外資系父ちゃん 読書でより良い人生を送る

妻と二人の娘と暮らす40代外資系課長です。努力と周りの支えと幸せに生きてきましたが、立て続けの転勤、キャリアの見通し、夫婦関係など、不惑を過ぎて惑いまくる日々。教養、ビジネス、夫婦関係、小説、マンガ、心に響く読書を通じて、普通の40代が改めて成長し、50歳を迎える時に幸せになる実験します。

23. 怒らない禅の作法 枡野俊明 <心を穏やかに保つ>

禅の心とは、物事にとらわれず今この一瞬を大切に生きること。執着を手放し日々満足して生きること。よけいなものをそぎ落としシンプルに生きることです。

 怒りに、振り回され人にぶつければ人間関係にヒビが入る。我慢すれば後々までストレスが残る。とはいえ、夫婦、会社、人によって違えど多くの人が怒りを覚え、苦しむことがあるかと思います。毎日の中でできることから取り組んでいけば、怒りから自由になれる。心が安定し、自分本来の力を発揮できる。そのための「心」の作法から始まります。

仏教では、どんな人も一点の曇りもない鏡のような心、すなわち「仏性」を持っていると考えます。仏性とは、「ピュアな自分」と言い換えてもいいでしょう。わかりやすく言えば、大宇宙の真理をそのまま映す鏡のようなもの。誰もが本来持っている思いやりや優しさ、誰かのために役立ちたいという思いのことでもあります。あなたも、もちろんあなたの嫌いな人も、この仏性を持っています。誰の中にも尊い仏性があると気づくことは、それだけで仏様の境地に近づいているということです。この仏性と一枚になること。その状態を「見性成仏」と言います。曇った眼鏡をかけていると、この仏性に気づくことができません。しかし、今かけている心の眼鏡を外してみると、ふとしたことで、その人の本質に気づくことができます。普段は気づけないその人の優しさや人間味が見えてきます。自分がどんな色の眼鏡をかけているか、まずはそこに気づくところから始めれば、いつしかその眼鏡を外すことができるでしょう。 

 人の嫌いなところに怒りを燃やすか、その人の中の仏性に気づくか。また渇望、煩悩に時間をかけるか、「磨けば玉になる」自分の中の宝を磨くか。

「どう過ごそうと、同じ時間です。煩悩に振り回されて過ごしますか? それとも、自分磨きに使いますか? 

 自然災害で動かない新幹線に怒りを燃やすか、自らの力が及ばない状況にある時には、ただそれを味わうか。その時間を違うことに使ってマイナスをプラスに転じるか。

流れに身を任せ、その巡りあわせを味わう。これを、禅語では「任運自在」と言います。大きな流れに自分をあずけて、悠然と生きるのです。 

 怒りの波紋は消そうとすればよりかき乱れる。ならどうするか。そのまま放っておけば自然に波紋は消え、いつもの静かな湖面に戻る。

 「あ、自分は今怒っているな」「カッカしているな」と気づいたら、丹田(おへその下二寸五分、約七・五センチ)で大きくひとつ深呼吸。その後は、無理に感情を抑えず、なすがままにしておきます。 

 何をすればいいか。目の前のことに集中すればいいのです。どんな人にでも、やるべきことがあるはずです。仕事でも家事でもいい。もちろん、勉強や奉仕活動でもいい。あるいは、部屋を片づけたり、先延ばしにしていた雑用をしたりすることかもしれません。もしかすると、誰かに会いに行かなくてはならないのかもしれません。思い切り遊んでみるのも良いかもしれません。何も思いつかない場合は、ひとまずゆっくり時間をかけて、一服のお茶を飲むのもいいでしょう。 

 人に不当な非難をされたと感じて怒りを覚えることがあると思います。しかし、人の言ったことをそのまま取り入れる必要があるのか?

 同じ景色でも立つ位置によって見え方が違うように、その人の立場によって出来事の捉え方がまったく変わってきます。もしかすると相手は、あなたより優位に立とうとして、そう言っただけかもしれません。あるいは、自信のなさを攻撃的な言動で隠しただけかもしれません。相手には、相手の「事情」があります。自分の受け取りたくない評価は、受け流せばいいのです。 

 怒りに振り回されない自分になるには、その場で怒りを収める工夫が必要です。その場で怒りを収めることができると、まず自分の心が穏やかになります。また落ち着いてみれば、相手との人間関係も崩さずに進められた自分に満足できると思います。

  実に簡単なことです。不愉快なこと、腹の立つことがあった時、何かを言う前にまず一呼吸置くのです。浅い呼吸では効果がありません。おなかをゆっくり動かしながら、大きく丹田で深呼吸します。この「間」が重要です。

 一度口を出た言葉は、取り戻すことができません。「今のナシ!」と後から叫んでも、いったん崩れた信頼や壊れた人間関係が、簡単に修復できるはずもありません。

「いい子でありたい」と思うのをやめる。

 ほんのちょっと我慢すれば、「いい人」と言われて周りから愛される。角を立てないように振る舞えば、みんなと仲よくできる。そう思ってはいませんか?あるいは、背伸びをして自分をよく見せなければ、人に負けてしまう。「できる人」と思われないと出世できない。そう決めつけてはいませんか?そのちょっとした我慢や背伸びが、あなたの心に大きなストレスを与えています。 

「随所快活」という禅語を、心に留めておいてください。どんなところにいても、へりくだったり、あるいは、気取ったり緊張したりすることなく、自分らしく自然体で生きる。それが、禅の目指す生き方です。

