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人生とテニスに役立つ本

『「うまくいく夫婦、ダメになる夫婦」の心理』加藤諦三 家族と自分の幸せのために

全ての悩みは人間関係に起因する。このアドラー心理学の考えよれば、人生で一番長い時間を過ごす夫婦関係で悩むのは、ある意味当然なんですよね。

本書には夫婦それぞれが、悩みを乗り越えて良い関係に至るためのキーワードが色々と紹介されています。

ちなみに、例に出てくる「夫」「妻」の話は全て逆に置き換え可能なので好きなように読みかえてください。まずは本書を読むにあたっての前提です。

二人の関係がうまくいっているときには元気が出る。しかしまずくなれば気力を失う。それは誰でも同じである。できれば離婚をしないで一生を過ごせればそれに越したことはない。それに越したことがなければ、それにはまずどうすればよいかということである。子どもにしても両親が仲が良いほうがいいに決まっている。子育ては両親が仲良くしていればそれほど心配することはない、というのが私の持論である。仲が悪いのにただ一緒にいるくらいなら、別れたほうが子どものためだとも信じている。私は離婚は子どものために悪いと思っている。しかし両親が心を触れあわないで緊張した空気の中で一緒に住んでいるくらいなら、別れたほうが子どもにはいいと思っている。分かり切ったことであるが、簡単に言えば離婚はあくまでも次善の処置である。ラジオのテレフォン人生相談などをしていると「家庭内離婚」という最悪を選択する人があまりにも多いのに驚く。私は仲良く結婚生活を続けるのが最高、次は離婚、最悪は仲が悪いのに一緒に生活していることであると思っている。つまり家庭内離婚といわれる状態が最悪の状態である。

奥さんは(思い悩む原因となった)事件をきっかけに、能動的で積極的な男にご主人を変えようと努力すればいい。そしてそのような努力をすれば、ダメなときにはあっさりと別れられる。やるだけのことをすれば「こんな男だったか」と諦めもつく。やるだけの努力をすれば別れた後で後悔することもない。離婚した後で「別れてよかった」と思う。離婚した後で後悔する人は一緒にいるときに努力していない人である。

    夫婦はお互いにとって、子供にとってすごく影響の大きな関係だから、やるべき事をやらずに済ますのは、自分の人生に対して無責任というもの。夫婦は肉親以上に、最も長い時間を過ごす対人関係ですから、良い関係でいるための努力も、一番に払ってしかるべきです。胸に響いた加藤諦三さんのアドバイスをいくつかご紹介します。

言いたいことは我慢しない

言いたいことを言わないで、心に残しておくと、それはいつか火山のように爆発する。爆発しないときには本人の中で頭痛をはじめ体の不調となって爆発する。だから[一日一回夫婦ゲンカで医者知らず]なのである。

 確かにそう。言いたいことを我慢する。我慢してるということは、消化できてる訳じゃないので、態度にも表れます。そこには、アドラー的に言えば「俺は我慢してるんだ、気づけ」っていう目的が隠れてる。でも、ムスッと黙ってたら気持ちが伝わって相手が謝ってくるなんてことはまずない。こちらの不機嫌が伝染して悪循環に陥るか、何も伝わらずに結局は相手に爆発するか、体の不調となって爆発するか。著者が言うように、一日一回夫婦ゲンカ、すぐガス抜きしてすぐ仲直りできる、自分達なりのスタイルを見つけたいものです。丁寧に、でもちゃんと意見表明する。大声は出さないけど、一旦距離をとる。悶々と引きずらずに、外の空気を感じる、等ですね。

トラブルはお互いを理解しあうチャンス

相手が傷ついて怒ったときに、こちらもただ腹を立てるだけであるなら、相手を愛しているとはいえない。それは相手を好きであるかもしれないが、相手を愛しているとはいえない。相手を理解したいと望めば当然相手に注意がいく。そして何かトラブルが起きたときには、相手は自分が想像するよりはるかに深く傷ついていると思ったほうが正解である。自己中心的な夫や妻は相手の辛さを甘く見る。自己中心的な人は、自分がどのくらい人を傷つけているか、気がついていない。したがっていろいろなトラブルが出ても最初はたかをくくっている。

自分のどのような言動が相手を傷つけたのか、自分は傷つけるつもりなど毛頭ないのになぜこれほど相手は傷ついたのか、相手の心理的アキレス腱はトラブルを通してしか理解できない。

 トラブルの時って、こちらも冷静ではいられません。でもコントロール出来るのは自分だけ。落ち着いて、相手の言い分から何が学べるか、理解に努めれば、気づきが得られるはず。なぜ相手がそこまで傷ついたかという理解こそ、相手の心を理解する手がかり。人はついつい、自分の物差しで考えてしまいがち。相手を理解しようとする姿勢があってこそ相手を愛しているといえるんだと。

相手を責めないで、相手の世話をする

相手を本当に変えようとするなら相手を責めないで、相手の話に耳を傾けることである。妻の目をじっと見つめながら妻の話を聞く夫は、妻を責める夫よりもはるかに幸せをつかむ。そうではなく責めていること自体が嬉しいなら、いつまでも気が済むまで責めていればいい。相手を不愉快にさせることが目的なら、いつまでも相手を責めていることである。しかしそのときには自分は幸せになろうとはしていない、ということをはっきりと自覚することである。人は本気で幸せになろうとすれば普通、想像する以上に幸せになれる。ただほとんどの人は本気で幸せにはなろうとしていないだけである。自分が幸せになりたいという願いよりも、相手を責め続けたいという願望のほうがはるかに強いだけである。

