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中学生と親子で楽しめる小説11選

 本当に面白いものは、大人でも子供でも面白い!中学生の子供たちと親子で楽しんだ小説をご紹介します。

1.きみの友だち 重松清

  素敵な作品の多い重松清さんの小説の中でも、私と長女が特に好きな一冊。正確に言うと、それぞれが買ってしまったので家に二冊あります(笑)。主人公とその周りの子供たち、それぞれが主役となる短編が連なり、ひとつの長編として物語は進みます。

わたしは「みんな」を信じない、だからあんたと一緒にいる  。

足の不自由な恵美ちゃん病気がちな由香ちゃんは、ある事件がきっかけでクラスのだれとも付き合わなくなった。学校の人気者、ブンちゃんは、デキる転校生、モトくんのことが何となく面白くない…。優等生にひねた奴。弱虫に八方美人。それぞれの物語がちりばめられた、「友だち」のほんとうの意味をさがす連作小説。

 学校生活。「みんな」と一緒。思春期の子ども達は、みんなと一緒であろうと気疲れしたり、そうでない子をいじめたり、みんなからはじかれて辛い思いをしたり。いじわるに傷つき、やさしさに触れて大切なことに気づき、少しずつ変化して成長する。様々な登場人物、それぞれの経験や気持ちの動きが、どこか自分や我が子と重なり、胸がしめつけられ、そして温かくなります。 

 友だち関係のあり方は人それぞれ。でも誰にとっても、友だちとふれあい、過ごした思い出は宝もの。文庫版あとがきで重松さんが語っていますが、連載終盤にめぐりあった体験を踏まえて、最初に用意していた最終章の筋立てを変えたそうです。それはそれは素敵なエンディングでした。是非、多くの大人と、若い人たちに、読んでほしいと思います。

きみの友だち (新潮文庫)

きみの友だち (新潮文庫)

 

2.風が強く吹いている 三浦しをん

 娘たちが小学生のうちに読破した最初の大人向け小説。単行本で500ページのボリュームですが、二人とも夢中で読んでました。大学のあばら家学生寮に住む10人が箱根駅伝を目指すことになる、三浦しをんさんの、笑いあり(すごく多め)、涙あり(意外と多め?)の青春小説です。文庫本もありますが、単行本の表紙が、現代絵師の山口晃さんによる大和絵風で、登場人物と決めゼリフ、物語の場面が細かく書き込まれており、読後に見返すと、楽しくなります。

 登場する10人のメンバーが、一人ひとり個性的で、彼らの会話に笑わされ、独白に心を打たれます。テンポの良いやり取り、ハラハラする練習や試合の展開。大人も子供も、映像を見ているようにポンポン読めてしまいます。

風が強く吹いている

風が強く吹いている

 
風が強く吹いている (新潮文庫)

風が強く吹いている (新潮文庫)

 

3.精霊の守り人 上橋菜穂子

 次女と大いに楽しんだファンタジー小説。18世紀ごろの東南・中央アジアを想起させる架空世界を舞台に、三十路の腕利き女性用心棒と、政争と精霊に翻弄される王子を主人公とした物語です。文化人類学専攻の筆者が描く世界はリアリティがあり、伝承に部族の想いや知恵を込めた古き良き時代を思わせます。部族の混血化で文化が変容したり、統一を進めた勝者側に都合よく歴史が書き換えられたり、産業革命後の帝国が国家経営の手段のために植民地獲得を図ったり、全10巻で描かれる社会背景は現実的です。攻める側と守る側、敵味方の攻防という構図は、子供にも大人にも分かりやすく面白く、敵味方が情勢によって入れ替わるあたりもリアルです。

 主人公が三十路の独身女性で職業は用心棒という設定もユニーク。超一流の戦闘能力の持ち主ですが、決してスーパーウーマンではなく、そこまでに至る過酷な身の上に納得させられます。彼女が時に見せる母性や愛情が、物語に温かみももたらしています。もう一人の主人公である王子は、精霊との絡みに加え、各国とのシビアな政争に巻き込まれ、翻弄されながらも、たくましく成長していきます。それぞれの文化が反映された各王家の戦略の違い、同じ王家内でも立場による王族達の考え方の違いも、物語に面白さと奥行きを与えています。