 どんな時も、ありのままの自分でいればいい。肩書や立場など関係ない、ありのままの相手を見ればいい。それ以上でも、それ以下でもない。

 被害者にならない。

  普通であれば涙したくなるようなわびしい状況も、心ひとつで、このうえなく幸せなものへと簡単に変えられるのです。こんなに軽やかな生き方をしてみたいと思いませんか? 「被害者」でいることをやめれば、それができます。

 求めない。

 今持っているもの、そばにいてくれる人、置かれた状況。すべて大切なご縁によって結ばれたものです。もちろん人間であれば、欲望をまったく持たないことなど不可能です。しかし、自分の身の丈を知ること。そして、欲望に支配されないことが大切なのです。「ありがとう、もう十分」  そう言えた時、心に安らかさが訪れます。満足感に満ち充実した毎日が訪れます。 

 今すぐ行動に移す。

 禅では、行動、実践がすべてと説きます。水が上から下に流れ落ちるように、人間は、何も意識しないと楽なほうへ楽なほうへといく生き物です。その結果、時間だけが過ぎていき、いつしか「まあ、いいや」とあきらめてしまう。それでは、いつまで経っても変わることはできません。  晩年自分の一生を振り返った時に「自分の生き方はこれでよかったのだろうか」と後悔しても、時間を巻き戻すことはできないのです。 

 まず自分から始める。

 禅では、作務を「人が人であるための基本行為」と位置づけています。禅僧は、掃除や炊事、庭仕事などを「片づけなければならない義務」だとは捉えません。たとえ面倒な仕事であっても心を込めて行えば、必ずそこに清々しさが残り、真剣に取り組んだ分だけ仕事の結果が残ります。そして、自分の成長が感じられます。自分を変えられるのは、自分自身。禅僧はそれを身にしみて知っているのです。 

  次には怒らないための「体」の作法です。

おなかから深く呼吸をする。

 いつもなら受け流せるシチュエーションで、つい腹立ち紛れにあたってしまったとしたら、その原因は、自分自身の心の乱れに他なりません。  苛立ちなどを、無意識のうちに怒るという行動で解消しようとしたのでしょう。そんな時自分の呼吸を意識してみると、早く、浅くなっているはずです。下腹を意識して動かしながら、ゆっくりと深い呼吸を5,6回繰り返してみてください。

 呼吸は直接心に働きかけ、気持ちを安定させる力を持っています。たとえば、重要なプレゼンや会議の前、結婚式のスピーチの前などは緊張して、必ず呼吸が浅くなっているもの。相手をリラックスさせるために「はい、深呼吸して」とよく言いますが、これは実際に効果があるのです。  ただし、胸式呼吸をいくらくり返しても効果はありません。大切なのは、丹田に意識を集中させ、深く長い呼吸をすることです。

 丹田呼吸のポイントは、息を吸う前に、まず吐ききることです。初めのうちこそ練習が必要ですが、慣れてくれば、いつでもどこでもできるようになります。電車の中で、歩きながら、心がざわつく時、気分転換したい時…。もちろん、イライラが爆発しそうな時や頭に来ることがあった時に有効なのは、言うまでもありません。

 日常の所作を美しくする。

 禅の修行では、心を整えるためにまず姿勢を正し、立ち居振る舞いを整えることから始めます。立ち居振る舞いとは、私たちの普段の所作のこと。禅では「行住坐臥」という言葉で表します。この所作を美しくすることは、基本中の基本。所作が洗練されると、心も磨かれ、美しくなると考えているのです。

 所作は心を映し出す鏡。周囲の人や仕事にどのように向きあっているか、また、人生に対してどのように向きあっているのかが、その人の所作に如実に表れます。

 姿勢を整え、呼吸を整えると、心が整う。これを禅では「調身、調息、調心」と言い、坐禅の三要素としています。三者が一体となって坐禅が完成し、無の境地を味わうことができるのです。決して目立つわけではありませんが、周囲を惹きつける魅力を持った人が時々います。そんな人は、所作も呼吸も、もちろん心も普段から整っているはずです。 

 10分でも歩く時間を作る。意識して体を動かす。思い切り大声を出す。

 誰もが知っているように、歩くことはさまざまな恩恵をもたらしてくれます。新陳代謝や血の巡りを活発にして健康を促進する効果があるだけでなく、気分が一新されストレス解消にも役立ちます。それだけではありません。仕事や家事から離れて、一歩ずつ歩みを進める時間は、季節の移り変わりを肌で感じ、日頃の自分を省みる貴重な時間となるのです。

 体を使うために、わざわざジムへ行く必要はありません。おざなりに済ませていた掃除に懸命に取り組んでみる。一駅分歩いてみる。そんなことでいいのです。私のお勧めは、普段からエスカレーターやエレベーターを使わず階段を使うことです。初めから一〇階以上は少しきついかもしれませんが、五、六階くらいなら大丈夫でしょう。 

 腹の底から響くような大きな声には、瞬時にして一切合切を吹き飛ばしてしまうような強い力があります。海や山に向かって叫べればいいのですが、現実的には難しいですね。気軽に大声を出せるところが身近にあります。そう、カラオケボックスです。カラオケなら、誰に遠慮することなく思う存分大声を出せます。好きな曲を思い切り歌えば、ストレス発散にもなり心がスッキリするでしょう。

 自然の中に身を置く。

自然は、いつも私たちにあるがままの姿を見せてくれています。その姿と向きあう時、私たち自身もあるがままになれるのです。その時、日常では決して出会うことのない、新しい自分を発見するはずです。

