、これらの本の読みがいがあったというものである。