    第1巻の解説で恩田陸さんが、作家が異世界ファンタジーを書きたくなる理由を綴っています。自分の存在する世界を、異世界という縮図で理解したい、描きたい、自分のものにしたい。文化人類学者として、世界の秩序を俯瞰したい、自分なりの言葉で解明したい。そう感じたのではないかと。本書はまさに異世界を舞台としながら、読み手にどう生きるかのリアルなメッセージを届ける、素晴らしい物語です。

    子供と親、どちらも夢中になれますので、一緒に、存分に楽しんでください。

4.図書館戦争 有川浩

  自分も長女も次女も、読み始めたらイッキ読みだったシリーズ。「図書館の自由が侵される時、われわれは団結して、あくまで自由を守る。」日本図書館協会の図書館の自由に関する宣言。これにインスパイアされた物語です。本の検閲を巡って図書館で戦闘が繰り広げられる、その点ではあり得ない世界でありSF、現実的かつ社会派な設定と展開、同時に進むベタなラブコメ、というユニークさです。痛快な展開とないまぜに難解な法律用語も飛び出したりするので、読書が得意な中学生以上からがおすすめです。

   本の検閲を巡り図書館内外で銃器による戦闘が頻発するという「ありえない」世界で、それが必要とされるにいたった社会的背景や、図書隊という武装機関の組織形態、階級制度などが丁寧に作り込まれています。自衛隊を舞台とする小説を多数書かれている有川浩さんの知見が、説得力を大いに増しています。

  主人公の女性隊員と男性教員の「デコボココンビ」は、全巻を通じて掛け合いで楽しませます。途中からちょいちょい放り込まれるベタなラブコメも、登場人物に十分な思い入れができた後なので、先を楽しみに見守りたくなりました。登場するキャラクターはみな丁寧に描かれ、どこかしら理解できてしまう深みがあります。

  著者自身が本書をライトノベルと評しているように、テンポがよくマンガ的、若者向けな感もある一方、「表現の自由」へのプライド、出版界に横行する自主規制への異議、そういった著者の思いは、大人も響きます。軽さと硬さあわせ持った、中高生から大人まで楽しめるエンターテイメントです。

図書館戦争シリーズ 文庫 全6巻完結セット (角川文庫)

図書館戦争シリーズ 文庫 全6巻完結セット (角川文庫)

  • 作者: 有川浩
  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2011/09/08
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5.一瞬の風になれ 佐藤多香子

 高校陸上部を舞台にした、さわやかで胸を熱くさせる青春小説。サッカー選手の夢破れ、得意の足をいかして陸上部で短距離走選手となった主人公が、天性のスプリンターである親友、部活の仲間たちやライバルと切磋琢磨する成長物語。40代が読み返したくなる。中2が先生とこの本で盛り上がる。小6が初めて長編小説を読破する。何歳になっても、何歳で読んでも、好きなことを一生懸命に努力して磨き、真摯に仲間と向き合っていい影響を与え合う、そういう大切なことを思い出させてくれる素晴らしい本です。

 不器用ながらも才能を秘める主人公、素質を輝かせながらも壁にぶつかる兄や迷える親友、才能に憧れつつ懸命に努力する陽気な部活仲間、頼もしかったり面倒だったりする先輩、後輩、気になる女子部員や立ちはだかるライバルなど、登場人物がみんな素敵です。

一瞬の風になれ 第一部 -イチニツイテ- (講談社文庫)

一瞬の風になれ 第一部 -イチニツイテ- (講談社文庫)

 

6.マスカレードホテル 東野圭吾

 推理小説は子供には刺激が強いと思われるかもしれません。私自身、子供が自分でこの本を選ぶまで、東野圭吾さんの小説を読んだことがありませんでした。読了後に思い出したのは、自分が中学生だった頃に赤川次郎さんやアガサ・クリスティーの推理小説を読みまくったこと。あれらの名作と共通しているのは、陰惨な事件の描写でセンセーションを起こそうとするのではなく、魅力的な登場人物たちと予想もつかない謎解きが、読み手をハラハラドキドキさせてくれる点。だから子供でも楽しく読み進められます。

 高級ホテルにおける非日常的な日常を楽しく見せつつ、最後には一気に本筋の事件が進んでいくストーリー展開は、一冊で二度おいしい、とでも言えましょうか。続編や映画版が見たくなること請けあいです。映画も面白いですよ。

マスカレード・ホテル (集英社文庫)