 ゆっくりお風呂に入る。

 修行僧がいる禅寺には、三黙道場と呼ばれる場所があります。坐禅を組んだり生活の中心となる僧堂、トイレ(東司)、そして、お風呂(浴司)の三カ所で、ここは神聖な場所とされ、一言も言葉を発してはいけません。僧堂はともかく、トイレやお風呂で悟りを開くと言われても、ピンとこないかもしれません。しかし、トイレでは烏芻沙摩明王が、浴室では跋陀婆羅菩薩が悟りを開いたと言われ、今でも禅寺のトイレと浴室にはそれぞれの仏様が祀ってあります。実際に悟りを開けるかどうかは別として、トイレやお風呂で良いアイデアがハッとひらめいたという経験をした人は多いのではないでしょうか?特に、心も体もゆったりとくつろげるお風呂では、今日も一日無事に終わったという安堵感も手伝って、思わず膝を打ちたくなるような斬新な発想が浮かぶものです。私自身も、庭園造りの新しい着想が浮かんできたことが何度もあります。日中張り詰めていた緊張の糸がほぐれることで、思い込みや固定観念がすべて取り払われ、心が柔軟になるからでしょう。

 寝る前は、静かで落ち着いた時間を過ごす。

 大切なのは、頭の切り換えです。寝る前の時間の過ごし方によって、睡眠の質がまったく変わってきます。時間がなければ、三〇分でもかまいません。とにかく、自分自身が、「気持ちいいなあ」「心が落ち着くなあ」と感じる時間を、たっぷりと味わってください。その日一日、思い通りにいかなかったこともあるかもしれません。しかし一日を無事終え、自分のための時間を過ごしている。その幸せに気づけると、自然に「ありがたいなあ」という思いが浮かんでくるはずです。感謝の思いとともに安らかな気持ちで眠りにつけば、きっと気持ちのいい朝が待っているでしょう。 

 早起きする。

 仏教では、原因と縁が結ばれ、結果が生まれると考えます。この世のものはすべてお互いの関わりあいによって生じている。よい原因を作れば、よい結果に恵まれるが、悪い原因しか作れなければ、それなりの結果しか得られない。それが、世の理。ここをしっかり肝に銘じておく必要があります。一日の「因」は、朝にあります。朝をどう過ごすか。その日一日の縁がどのように結ばれるのかは、そこにかかっているといっても過言ではありません。慌ただしく始まった朝が、どんな結果を生むかはもうわかりますね。では三〇分早起きして、余裕を持って一日を始めたとしたらどうなるでしょう。新聞でも読みながらゆっくり朝食を済ませ、その日の気分にあったコーディネイトを選び、身支度も完璧。「よし!」とやる気に満ちて家を出ると、通勤途中に四季の変化に目を留めるゆとりも生まれます。仕事の段取りもある程度イメージできていますので、効率よく作業を進めることができます。

 縁起のよい一日にするためにできること。それは、早起きをしてみることです。 

 掃除をする。

 掃除とは、心を磨くこと。鏡のように光った禅寺の廊下や床は、一点の曇りもない本来の自己を表しています。そのように清められた空間と向きあう時、自然に人は襟を正し、神妙な気持ちになるのです。 

 身だしなみを整える。

 会った人にさわやかな印象を与えるこざっぱりとした服装、髪や爪、靴など細かいところにまで気を配った清潔感のある装いを心がけることが、自分が心地よく過ごすうえでとても大切だということに気づいてほしいのです。

 お茶を味わって飲む。

 湯のみを持ったら日頃の悩みはすべて忘れ、お茶を飲むことだけに集中すればいいのです。

風の心地よさを感じる。

 「ああ、季節が移ったのだな」と、真っ先に教えてくれるのは、風の冷たさやあたたかさです。枯れ葉を舞い上げる木枯らし。木立を吹き抜けるさわやかな夏の風、やわらかく頰をなでる春風……。冬は手足の先が痛くなるほど冷たくなり、夏は少し動くと汗だくでヤブ蚊の攻撃もありますが、それを補ってあまりあるほどの恩恵を、いつも境内で過ごすこの時間からは受け取っています。 

 心を込めて料理をする。心を込めて食事をする。

 皆さんに大切なのは、よく生きようとする心。そして、料理することや食べることを楽しむ心ではないでしょうか。 

 人の長所を見つける。

 どんなに嫌いな相手でも、あなたが嫌っているのはその人の一面にしか過ぎません。その一面だけを捉えて拒否感や嫌悪感を持っているのだったら、いっそのこと「好ましい一面」を探したほうが、何よりあなた自身にとって得策というものです。では、どうやって苦手な相手の長所を探しましょうか。まずはかけていた色眼鏡を外して、今日初めて会った人だと思い、相手と接してみることです。「意外にメモの字がきれい」「会議の仕切りが上手」。今まで気づかなかった面が見えてくるのではないでしょうか。それを、ぜひ言葉にして伝えてみてください。とらわれのないしなやかな心。これも、禅が教える基本のひとつです。 

 「忙しい」「疲れた」自分の心をネガティブな言葉にとらわれさせない。

 あなたの言葉を一番身近で聞いているのは、他でもないあなた自身。  一日中、否定的な言葉をくり返し聞かされていたら、心がげんなりしてしまうでしょう。次第に行動まで影響されて、ますますあなたを疲れさせ、苛立たせる状況がやってくるかもしれません。

