北条早雲こと伊勢新九郎盛時が主役の、ゆうきまさみ最新作。応仁の乱前夜、新九郎11歳から物語は進みますが、1巻冒頭は、新九郎38歳が起こしたある事件の場面から。
室町殿奉公衆、伊勢新九郎盛時!主命により足利茶々丸様の御首頂戴に参上仕った!
主命かあ、お前さんも大変だな。主が変わる度に右往左往させられてな。
言うな左近次。やるしかないのだ!ここまではやる!だがこの後のことはもう決めたぞ…俺が決めた!
思えば簡単なことではないか。明日から俺の主は俺だ!
この場面が下剋上の嚆矢、戦国時代の幕開けといわれる事件だったとは、本書を読んで知りましたが、戦国の風雲児が元服後26年にして発するこのセリフ、宮仕えの長い現代人にもグサリと響きます。
ゆうきまさみさんならではの、高い画力とユーモアで描かれるマンガですが、歴史小説のように情報量が多いです。人名も、官名の「伊勢守」と書いて本名の「さだちか」と読み仮名をふるなど、はしょらずに情報を詰め込んでいます。
とはいえ、教科書的な系図を、登場人物自らがロールスクリーンを引っ張り出して説明したり、時々現代語でのボケ突っ込みが入ったり、膨大なボリュームを、テンポよく読ませます。
東西に分かれて応仁の乱を争う京の都は、生真面目で慈悲深いだけでは生き抜けない妖怪の巷。主人公の伊勢家は、室町幕府の政所執事、すなわち財政長官を世襲する家門。いきおい、応仁の乱においても、チャンバラよりも政治闘争で奮闘します。
名門伊勢家は妖怪の巷で生き抜くべく奮闘するのですが、ピンチの後にチャンス、チャンスの後にピンチ、と家の明暗は目まぐるしく変わっていきます。
一族郎党を養うためには領地経営という収入源が欠かせません。新九郎もひと時、京を離れて領地である備前国の荏原郷に入りますが、京の仕事にかまけて父がおざなりにしていた領地では人心が離れ、現状把握もままなりません。
ここで新九郎は、理屈だけではものごとが進まず、人を動かすには顔を見知る、小さな信頼を積み上げる、といった領地経営の現実に直面します。
上を見て仕事をするか、下を見て仕事をするか。新九郎が奔る!を読んでいて思うのは、これは良い悪いではないなと。
天下を見て仕事をするか、自領を見て仕事をするか。立身出世を目指して生きるか、足元の幸せ固めに生きるか。前者の方がすごいと考えがちですが、新九郎の成長を見て、どちらにも面白さとやりがいがあることに気付かされます。
大切なのは、俺の主は俺だ、そう思って生きられるか、なのではないでしょうか。6巻で新九郎はまだ16歳。今後の展開に目が離せません!