マスカレード・ホテル (集英社文庫)

 

7.バッテリー あさのあつこ

 主人公は、中学生になったばかりの少年で天性のピッチャー。突出したピッチングの才能と、馴れ合わない尖った性格の持ち主である彼と、バッテリーを組むことになるパートナー、チームメイトや監督、ライバル、弟たちといった彼の周囲の人たちが、人間として成長していく姿を描く物語です。

 スポーツ物語だとすると、この物語の主人公の巧は、ピッチャーとしての才能はあまりに突出しており、彼がスポーツで壁にぶつかって悩むことはほとんどありません。しかし、自分の力だけを信じていた主人公が、そして主人公を囲む登場人物たちが、傷つきながら、もがきながらも、少しずつ成長していく姿を描いた物語だと感じました。ゆえに、野球など全く知らない中1の娘が、夢中になって読み進めたのかなと。

 あまりに面白いので、読み終わった後、「続編はないのか!?」と騒いでいました。調べてみると、ありました。巧ではなく別の人物が中心となって話が進むため、続編ではなくスピンオフだという見方もあります。私としては、登場人物たちの、その後の成長がしっかり描かれていて、とても楽しく読めた続編でありました。

バッテリー (角川文庫)

バッテリー (角川文庫)

 

 

ラスト・イニング (角川文庫)

ラスト・イニング (角川文庫)

 

8.ソロモンの偽証 宮部みゆき

 久しぶりに読んだ宮部みゆきさんの作品は、中学生の娘に進められて。本当に、この人はなんてすごい物語を書くんでしょう。初めて読んだ『模倣犯』は、夜の8時に読み始め、怖い思いをしながら朝の8時まで、夜通し読み続けたのを覚えています。この物語は、下記のように始まり、進んでいきます。

『クリスマス未明、一人の中学生が転落死した。柏木卓也、14歳。彼はなぜ死んだのか。殺人か、自殺か。謎の死への疑念が広がる中、“同級生の犯行"を告発する手紙が関係者に届く。さらに、過剰報道によって学校、保護者の混乱は極まり、犯人捜しが公然と始まった。』

 論理的な思考や計算はできるが、他者への共感性や罪の意識が欠落している人間。脳科学者の中野信子さんは『サイコパス』で、そういう人間が100人に1人はいると指摘しました。学校や会社、100人単位で集まる集団の中には実際に、常識とされるルールや通念を、あっさりと乗り越えてしまう人間がいるのでしょう。

 『ホモ・デウス』でユヴァル・ノア・ハラリは、宗教とは単に「神の存在を信じること」ではなく、社会秩序を維持して大規模な協力体制を組織するための手段で、中世のキリスト教も、現代の人間至上主義も、いずれも宗教といえると語りました。中世で死刑は当たり前の存在だった。現代でも動物を殺しても死刑にはならない。ならば、命を奪うことは絶対悪だとか、全ての人命は等しく尊いというのも、現代のひとつの教義に過ぎないのかもしれない。

 読み進めるうちに、そんなことを考えました。途中、描かれる様々な人の悪意に身がすくむ思いをしますが、それに抗して、真実を求めて戦いを始める中学3年生たちは爽快です。そして宮部みゆき氏の物語はいつもそうかもしれませんが、最後には救いがあります。中学生から大人まで、夢中に楽しめる小説です。

ソロモンの偽証: 第I部 事件 上巻 (新潮文庫)

ソロモンの偽証: 第I部 事件 上巻 (新潮文庫)

 

9.明るい夜に抱かれて 佐藤多佳子

マジョリティでないが故の生きにくさ。

好きなものを大切に追うことで生まれる力。

コミュニケーションが得意でない苦しさ。

好きな者同士がつながるネット時代の可能性。

 いつの時代にもある、いまの時代だからこそある、若者たちが抱える苦しさと、若者らしい素晴らしさ。二人の我が子たちを見ているだけでもそれぞれの違いと良さを感じるのだから、人は本当に百人十色で、誰しも違うと同時に良さがあるはず。現代は、SNSですぐつながれるが故に、人との違いを痛感したり、違いをさらされたりして、よりしんどくなることも沢山あると思う。一方で、必ずしもマジョリティではなくても、自分なりの強みを見つけてもらえる、大切に思うもの同士でつながれるのも、ネット時代だ。