 仏教には「愛語施」という「お布施」の形があります。愛語、つまり思いやりのある言葉を相手にかけてあげることです。あなたの愛語施を一番必要としているのは、あなた自身かもしれません。

靴をそろえる。

 小さなことをきちんとできない人が、大きな目標を達成できるわけがありません。遠くへ行きたいと思えば、今は便利な交通手段が多くあります。しかし、どんな方法を使うにせよ、結局は一歩ずつ、自分の足で歩みを重ねて体を運んでいくしかないのです。着実な一歩を積み重ねられる人しか、目的地にはたどり着けません。

 靴をそろえる。数秒もかからない小さなことですが、生き方全体を変える大きな力を持っています。

 月を見上げる。

 仕事や雑事に忙殺されている時、人間関係に疲れている時、あえて時間を作り、月を見上げてほしいと思います。地上で四苦八苦している私たちを、月は誰一人分け隔てすることなく、優しく照らしているでしょう。

 そして最後にケーススタディ。夫婦で意見が対立して、しょっちゅう喧嘩している。「相手に勝ちたい」という気持ちを捨てましょう。

 どんな夫婦でも、一から十までまったく同じ価値観を持っていることはあり得ません。ですから、まず大切なのはお互いの違いを認めあうことです。そして「愛語」を心がけ、「利他」の精神で相手に接するのです。

 また、改めてほしいことがある時は、「ちょっと、お願いなんだけど」と前置きする。これだけで、相手の受け取り方は相当変わるはずです。

 「これなら、できそうだ」と思えるものを決めて、まずは100日。約三カ月継続します。物事が習慣化するのには、大体そのくらいの期間がかかるのです。目標になる人を決めて、その人の真似をしてみるというのもいい方法でしょう。とはいえ、100日と一口に言っても、実際にやってみると長く感じるはずです。そこで、山登りをする時に定期的に休憩を取ってメリハリをつけるように、ここでも、一週間、一カ月など、あなたのタイミングにあわせて節目を決めましょう。

 

怒らない 禅の作法 (河出文庫)

怒らない 禅の作法 (河出文庫)

 

 

22. 夫に死んでほしい妻たち 小林美希 <妻視点の不満を理解>

 過激なタイトルで夫としては一瞬動揺しますよね。著者は女性の就業継続等に精通した、団塊ジュニア世代の女性ジャーナリスト。いったい何が、妻たちをそう願うまでに追い詰めているのか。その原因を紐解いていけば、社会に共通の問題が見えてくるのではないか。おおもとのメッセージはしごくまじめで、インタビューに登場する多く取材対象者の妻たちのダメ夫に対する不満が、シリアスだけどしめっぽくならないあたり、著者の文章力の高さで読みやすい本です。

 読んでみて、「離婚したい」と思う妻より、「死んでほしい」と思う妻の気持ちの方が、自分には想像できてしまいました。ちょっと怖いけど。人並みに稼いで、浮気も浪費もせず、週末は家事を手伝い、子供と仲の良い夫。そんな俺と、妻が離婚したいと思うわけがない。むしろ、俺はこんなにがんばってるのに、なんでうちの妻はこんなに不満が多いんだ。なんて思ってる夫は多いのではないでしょうか。実際、経済力や子供のことや世間体など、いろんな理由があって、離婚は望んでいない妻が多いと思います。でも、「死んでほしい」(もちろん倫理観があるので殺しはしないし、めったなことでは言わない)と思われることは、ありそうだなーと、すごく納得してしまいました。

 キャバクラで収入を使い果たして耐乏生活を強いるとか、子宮摘出した妻に「女として終わったな」と言い放つとか、老後に過去の浮気の思い出話をするとか、そりゃ「死んでほしい」と思われるでしょ、っていうエピソードもありますが、自分もやった、言ったような、あるあるエピソードも複数あって。。。それはつまり、同じことが世の中でたくさん起きてる、多くの女性が被っている不合理がこの社会にある、それが彼女たちの尊厳、プライドをいたく傷つけているんだなと。そして女性という生き物は共通して、過去の恨みは忘れないんだなと。

 夫のキャリアと同じぐらいに妻のキャリアを重要視しない。夜泣きする赤ちゃんの世話を、明日の仕事に差し障るからとすべて妻に任せる。無収入であることに引け目を感じている妻に、プライドを傷つけるような発言をする。食べ物の恨みは恐ろしいのに、妻が食べる食事をちゃんと手配しない。送りから迎え、料理から片付け、面倒なところを完結していないのに家事をした気になっている、などなど。だからといって、夫の収入は欲しいし、子供の父親も大事だし、世の中生きづらくなるしで、離婚はしたくないけど、死んでくれたら、保険も入るし、すっきりする、って妻は多いんでしょうね。

 夫は「こんな妻とは離婚したい」って想像をして、妻は「こんな夫は死んでほしい」と想像していると思うと、なんかどっちが損してるわけでもないだなと。離婚や死別前提の夫婦関係を望むより、「対等である関係を築いた方が前向きではないか」という著者の意見に納得し、出来ることを対等にやっていこう、と思う夫でした。

 

夫に死んでほしい妻たち (朝日新書)

夫に死んでほしい妻たち (朝日新書)

 

 

21. 信長の原理 垣根涼介 <心理描写に徹した秀逸な歴史小説>

 織田信長、そして明智光秀をはじめとする彼の部将たちを描いた小説は古今東西いろいろありますが、彼らの心の内面の動きにフォーカスした歴史小説です。信長にまつわる個々の史実ではなく、その史実が起きている時に信長は、そして彼の部将たちは何を考えていたのか、に。

