外資系父ちゃんがすすめる100冊

妻と二人の愛娘と暮らす40代外資系課長です。続く転勤、キャリアの壁、夫婦関係など、不惑を過ぎて惑う日々。教養、ビジネス、夫婦関係、小説、マンガ、心に響く読書を通じて、悩める40代が制約を乗り越えて自由を拡大する。本の中身を実践しつつ紹介します。

20. 「うまくいく夫婦、ダメになる夫婦」の心理 加藤諦三(家族と自分の幸せのために)

 「全ての悩みは人間関係に起因する」というアドラー心理学に習えば、人生で最も長い時間を共にするであろう夫婦というものは、もっとも大きな悩みであってしかるべきと言えるかもしれない。もっとも大きな喜びが、夫婦関係、そして子供からもたらされることも多いと思う。全ての夫婦に参考になるキーワードがあるだろうが、私に響いた箇所を紹介させていただく。

二人の関係がうまくいっているときには元気が出る。しかしまずくなれば気力を失う。それは誰でも同じである。できれば離婚をしないで一生を過ごせればそれに越したことはない。それに越したことがなければ、それにはまずどうすればよいかということである。 子どもにしても両親が仲が良いほうがいいに決まっている。子育ては両親が仲良くしていればそれほど心配することはない、というのが私の持論である。仲が悪いのにただ一緒にいるくらいなら、別れたほうが子どものためだとも信じている。 私は離婚は子どものために悪いと思っている。しかし両親が心を触れあわないで緊張した空気の中で一緒に住んでいるくらいなら、別れたほうが子どもにはいいと思っている。分かり切ったことであるが、簡単に言えば離婚はあくまでも次善の処置である。ラジオのテレフォン人生相談などをしていると[家庭内離婚]という最悪を選択する人があまりにも多いのに驚く。私は仲良く結婚生活を続けるのが最高、次は離婚、最悪は仲が悪いのに一緒に生活していることであると思っている。つまり家庭内離婚といわれる状態が最悪の状態である。 

 奥さん(この本で出てくる例は、妻でも夫でもあり得るので、好きなように読みかえればよい、としている)はこの事件をきっかけに、能動的で積極的な男にご主人を変えようと努力すればいい。そしてそのような努力をすれば、ダメなときにはあっさりと別れられる。やるだけのことをすれば「こんな男だったか」と諦めもつく。やるだけの努力をすれば別れた後で後悔することもない。離婚した後で「別れてよかった」と思う。離婚した後で後悔する人は一緒にいるときに努力していない人である。

この2つのことを念頭に置けば、「仲良く結婚生活を続ける」ためのアドバイスを聞いて、もっと頑張ってみようと思える。

言いたいことを言わないで、心に残しておくと、それはいつか火山のように爆発する。爆発しないときには本人の中で頭痛をはじめ体の不調となって爆発する。だから[一日一回夫婦ゲンカで医者知らず]なのである。

 

自分のどのような言動が相手を傷つけたのか、自分は傷つけるつもりなど毛頭ないのになぜこれほど相手は傷ついたのか、相手の心理的アキレス腱はトラブルを通してしか理解できない。なぜ相手がそこまで傷ついたかという理解こそ、相手の心を理解するポイントなのである。 そのように相手を理解しようとする姿勢があってこそ相手を愛しているといえる。相手が傷ついて怒ったときに、こちらもただ腹を立てるだけであるなら、相手を愛しているとはいえない。それは相手を好きであるかもしれないが、相手を愛しているとはいえない。相手を理解したいと望めば当然相手に注意がいく。そして何かトラブルが起きたときには、相手は自分が想像するよりはるかに深く傷ついていると思ったほうが正解である。自己中心的な夫や妻は相手の辛さを甘く見る。自己中心的な人は、自分がどのくらい人を傷つけているか、気がついていない。したがっていろいろなトラブルが出ても最初はたかをくくっている。 

 