 いまを生きる我が子たち、若者たちに是非読んで欲しい。むかし若者だった私たちもすごく楽しめる、現代の青春小説です。

トミヤマは、ある事件がもとで心を閉ざし、大学を休学して海の側の街でコンビニバイトをしながら一人暮らしを始めた。バイトリーダーでネットの「歌い手」カザワ、同じラジオ好きの風変わりな少女サコダ、ワケありの旧友ナガカワと交流するうちに、色を失った世界が蘇っていく。実在のラジオ番組を織り込み、夜の中で彷徨う若者たちの孤独と繋がりを暖かく描いた青春小説の傑作。山本周五郎賞受賞作。

明るい夜に出かけて (新潮文庫)

明るい夜に出かけて (新潮文庫)

 

10.蜜蜂と遠雷 恩田陸

 浜松ピアノ国際コンクールをモチーフに描かれた、ピアノの天才たちと、音楽を愛する者たちの物語。四人のコンクール出場者の葛藤や成長は、彼らの互いを想う優しさも相まって素直に感動させられます。そして楽器に縁遠い私ですらワクワクさせられる、ピアノのメロディーを文字化した文章。恩田陸さんの表現力は驚異的です。

 日頃クラシックを聴く習慣はありませんが、最近はストリーミングで蜜蜂と遠雷のトリビュートアルバムなどもすぐに聴くことができるので、登場する各曲をBGMとして聴きながら読み返したのは、イメージが膨らんで楽しかったです。

 以下は主役達四人を表す箇所のご紹介です。

 この世界から音楽を取り出せるほどに音楽に愛されながら、自分の音楽を信じ切れていない、今は脆くも無限の可能性を秘めた天才、栄伝亜夜 。

やっぱり聞こえる。雨の馬たち。それは、子供の頃から何度も聴いてきたリズムで、かつて亜夜が「雨の馬が走ってる」と言っても大人たちはきょとんとするばかりだった。今ならちゃんと口で説明できる。家の裏にある物置小屋は、トタン屋根になっている。普通の雨では、何も聞こえない。しかし、一時間に数十ミリというような大雨の時には、不思議な音楽が聴こえるのだ。恐らくは、雨の勢いが強くて、母屋の屋根からトタン屋根の上に雨水が飛んでくるのだろう。そうすると、トタン屋根の上で、雨は独特のリズムを刻む。ギャロップのリズムだ。子供の頃、「貴婦人の乗馬」という、ギャロップのリズムを取り入れた曲を弾いたことがあるけれど、ちょうどトタン屋根の上の雨はあのリズムを奏でていた。最近、YouTubeで、バンドの練習中にたまたま練習していたビルで鳴り始めてしまった火災警報器がいつまでも止まらないので、そのサイレンに合わせて即興で演奏した映像が評判になっていたっけ。亜夜は低く溜息をついた。世界はこんなにも音楽で溢れているのに。色彩のない、雨に歪む風景をぼんやり眺めていると、そんな醒めた感想が込み上げてくる。わざわざあたしが音楽を付け加える必要があるのだろうか。

 サラリーマンとして生活の糧を得ながら、自分の音楽探しに真摯に向き合おうと努力する、高島明石。

このコンクール出場が、彼の音楽家としてのキャリアの最後になることは明らかだったし、それ以降は音楽好きなアマチュアとして残りの音楽人生を生きていくことになるのだろう。でも、明人が大人になった時のために、パパは「本当に」音楽家を目指していたのだという証拠を残しておきたい。それが決め手だった。満智子や雅美、両親にもそう説明した。いや、本当は、違う。明石の中のもう一人の自分が、呟く。それは口実だ。そいつは、そう指摘する。おまえは怒りを持っているはずだ。疑問を持っているはずだ。つねづね、おかしいと思っていたはずだ。「俺が俺が」と言わないおまえ、デリカシーがあって優しいおまえ、そんなおまえが心の奥底に押し殺していた怒りと疑問。それをこのコンクールで吐き出したいと思っているのではなかったか?そうだ、と明石は答える。俺はいつも不思議に思っていた──孤高の音楽家だけが正しいのか?音楽のみに生きる者だけが尊敬に値するのか?と。生活者の音楽は、音楽だけを生業とする者より劣るのだろうか、と。