 学問や技術は彼らが生きた450年前から大いに変化、進歩していますが、人間が何を考え、何に悩んできたかということ自体は、それほど大きく変わっていないのではないか。サピエンス全史でいうところの、認知的能力(学習、記憶、意思疎通の能力)は、およそ7万年前に確立、完成していて、その意味で、心の内面に大きな違いはないのだと思います。

 筆者が描く信長の、そして部下である部将たちの内面は、もちろんフィクションなのですが、さらりと描かれる史実の流れの精緻さにも支えられて、非常に真実味があります。信長を信長たらしめる物事の原理へのこだわり(ここはこの小説の柱なので書きませんが)は説得力がありますし、部将たちの、自らの力を存分に生かし、また絞りつくす主君信長への思い、自らの力への自信と不安にもとづく出世競争における不安や悩みは、現代のサラリーマンにも大いに共感するところがあるでしょう。

 何人かの部将たちの心の動きを、ご紹介します。

 三番家老ではあるが出世競争からの脱落を諦念を持って予期する丹羽長秀

子供の頃から絵を描いても文字の手習いをしても、人並み以上に習得が早く、器用にこなせた。今もそうだ。命じられたことは普通の者よりはるかに早く、しかもそつなくこなす自信がある。が、決してそれ以上ではない。ある種の器用貧乏だ。自分には、何かひとつでも傑出した才能が育っていない。そしてその訳にも、おぼろげながら自分で気づいている。才能とは、良きにつけ悪しきにつけ、執念から生まれる。自分には、虚仮の一念に似たその執念のようなものがない。執念を育てるのに必須な精神の傾斜──柴田のような根拠のない自信からくる傲慢さや、藤吉郎のような異常極まる立身欲──がない。 

  出世競争で勝ち残り、勝ち抜くために自分を偽ってでも努力を続ける羽柴秀吉

秀吉は非常に気前が良く、常に陽気で鷹揚な人間だと織田家中では思われているが、その実は、まったくそんな人柄ではない。必死に闊達な自分を演じ続けているだけだ。出自と言える出自もろくになく、矮小で容貌も醜い。戦場に出ても槍働きひとつ満足にこなせない。そんな人間が世間で人並みに相手にされていくには、そして、その組織の中で立身していくには、可能な限りの愛想の良さを自分から演出してゆくしかなかった。  昔、秀吉が生まれて初めて仕えた遠州の今川家の被官、頭陀寺城の松下之綱の許では、素の性格のままで奉公していた。そのため、有能さを主君の松下には買われていたものの、家中の人間からは徹底して嫌われた。挙句、居づらくなって松下家を退転した。 織田家に仕えた時は、もう二度とあんな失敗は繰り返すまいと心に決めた。だから今も懸命に、朗らかで大気者という仮面を被り続けている。擬態だ。 もし、心底からいつも愛想が良く、誰彼なく親切な男がいるとしたら、そいつは何も考えていない、よほどの馬鹿だと秀吉は思っている。たとえ周囲の人間には好かれても、馬鹿には大局を見据えた政治力を必要とする調略など、出来るはずもない。長い目で見れば、大した立身も出来ない。だから、本来の自分は密かに温存しつつも、この織田家に仕えてから二十数年というもの、常に人当たりのいい自分を演じ続けてきた。 

  信長式の究極の効率性が目指すところを理解し、謀反を起こす松永弾正久秀

弾正は、もう一度はっきりと思う。神などは、おらぬ。されど、この世は神に似た何事かの原理で回っている。そしてその原理の前では、生きとし生ける者、人も、所詮は虫──弾正が以前に懸命に飼い続けた鈴虫と同じなのだ。だから領内で年貢を隠した百姓などには、蓑を着けさせ、そこに火を放ち、その烈火の苦痛から逃れようと激しくもがき苦しんで焼け死ぬ様子を、『蓑踊り』と称して楽しんだ。虫が、何を姑息なことをやっておるか──。  と同時に、おれも所詮は虫だ、と感じた。信長よ、おまえも所詮は人ではないか。虫けらと同じだ。が、その虫けらがこの宇内の原理を根底から変えようとするなど、その原則を覆そうとする人事を常に試みるなど、何を思い上がっている。いったい何様のつもりだ。あの男は、ありとあらゆるものに効率を重視しすぎる。そして効率をとことんまで極めていけば、人も草木も、およそ生きとし生ける者は、すべてが息を出来なくなる……。だからこそ、あの男の世界ではすべてが膨張し、次に疲弊していく。ゆっくりと色褪せ、崩れ落ち、やがてはその内部から、個々と組織の自壊が始まる。 

 

 

信長の原理

信長の原理

 

 

20. 「うまくいく夫婦、ダメになる夫婦」の心理 加藤諦三(家族と自分の幸せのために)

 「全ての悩みは人間関係に起因する」というアドラー心理学に習えば、人生で最も長い時間を共にするであろう夫婦というものは、もっとも大きな悩みであってしかるべきと言えるかもしれない。もっとも大きな喜びが、夫婦関係、そして子供からもたらされることも多いと思う。全ての夫婦に参考になるキーワードがあるだろうが、私に響いた箇所を紹介させていただく。