相手を本当に変えようとするなら相手を責めないで、相手の話に耳を傾けることである。妻の目をじっと見つめながら妻の話を聞く妻は、妻を責める夫よりもはるかに幸せをつかむ。そうではなく責めていること自体が嬉しいなら、いつまでも気が済むまで責めていればいい。相手を不愉快にさせることが目的なら、いつまでも相手を責めていることである。しかしそのときには自分は幸せになろうとはしていない、ということをはっきりと自覚することである。人は本気で幸せになろうとすれば普通、想像する以上に幸せになれる。ただほとんどの人は本気で幸せにはなろうとしていないだけである。自分が幸せになりたいという願いよりも、相手を責め続けたいという願望のほうがはるかに強いだけである。『どうしたら夫をリラックスさせられるか』に、相手をリラックスさせようとするなら「まずあなた自身が満足すること」とある。そのとおりである。 

 

言葉を聞くよりも相手の態度を見る

相手の言うことを文字通りに解釈してはならない。文字通りの言葉の解釈と相手の意味していることとは違う。言葉を聞くよりも相手の行動や態度を見るほうが相手の真意がよく分かるときがある。自分に自信のない人は相手の言葉や表面の態度に反応してしまう。例えば相手の軽蔑の言葉に傷ついてしまう。しかし相手は劣等感に苦しんでいるから、そのような言葉を吐くことがある。女としての自分に自信がないから男を軽蔑するような言葉を吐く。妻のあなたに対するあら探しの言葉を聞くな、その言葉の裏にある悩みを聞け。 

 

相手の感情を吐き出させる『どうしたら夫をリラックスさせられるか』の著者は「自分の感情を抑えつけないこと、相手にも吐き出させること」と書いている。自分も感情を残してはいけないが、相手にも感情を吐き出させてあげなければいけない。「口うるさい」とか「なじる」とかいうのは相手に自分と同じことを認めないことである。妻は夫が会社であったことを話しだすと最後まで聞かないで自分の意見を言いだす。 「どうしてそのことを上司に言わないのよ」からはじまって、ついには「あなたはいつも弱いんだから」まで矢継ぎ早に話をする。複雑な事情の分からない妻のこの忠告に、夫は次第に会社であったことを言わなくなるという。そして妻の意図は素晴らしいが、彼女はすべてをぶち壊す。会社であったことをとにかく吐き出させるのである。するとまた次の日に会社に行く勇気が湧いてくる。批判するくらいなら黙って夫の好きな料理を作ってあげるほうがいい。そして夫が話しはじめたときにはうなずいて聞く。その結果夫は次の日にまた、いさかいをした同僚のいる会社に行く勇気が湧いてくるのである。子どもと同じこと。子どもに学校であったことを吐き出させる。相手に勇気を与えるためには演説する必要はない。 

 

完全な妻を演じようとする女の心の底にあるものは何だろうか?おそらく完全な妻を演じることによって夫を束縛しようとすることである。「私はこんなにもあなたに尽くしています。あなたは私に何をしてくれますか?」ということであろう。これはカレン・ホルナイの言う神経症的愛情要求である。強迫的に尽くすのは愛情を求めているからだとアルバート・エリスも述べている。多くの場合、夫も子どももこの[完全な妻][完全な母]に反論できない。とにかく相手は[完全な妻][完全な母]なのだから。文句のつけようがない。しかし夫も子どももこの[完全な妻][完全な母]と一緒にいると何か堅苦しい。一緒にいても楽しくない。逃げ出したい。しかし逃げ出す理由が見つからない。その人が一緒にいて気が楽か、自由を感じるかどうかは、その人の無意識の問題である。その人がどんなに社会的に立派な人であっても無意識の部分で相手を束縛しようとしているかぎり、こちらはその人と一緒にいても気楽ではない。完全な妻を演じようとしている奥さんは、完全な妻を演じることで自分にも夫にも何を隠そうとしているのだろうか?それは束縛願望、依存心、自己無価値感などである。そして完全な妻を演じることの裏では相手に愛情を強く求めている。心の底に隠すものを持っていない人は完全な人間を演じようとはしない。完全な人間にこだわらない。普通にしている。  それに最も恐ろしいことは完全を演じようとする奥さんは夫や子どもに秘かな敵意を抱いていることである。[立派な夫婦]が必ずしも幸せというわけではない。お互いの弱点を受け入れあっていつまでも夢のある男と女でいることが幸せなのである。男と女は[こうあるべき]という規範にとらわれないで、もっと自由に考え、自由に行動しているほうが幸せなのである。