 美しく強靭な肉体、曲に対する謙虚さと深遠な理解力、周囲の感情を掴む人としての器、万能の天才、マサル・カルロス・レヴィ・アナトール。

走っている彼を見た人は、十中八九何かのスポーツ選手だと思うだろう。長身から繰り出される堂々たるストライド、盛り上がった肩と腕の筋肉。実際、彼はハイジャンプの選手だったし、ジュリアード音楽院に進んだ今も音楽家はアスリートであると思っている。行く先々で出会うピアノはまさに天候次第のトラックであり、ステージは競技場であり、ホールはスタジアムなのだ。ネットワークで繫がれ、すべてが机上のパソコンと電脳空間内で処理できる身体性の希薄な現代だからこそ、ますます生身の音楽家は強靭な身体性を求められると思う。指の長さと手の大きさに始まり、肩や手首の柔らかさ、息の長さ、呼吸の深さ、瞬発力のある筋肉、注意深く鍛えたインナーマッスルによる持久力。どれもが美しいピアニシモとフォルテシモに、曲に対する謙虚かつ深遠な理解と、余裕を持って曲を弾きこなす包容力に繫がっている。そして、彼はそのすべてを兼ね備えていた。

 普段は子供にしか見えない屈託のなさ、ピアノの前では、誰よりも優れた耳、天衣無縫のテクニック、圧倒的スケールを見せる天才、風間塵。

子供だな。ナサニエルは、まさに「自然児」としか言いようのない飾り気のない少年の様子に、一瞬毒気を抜かれた。観客の期待に押し潰されなければいいのだが。そう心配したのは一瞬のことで、お辞儀から顔を上げピアノに目を向けた少年の顔を見て、ギョッとした。なんだ、この顔は。この目の色は。出てきた時と全然違う。イヴィル・アイ(邪眼)という言葉が浮かんだのを慌てて打ち消す。だが、周囲など目に入らぬ様子でピアノに引き寄せられていく(ように感じた)少年の顔には、出てきた時のあどけなさは微塵もない。少年はぺたんと椅子に座ると、椅子を調整するのももどかしい様子ですぐに弾き始めた。えっ。ナサニエル以外の審査員も、似たように感じてぴくっとするのが分かった。たぶん、下で聴いている観客もそうだろう。会場全体が、何が起きているのか分からず戸惑っているのだ。なんだ、この音は。どうやって出しているんだ?まるで、雨のしずくがおのれの重みに耐えかねて一粒一粒垂れているような──特別な調律?そういえば、さっき調律師は後ろにあるピアノを動かしていた。あれが何か関係しているのだろうか。が、ナサニエルは内心首を振っていた。 調律だけでこんなに音が変わるはずがない。この子の前のコンテスタントも同じピアノを弾いていた。どうしてこんな、天から音が降ってくるような印象を受けるんだ? 遠くから近くからも、まるで勝手にピアノが鳴っているかのように、主旋律が次々と浮き上がってきて、本当に、複数の奏者が弾いているのをステレオサウンドで聴いているように思えてくる。そう、音が尋常でなく立体的なのだ。なぜこんなことができるのだ?ナサニエルは、自分が激しいショックを受けていることに気付いて、そのことにもショックを受けた。」

 爽やかで壮大な読後感を与えてくれる名作です。

【第156回 直木賞受賞作】蜜蜂と遠雷

【第156回 直木賞受賞作】蜜蜂と遠雷

  • 作者:恩田 陸
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2016/09/23
  • メディア: 単行本
 

 11. 星を継ぐもの ジェイムズ・P・ホーガン

 40年以上前、まだ世の中にパーソナルコンピューターもスマートフォンもなかった時代に書かれた作品ですが、今読んでも古びていないSFの名作。戦闘シーンがリアルだととか、主人公の危機一髪とか、ストーリーの派手さで引き込む類ではありません。荒唐無稽?な世紀の大発見をきっかけにしつつ、科学的知見の裏付けによってリアリティを保ちながら、よくできた棋譜のように、ピースがひとつずつぴたりとはまり、最後には「そうきたかー!」とすっきり爽快な気分になります。

 この本は娘たちと読んだわけではないのですが、この本を読んで興味を持った月の誕生説、地球から他の惑星までの距離などは、子供とのちょっとした会話にも役立ちました。男の子なら間違いなく夢中になると思います。

星を継ぐもの (創元SF文庫)

星を継ぐもの (創元SF文庫)