二人の関係がうまくいっているときには元気が出る。しかしまずくなれば気力を失う。それは誰でも同じである。できれば離婚をしないで一生を過ごせればそれに越したことはない。それに越したことがなければ、それにはまずどうすればよいかということである。 子どもにしても両親が仲が良いほうがいいに決まっている。子育ては両親が仲良くしていればそれほど心配することはない、というのが私の持論である。仲が悪いのにただ一緒にいるくらいなら、別れたほうが子どものためだとも信じている。 私は離婚は子どものために悪いと思っている。しかし両親が心を触れあわないで緊張した空気の中で一緒に住んでいるくらいなら、別れたほうが子どもにはいいと思っている。分かり切ったことであるが、簡単に言えば離婚はあくまでも次善の処置である。ラジオのテレフォン人生相談などをしていると[家庭内離婚]という最悪を選択する人があまりにも多いのに驚く。私は仲良く結婚生活を続けるのが最高、次は離婚、最悪は仲が悪いのに一緒に生活していることであると思っている。つまり家庭内離婚といわれる状態が最悪の状態である。 

 奥さん(この本で出てくる例は、妻でも夫でもあり得るので、好きなように読みかえればよい、としている)はこの事件をきっかけに、能動的で積極的な男にご主人を変えようと努力すればいい。そしてそのような努力をすれば、ダメなときにはあっさりと別れられる。やるだけのことをすれば「こんな男だったか」と諦めもつく。やるだけの努力をすれば別れた後で後悔することもない。離婚した後で「別れてよかった」と思う。離婚した後で後悔する人は一緒にいるときに努力していない人である。

この2つのことを念頭に置けば、「仲良く結婚生活を続ける」ためのアドバイスを聞いて、もっと頑張ってみようと思える。

言いたいことを言わないで、心に残しておくと、それはいつか火山のように爆発する。爆発しないときには本人の中で頭痛をはじめ体の不調となって爆発する。だから[一日一回夫婦ゲンカで医者知らず]なのである。

 

自分のどのような言動が相手を傷つけたのか、自分は傷つけるつもりなど毛頭ないのになぜこれほど相手は傷ついたのか、相手の心理的アキレス腱はトラブルを通してしか理解できない。なぜ相手がそこまで傷ついたかという理解こそ、相手の心を理解するポイントなのである。 そのように相手を理解しようとする姿勢があってこそ相手を愛しているといえる。相手が傷ついて怒ったときに、こちらもただ腹を立てるだけであるなら、相手を愛しているとはいえない。それは相手を好きであるかもしれないが、相手を愛しているとはいえない。相手を理解したいと望めば当然相手に注意がいく。そして何かトラブルが起きたときには、相手は自分が想像するよりはるかに深く傷ついていると思ったほうが正解である。自己中心的な夫や妻は相手の辛さを甘く見る。自己中心的な人は、自分がどのくらい人を傷つけているか、気がついていない。したがっていろいろなトラブルが出ても最初はたかをくくっている。 

 

相手を本当に変えようとするなら相手を責めないで、相手の話に耳を傾けることである。夫の目をじっと見つめながら夫の話を聞く妻は、夫を責める妻よりもはるかに幸せをつかむ。そうではなく責めていること自体が嬉しいなら、いつまでも気が済むまで責めていればいい。相手を不愉快にさせることが目的なら、いつまでも相手を責めていることである。しかしそのときには自分は幸せになろうとはしていない、ということをはっきりと自覚することである。人は本気で幸せになろうとすれば普通、想像する以上に幸せになれる。ただほとんどの人は本気で幸せにはなろうとしていないだけである。自分が幸せになりたいという願いよりも、相手を責め続けたいという願望のほうがはるかに強いだけである。『どうしたら夫をリラックスさせられるか』に、相手をリラックスさせようとするなら「まずあなた自身が満足すること」とある。そのとおりである。 

 

言葉を聞くよりも相手の態度を見る

相手の言うことを文字通りに解釈してはならない。文字通りの言葉の解釈と相手の意味していることとは違う。言葉を聞くよりも相手の行動や態度を見るほうが相手の真意がよく分かるときがある。自分に自信のない人は相手の言葉や表面の態度に反応してしまう。例えば相手の軽蔑の言葉に傷ついてしまう。しかし相手は劣等感に苦しんでいるから、そのような言葉を吐くことがある。男としての自分に自信がないから女を軽蔑するような言葉を吐く。夫のあなたに対するあら探しの言葉を聞くな、その言葉の裏にある悩みを聞け。 

 

相手の感情を吐き出させる『どうしたら夫をリラックスさせられるか』の著者は「自分の感情を抑えつけないこと、相手にも吐き出させること」と書いている。自分も感情を残してはいけないが、相手にも感情を吐き出させてあげなければいけない。「口うるさい」とか「なじる」とかいうのは相手に自分と同じことを認めないことである。妻は夫が会社であったことを話しだすと最後まで聞かないで自分の意見を言いだす。 「どうしてそのことを上司に言わないのよ」からはじまって、ついには「あなたはいつも弱いんだから」まで矢継ぎ早に話をする。複雑な事情の分からない妻のこの忠告に、夫は次第に会社であったことを言わなくなるという。そして妻の意図は素晴らしいが、彼女はすべてをぶち壊す。会社であったことをとにかく吐き出させるのである。するとまた次の日に会社に行く勇気が湧いてくる。批判するくらいなら黙って夫の好きな料理を作ってあげるほうがいい。そして夫が話しはじめたときにはうなずいて聞く。その結果夫は次の日にまた、いさかいをした同僚のいる会社に行く勇気が湧いてくるのである。子どもと同じこと。子どもに学校であったことを吐き出させる。相手に勇気を与えるためには演説する必要はない。 