 自分を振り返ると、これはすごく出来てなかったなと。幸せになろうとするなら、自分の振る舞いを変えるしかありません。

相手の考えを決めつけずに、話し合う

結婚生活では何よりも根気よく話し合うことが大切である。話し合わなければ相手が何を考えているか分からない。相手の考え方を「こうだ」と決めつけることは極めて危険である。決めつけられたほうは「もう話しても無駄だ」と感じてしまう。そしてもう本当の自分を出さなくなる。本当の自分を隠して相手にあわせて生きはじめる。これが家庭内離婚のはじまりである。

お互いの違いを認識する。

よく離婚の原因として[性格の不一致]というのがあげられる。しかし正確が一致している例は少ない。人々は違いが問題だと思っているが、我重要なのは違いではない。問題はどのようにこの違いを扱ったかということである。相手を理解するということは相手と自分の違いを理解することなのである。

言葉を聞くよりも相手の態度を見る

相手の言うことを文字通りに解釈してはならない。文字通りの言葉の解釈と相手の意味していることとは違う。言葉を聞くよりも相手の行動や態度を見るほうが相手の真意がよく分かるときがある。自分に自信のない人は相手の言葉や表面の態度に反応してしまう。例えば相手の軽蔑の言葉に木津ついてしまう。しかし相手は劣等感に苦しんでいるから、そのような言葉を吐くことがある。男としての自分に自信がないから女を軽蔑するような言葉を吐く。夫のあなたに対するあら探しの言葉を聞くな、その言葉の裏にある悩みを聞け。

 このときは、耳で聞くだけでなく、目でも聞きましょう。

相手の欠点を受け入れる

夫の弱点を批判すればするほど、逆にその弱点はなくならない。相手から冷たく批判されれば直す気もなくなる。相手の欠点を受け入れてあげれば、気がついてみれば相手の欠点がなくなっているということもある。それが愛の恐ろしいまでの力である。「愛は奇跡を起こす」というのはそういうことをいうのであろう。相手がそのような弱点を持つには持つなりの理由がある。それまでの人生、出会った人々、幸運・不運、生い立ちから始まって言い出せばきりがない。それを理解し、受け入れるときに初めてその弱点はなくなる可能性が出てくる。

理解は許しに通じる。相手がすねるのは相手が愛情を求めているからであると理解できれば、すねた態度も許す気持ちになることがある。男と女の問題でごたごたするのは相手が自分を好きだからであると理解できれば、怒りで理性を失って取り乱すこともない。

だいたい理想の夫だの理想の妻だのはこの世にはいない。しかし理想の夫ではないけれど結構幸せな結婚生活をしている奥さんはいる。要するに幸せな結婚生活をしている奥さんは夫の欠点に過剰な反応をしていない。

相手の感情を吐き出させる

自分も感情を残してはいけないが、相手にも感情を吐き出させてあげなければいけない。「口うるさい」とか「なじる」とかいうのは相手に自分と同じことを認めないことである。妻は夫が会社であったことを話しだすと最後まで聞かないで自分の意見を言いだす。 「どうしてそのことを上司に言わないのよ」からはじまって、ついには「あなたはいつも弱いんだから」まで矢継ぎ早に話をする。複雑な事情の分からない妻のこの忠告に、夫は次第に会社であったことを言わなくなるという。そして妻の意図は素晴らしいが、彼女はすべてをぶち壊す。会社であったことをとにかく吐き出させるのである。するとまた次の日に会社に行く勇気が湧いてくる。批判するくらいなら黙って夫の好きな料理を作ってあげるほうがいい。そして夫が話しはじめたときにはうなずいて聞く。その結果夫は次の日にまた、いさかいをした同僚のいる会社に行く勇気が湧いてくるのである。子どもと同じこと。子どもに学校であったことを吐き出させる。相手に勇気を与えるためには演説する必要はない。 

立派でなくても、弱点があっても愛される

最低の夫、最低の妻とかいうのがいる。最悪の夫とか最悪の妻というのはすぐに分かる。しかし「最低」というのはなかなか分からない。最低の場合、本人は素晴らしい夫、あるいは素晴らしい妻と思い込んでいる。最悪の夫とは酒癖が悪く、給料は家に入れない、父親としても子どもが好きでないというような夫である。これは誰の目にもすぐに分かる。本人も自分が素晴らしい夫とは思っていない。しかし最低の夫は自分を素晴らしい立派な夫と思い込んでいる。夜は外で酒を飲んで遊んでくるわけではない。他に女をつくって家に帰ってこないというのでもない。給料はきちんと入れている。外での振る舞いも紳士であるし、何よりもよく働く。しかしこのような「立派な夫」はたいてい妻に対して秘かな敵意を抱いている。したがって妻にはつまらない男であるばかりではなく、窮屈で息が詰まる男なのである。それでいながら態度は完全であるから批判のしようがない。

エリートに家庭内離婚が多いのはうなづけることである。奥さん達は別に「立派な紳士」を求めているわけではないだろう。自分に関心を持ち、体と心の触れ合う相手を求めているのであろう。

 ときどき見返して、夫として、妻として、成長していきましょう。

「うまくいく夫婦、ダメになる夫婦」の心理 (PHP文庫)

「うまくいく夫婦、ダメになる夫婦」の心理 (PHP文庫)