 

完全な妻を演じようとする女の心の底にあるものは何だろうか?おそらく完全な妻を演じることによって夫を束縛しようとすることである。「私はこんなにもあなたに尽くしています。あなたは私に何をしてくれますか?」ということであろう。これはカレン・ホルナイの言う神経症的愛情要求である。強迫的に尽くすのは愛情を求めているからだとアルバート・エリスも述べている。多くの場合、夫も子どももこの[完全な妻][完全な母]に反論できない。とにかく相手は[完全な妻][完全な母]なのだから。文句のつけようがない。しかし夫も子どももこの[完全な妻][完全な母]と一緒にいると何か堅苦しい。一緒にいても楽しくない。逃げ出したい。しかし逃げ出す理由が見つからない。その人が一緒にいて気が楽か、自由を感じるかどうかは、その人の無意識の問題である。その人がどんなに社会的に立派な人であっても無意識の部分で相手を束縛しようとしているかぎり、こちらはその人と一緒にいても気楽ではない。完全な妻を演じようとしている奥さんは、完全な妻を演じることで自分にも夫にも何を隠そうとしているのだろうか?それは束縛願望、依存心、自己無価値感などである。そして完全な妻を演じることの裏では相手に愛情を強く求めている。心の底に隠すものを持っていない人は完全な人間を演じようとはしない。完全な人間にこだわらない。普通にしている。  それに最も恐ろしいことは完全を演じようとする奥さんは夫や子どもに秘かな敵意を抱いていることである。[立派な夫婦]が必ずしも幸せというわけではない。お互いの弱点を受け入れあっていつまでも夢のある男と女でいることが幸せなのである。男と女は[こうあるべき]という規範にとらわれないで、もっと自由に考え、自由に行動しているほうが幸せなのである。 

 

 

 

19. 転職の思考法 北野唯我 <自分と社会を変えるためのメッセージ>

 転職ハウツー本ではなく、自分の働き方、働く場はこのままでいいのかと悩んだことのあるすべての働く人が「いつでも転職できる」という交渉のカードを持つことで、自分も、職場も絶対によくなる、という熱いメッセージを送る本です。

 転職を考え始めた悩める青年と、彼に厳しくアドバイスをする師匠のようなコンサルタントによる対話、物語の形式で進みます。語り口も面白くて一気に読ませますし、実際に転職活動をする際の、選択肢の広げ方や面接の準備など、ハウツーも学べます。しかしそれ以上に、読者であるサラリーマンが人生の大きな部分を捧げる会社との向き合い方、自分の働く場の選び方を、真剣によりよくしたいと考えるアドバイスのわかりやすさが目からうろこであり、その熱さが心地よいです。

 全ての自己啓発本はもっともなことが書かれているので、逆に衝撃を受けることはあまりないのですが、この本は面白く85%まで読み進めたところで、衝撃を受けました。自分の中でどこかしっくりきていなかったことが文章化されて、そして「それでいいんだ」と認められて、びっくりしてしまったのです。

to do(コト)に重きをおく人間・・・何をするのか、で物事を考える。明確な夢や目標を持っている

being(状態)に重きをおく人間・・・どんな人でありたいか、どんな状態でありたいかを重視する

実際のところ、99%の人間が君と同じ、being型なんだ。そして、99%の人間は「心からやりたいこと」という幻想を探し求めて、彷徨うことが多い。なぜなら、世の中に溢れている成功哲学は、たった1%しかいないto do型の人間が書いたものだからだ。

好きなことがあるということは素晴らしいことだ。だが、ないからといって悲観する必要はまったくない。なぜなら「ある程度やりたいこと」は必ず見つかるからだ。そして、ほとんどの人が該当するbeing型の人間は、それでいいんだ

 being型の人間が仕事を楽しむために必要な二つの条件

 1:マーケットバリューを高めること(環境に対する適切な強さを持つこと)

多くの人間は、幼少期から勉強や、運動、仕事など多かれ少なかれ「何かしらの努力」を積み重ねている。そして常に「倒せそうで倒せない」ような、環境を経て成長する。つまりbeing型の人間にまず、必要なことは、主人公である自分が環境に対して適切な強さであるかどうかなんだ

マーケットバリュー=君の箱の大きさ(後述)、それがビジネスマンとしての強さなんだ。会社がつぶれても生きていける強さ。だから私はまずマーケットバリューを高めろ、と話してきたんだ。つまり、仕事を楽しむためには「マーケットバリューがある程度あること」「求められるパフォーマンスとマーケットバリューがある程度釣り合っていること」は必須条件なんだよ

2:仕事でつく小さな嘘を最小化すること(自分を好きであることが必要だから)

自分への信頼とは、「自分にうそをつかないこと」だ。そして、being型の人間にとって、自分への信頼を保つのは難しい。嘘をつかざるをえないとき、「やりたいことのためには手段を選ばない」という言い訳ができるto do型の人間と違って、being型は精神的に逃げ場がないからな。いくら強くなっても、仕事で嘘をついている限り自分を好きにはなれない

being型の人間に必要なもうひとつの要素、「緊張と緩和のバランス」

思い返してみろ。テストに向かって頑張り、テストが終われば解放される。部活でいえば、試合に向かって頑張り、試合が終わればリラックスする。仕事でいえば、大事なプレゼンに向かって頑張り、終わればリラックスする。つまり、人生は緊張と緩和の繰り返しでできている

そのバランスが緩くなりすぎたり、キツくなりすぎているなら、ゲームをかえるタイミングだということだ

「緊張と緩和のバランス」が適切かを見極めるには、この半年の間に強い緊張を感じた場面を書き出してみること

 悪い緊張が10以上ある(社内目線であることが多い) → 職場を変えた方がいい

 いい緊張(特に社外)が3つ未満 → より難しい業務や新しいことに挑戦する

 

 さらには、being型の人間が、好きなことを見つける方法まで解説してくれます。

 もうひとつ、全体を通じて何度か出てくる言葉なのですが、あまり詳しく説明されないのが「ポジショニング」。最後にこうまとめられています。

以前なら僕はこう思っていた。仕事を楽しむこと、それは選ばれた人間だけの特権なのだと。だが、今は少し違うと感じる。

仕事選びとは結局、思考法の問題なのだ。どこを選ぶか、誰と働くか、それを間違わないこと。そして、ポジショニングとは「思考法」ひとつで、誰れでも解決できるものなのだ。

 「自分探しよりも、居場所探し」(人生やらなくていいリスト 四角大輔)ですね。

 

このまま今の会社にいていいのか?と一度でも思ったら読む 転職の思考法

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18. 家メシ道場 給食系男子 <安い早い旨い料理>

 「単身赴任」という検索ワードで引っかかって出てきた料理本。料理人ではないが料理好きの男たちが終結し、「材料費が一人前100円くらい」「(だいたい)3ステップで手軽に作れる」家メシメニュー、という触れ込み。実際に作ってみて、本当に簡単で、おいしい。料理上手な主婦が紹介するクックパッドよりもすごく簡単な段取りで、主婦である嫁さんが大いに満足する味で、簡単ゆえに小一時間で数品、もしくはパパッとおかずが1品作れます。週末の晩御飯を用意して株をあげたいお父さんにも、単身赴任で安くヘルシーにご飯を用意したいサラリーマンにもおすすめです。

 

家メシ道場

家メシ道場

 

 

17. 最高の人生と仕事をつかむ18分の法則 ピーター・ブレグマン <マルチタスクはしない>

 全部をやろうとしてはいけない。時間管理で必要なのは、やらないことを決めること。この考え方をベースに、今年は何をする年なのか、今日は何をする日なのか、いまこの瞬間、何をするのか、という3つの単位で時間の使い方までのヒントをくれます。46の習慣を紹介していますが、最後の章が「すぐれた習慣は10もいらない」というように、自分に合うものを選び、ひとつでも本当に習慣化することが出来ればしめたもの。私が取り入れたのは、マルチタスクはしない、ということです。

42. 人間はマルチタスクではない やたらに切り替えると効率が落ちる

今は「多動力」という本がベストセラーであるように、複数のやりたいことを同時に進めることが大事だ、という考え方も有力です。これは相反する考え方でもなくて、人生で複数を追うことはできても、人間は同じ瞬間に出来ることはひとつ、なのでしょう。ホリエモンさんのように、会議中にスマホを見るのはあり。ただ、スマホをいじっている瞬間は会議に対してはOFFになっていてついていけない。ホリエモンさんの場合はついていく必要がないという判断なので正しい。私が会議中にメール処理をしていると、議題から取り残されて、会議にいる意味を失う時があります。特に英語の会議だと集中していないとついていけない。会議中は議論に集中すると、生産性の向上を実感しました。著者はマルチタスクをやめると5つのメリットがあったと紹介しています。

第一に、愉快だった。とりわけそれを強く感じたのは、わが子と一緒に過ごしている時だ

私も単身赴任から自宅に帰った時は、パソコンをいじりながら子供の話を上の空で聞くのをやめ、顔を見て、膝を突き合わせて話すようにしました。子供の笑顔がよく見えて、大事な時間だと実感できます。

第二に、自分の力が試されるプロジェクトに目覚しい進展があった。

アイディアをまとめなければならない時、考えの難易度があがってもメール処理等にスイッチせずにやりきることで、圧倒的に短時間で形になるまで持っていくことができまます。

第三に、私のストレスレベルが劇的に下がった。

マルチタスクは生産性が40%落ちる、そして強いストレスがかかる、という調査結果があるようです。たくさんのボールをジャグリングのように落とさないようにする。中間管理職にはよくある状況だと思いますが、私は実際にすごくストレスを感じます。ひとつを終わらない限り、どうせ次にも進めないから、と見切りをつけると、気分が楽になります。

第四に、自分にとってよい時間の遣い方でないと感じたものに対し、いっさいの忍耐を失った。

だらだらした会議や会話のことですが、ここは相手のあることなので、自分の方でも上手に段取りをして、双方にとって有効な時間が使えるようにする必要があると感じます。

第五に、マイナス面がいっさいなかった。

マルチタスクはじっさいには同時並行ではなく、タスクの切り替えを行っている状態で、非効率的、非生産的、ときには危険でもあると。運転中の不注意みたいに。

 著者はマルチタスクの誘惑を絶つためのアドバイスとして、メールや電話の接触をオフにすること、そして非現実的に短い期限を設けること、をあげています。ものごとを動かすには締め切りが絶大な効果を発揮すると。会議を全て半分にする。なにかを達成するのに自分が必要だと思う時間の3分の1の時間を自分に与える。短時間でやれと自分にプレッシャーを与えると生産的になると同時に、実はマルチタスクは非常に大きなストレスがかかるので、むしろリラックスできるのです。

 

 

最高の人生と仕事をつかむ18分の法則

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